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34.諦めを期待する男

 夜中に目が覚めた。

 恐ろしく頭が重い。喉の痛みや発熱感から見て、どうやら風邪かインフルエンザ辺りだろう。


(期末終わった後で良かったわ……)


 昨日まで、二学期の期末試験だった。今は試験休み期間直前の土曜日未明であり、次の登校は約一週間後の金曜、つまり終業式だ。

 それまでに快復してしまえば、それで良い。

 但し、ひとつ懸念がある。琴音に知られることだ。


(琴音さんに迷惑かける訳にはいかんぞ……)


 拾蔵はのろのろと起き上がり、最低限の荷物と作業用ノートPCだけを抱えて、寒い星空の下へと重たい足取りで踏み出していった。

 向かう先は、実家マンションだ。あそこに籠もっていれば、誰かと遭遇する可能性は低い。

 食糧は、レトルトやインスタントが何日分かはあった筈だ。高熱時に食べるものとしては決して適切ではないが、そんなこともいっていられない。


(よし……琴音さんは、寝てはるな……)


 隣室からは物音ひとつしない。そういえば大学で飲み会があるという話を聞いていたから、きっと酔い潰れて爆睡しているのだろう。

 拾蔵は極力足音を殺しながらマンションエントランスを抜け、通りに出た。

 突き刺さる様な冷気が、肺の中を抉る。何度か激しく咳き込んでしまい、その都度、立ち止まった。


(厳さんには悪いけど、明日のハッキングはキャンセルさせて貰お……)


 これ程に意識朦朧な状態では、必ず何らかのミスを犯してしまう筈だ。迷惑をかけてしまうぐらいなら、最初から参加しなければ良い。

 拾蔵は冷たい冬空を頭上に仰ぎながら、ふらふらと覚束ない足取りで実家マンションへと歩き続けた。

 そうして、やっとの思いで到着。

 久々の我が家に入るなり、廊下に突っ伏してしまった。


(意識が、飛ぶ前に……厳さんに連絡だけ……)


 力が入らない腕を無理矢理動かして、スマートフォンの画面をタップした。SNSアプリを開き、厳輔宛てにただひと言、都合により次のハッキングは不参加、とだけ送信した。

 リビングへと続く冷たい床の上でうつ伏せになったまま、拾蔵は何度も咳き込んだ。熱は更に高くなっている様に思うが、体温計を取りに行くのも億劫だ。

 もうこのまま廊下で寝てしまおう。次に生きて目覚めることが出来たなら、一番近い洋室のベッドまで這いずっていけば良い。

 しかし、もしそうでなかったら――と、そこで考えるのをやめた。高熱の次に低体温症を発症したらどうなるのかという変な好奇心だけが湧いた。

 勃起不全で男としての機能を失ったまま誰も居ない自宅でひとり野垂れ死ぬのも、それはそれで自分らしい。どうせ自分が居なくなったところで、悲しむ奴なんてひとりも居やしない。


(あー、でも……折角頑張ったんやし、テストの点ぐらいは確かめてから死にゃあ良かったか……)


 そんなことを考えているうちに、意識が途絶えた。


◆ ◇ ◆


 耳元で響く軽やかなメロディーに起こされた。

 SNSアプリのメッセージ着信音だった。手に取って画面上の時計表示を見ると、朝十時を過ぎた頃合いだった。


(何や……生きとったんか)


 死に損ねたか――思わず苦笑が漏れた。

 親から貰った命だから積極的に自死するつもりはないのだが、男としての機能も魅力も無い人間が、だらだらと生き永らえているのも如何なものかと思う。

 そしてこの恐ろしい程の高熱と諸々の症状が上手く噛み合えば、自分も両親が待つあの世にさっさと行けてしまうのではないかと考えた。


(あぁでも……んなことしたら厳さんに迷惑かけてまうか)


 これから先、幾つかの大きなハッキング戦が組まれている。ここでくたばってしまうと、マインドシェイドの皆に顔向けが出来なくなるだろう。それは流石に宜しくない。


(しゃあない……もうちょっとだけ足掻いてみるか……)


 何とか理由をつけて、立ち上がろうとした。が、全身に力が入らない。

 頭痛が酷く、発熱感が昨晩よりも更に強い。まだまだピークには達していないのだろうか。

 このままいけばどこかに後遺症が残ってしまう気もしないではなかったが、どうせ希望の無い人生なのだから今更何を恐れる必要があるだろう。


(ま……取り敢えずは死なんことだけ考えよか……)


 拾蔵は気力を振り絞って洋室のベッドへ向かおうとした。

 と、そこで再びスマートフォンが鳴った。

 よくよく見ると、SNSアプリのメッセージ着信数が物凄いことになっている。一体誰が、こんなにも大量に送りつけてきたのか。


(ええと……琴音さん、ケツ山先生、白坂さん……あれ? 何で従妹さんとか柳沢さんまで?)


 よく分からないが、ここ最近接する機会が増えてきた女性陣が、繰り返し数多くのメッセージを送ってきていることだけは確かだった。

 一体、何の用なのか。

 頭痛を堪えながらざっと流し読みすると、最初のうちは単に試験休み中の予定を訊いてくる様なものばかりだったが、次第に拾蔵からの返信が全く無いことを心配する内容に変わっていっている。


(流石にシカトは拙いか)


 拾蔵は、今忙しいので御免なさい、という極めてシンプルな一文をコピペしまくって、それぞれの返信に充てた。これでもう静かになるだろう。

 そしてここで再び、体力が尽きた。食事も水分も昨晩からほとんど摂取していない為、脱水症状辺りも引き起こしているのかも知れない。


(情けない……俺こんなに貧弱やったんか)


 何だかもう、己の存在自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 するといきなり、通話用の着信音が鳴り響いた。力の無い目でスマートフォンを眺めると、着信相手は琴音だった。


「はい……あ、琴音さん、おはよう……ございます……」

「あぁ良かった拾蔵君、やっと連絡ついた……って、何だか元気無さそうね?」


 声の調子にも出てしまっていたかと己の迂闊さを呪ったが、もう遅い。この直後、久々に声を出した所為か、自分でも止められない程に咳き込んでしまった。


「え……ちょっと拾蔵君、大丈夫なの? すっごく辛そうなんだけど!」

「まぁ……そのうち……治りますんで……」


 呼吸も辛くなってきた。自分でも分かる程に、ぜぇぜぇと喘いでしまっていた。

 そんな拾蔵に対し、琴音が電話越しながら悲鳴に近しい声を上げてきた。


「拾蔵君、今どこ? 多分、ワンルームには居ないわよね? もしかして実家の方?」

「琴音さん……俺は、大丈夫、なんで……ただ、ちょっと、息、出来んから……後は、DMで、お願い、します……あと、まさかとは、思います、けど……うちに、来るとか、いわんで、下さいね……」


 そこで拾蔵は回線を切った。

 本当にもう、言葉が出せない。辛うじて呼吸を維持するので精一杯だった。


(拙いな。琴音さん、ここ知ってるしなぁ……あのひと、変に気ぃ遣うとこあるから……)


 しかし仮に彼女がここへ駆けつけてきたとしても、エントランスのオートロックで自分が応対しなければ、それで済む話だ。きっと諦めて帰ってくれるだろう。

 そんなことを考えているうちに、再び意識が途切れた。

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