鈍感野郎
「ここよ」
連れてこられたのは、校舎の三階にある角部屋の前だった。ドア自体は普通の教室のものと変わりないが、ドアの上には架空の動物が描かれた古いタペストリーが掛けられていた。この動物はエールマー校のシンボルであり、学校の至る所に描かれていた。
ノックをしてドアを開ける。部屋の中に足を踏み入れると、暖かい空気と共に紅茶の香りがした。
「あれ、リエナ」
部屋の中のソファにカルヴィンが一人で座っていた。驚いたような顔をして、口を付けようとしていたティーカップをテーブルへと置いた。
「早いね」
リエナは慌てたように口を開く。急にそわそわし出して目を泳がせる。
「カルヴィン様にご紹介したい友人がおりまして」
友人、と言われたことは今はまだ目を瞑ろう、とテオは手を握って我慢する。自分より頭一つ分以上高い背のリエナの陰からテオは顔を出し、すました顔で会釈をした。
「テオじゃないか」
カルヴィンは驚いたように、テオを見た後、合点がいったようにリエナを見た。親友の弟だ、交流があっても不思議ではないと思ったのだろう。にこやかに手招きして向かい側のソファへと誘導した。
「カルヴィン様も生徒会のメンバーだったんですね」
テオはにこやかにカルヴィンに話しかけた。初対面とは思えない打ち解けた雰囲気に、状況を飲み込めないリエナは困惑したように二人の顔を交互に見た。
「お……僕が理事長に挨拶に行った時にカルヴィン様にもお会いしたんだ」
「リエナはテオとも仲が良かったんだね」
リエナは納得したように、カルヴィンの顔を見てぎこちない笑みを浮かべる。その笑顔がやけに心に引っかかった。リエナがあんな顔をしたところを今までに見たことがなかったからだ。
「そうだったんですね。驚きました……」
明らかに驚いた声のトーンではない、覇気のない声でリエナは相槌を打った。リエナの様子は先程より明らかにおかしくなってきている。しかしカルヴィンは気付かないようで、部屋の中には何ともいいがたい空気が広がっている。空気を読むことに長けているテオにとってこの部屋の空気は正直耐え難いものだったが、リエナがここまでになってしまっている理由が分かる気がして、少し体勢を動かし、わざとリエナと腰が密着する距離まで詰めた。そんな二人を見てカルヴィンは笑う。
「まるで本当の姉弟みたいに仲が良いんだな。フィリーネに嫉妬されたりしないかい?」
リエナと姉弟みたい、という言葉は今まで散々言われ続けてきた分、テオの中では禁句になっていた。今日のところは許すが、次に言ったらその時は容赦しない、などと黒いこと考えながら、それでも笑顔を崩すことはない。
「僕のほうがフィリーネに嫉妬しそうなくらいでしたよ」
冗談めいた口調で適当に会話をあわせる。実際はかけらも冗談ではないが。
カルヴィンは立ち上がり、戸棚からティーカップを二つ、テーブルに並べた。ポットに入った紅茶の量を確認するとテーブルまで戻ってきた。
「フィリーネと言えば、その……何か言ってたりしなかった?」
二人分の紅茶を入れながら、カルヴィンはリエナに平静を装って声を掛けた。それでも声が微かに震えているのが分かって、もう少し上手くやれないものかと、テオは呆れてバレないようにため息を吐く。フィリーネもリエナも鈍感の部類だから気がつくことは無いだろうが、周囲に気持ちが筒抜けなのも見ていて恥ずかしいものがある。
リエナは急に背筋を伸ばしたかと思うと、こちらも負けないくらい震える小さな声を出した。
「…………特には」
こんなリエナは見たことが無かった。まるで感情の揺れを制御できない子どものように、震えている。サイドの髪が顔にかかって表情は見えないが、笑顔でないことだけは分かる。
「リエナ?」
リエナの目の前にカップを置いたカルヴィンは不思議そうにリエナの顔を覗き込んだ。瞬間、火がついたように耳まで赤くしたリエナは勢いよく立ち上がった。腕で顔を覆うようにして声を絞り出す。
「ぐ、具合が悪いので失礼します」
具合が悪くないことなんて、誰が見ても分かる。はずなのに、カルヴィンは驚いたように、大丈夫か?と声を掛けた。薄々感じていたが、カルヴィンもフィリーネと同じ部類の人間らしい。悪意が無くても、その鈍感さが人を傷つけることがあるなんて思ってもみないだろう。
テオはリエナの気持ちを全て察して立ち上がった。今までのリエナの行動に合点がいって思わず眉間に皺を寄せた。
リエナは逃げるように生徒会室のドアを開け、走り去って行った。
昨日から引っかかっていた違和感の原因がカルヴィンだと分かった途端、状況を理解していないような顔できょとんとしている顔を殴ってやりたい気持ちになった。しかし今はリエナを追うことが優先だ。
テオも続いてリエナを追い掛ける。
何が起こったのか分からないカルヴィンは一人、残された生徒会室で飲みかけの紅茶を口にして首を傾げた。