終
「あの……」
ソル=ムンディルの伏し目がちな瞳に、長い睫毛がかかっている。
「なんだ、まだいたのか」
セラ=レイスは軍靴を履いたまま、ソファーに横になっていた。
彼の背丈からして、その長椅子は小ぶりである。
3年にわたる戦役の末、ヴァナヘイムという国名が地図上から消えた。
帝国と砲火を交えてはならない。
少女が師事してきた避戦三兄弟――外務省 対外政策課長・農務省大臣・軍務省次官――彼らの主張が正しかったことを証明してみせたのは、この紅髪の青年だった。
【5-8】少女の冒険 ② 新聞
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帝国軍総司令官・ズフタフ=アトロン大将は、ヴァナヘイム国各地にある政治犯収容施設を順次解放しはじめている。
そして、少女の親友とその父親(最初の師たる元対外政策課長)も、そこから救い出されたそうだ。
父親とやらは、厳しい労役に従事させられたのち、家族を人質にされ、やむなく特務兵として戦わされていたらしい。
自由を得てからも、農務相のもとで食糧生産の回復から内乱の後始末にまで奔走しているようだ。自らと家族を散々に扱った国家に対し、まだ奉公しようとは、まったくご苦労なことである。
帝国開戦こそ回避できなかったが、その無謀さを見せつけてくれたこと。
親友を助け出してくれたこと。
ヴァーラス領のお嬢様の願いは、帝国軍の青年将校によって概ねかなえられた。
【5-10】少女の冒険 ④ 軍務省次官
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くすんだ赤髪を揺らし、ソルは御礼の言葉――あ、ありがとうございました――を伝えようとしている。
傍らに控える、黒髪美しい副官・キイルタ=トラフ中尉も、少女の背中を押そうとしていた。
だが、紅毛の先任参謀は起き上がりもせずに、少女の母国語で応じる。
「礼など言われる筋合いはない。俺はお前の祖国を滅ぼした元凶なのだから」
それだけ言うと、彼は口を閉じた。片腕は顔の上に乗せたまま。
「宜しいのですか」
素直に本音をお伝えすればいいのに――と言わんばかりに、トラフは少女の小さな手を前に引く。ソルは、長椅子の脇までおずおずと進む。
少女は間もなく旧王都を去る。
長らく親しんできた従卒用の軍帽・軍服は脱ぎ、旅装に身を包んでいた。中央広場には、馬車も待たせている。
引き留めるならば、最後の機会であろう。
少女を手放したくない――それは、レイス隊の全員に共通する想いなのだ。
トラフは、上官の腕の下に「惜しい」という表情があることを知っているのだろう。
――どこまでも気が利くやつだ。
だが、副官の配慮に、いつものように甘えてしまうのは、面白くない。
【8-23】敗走 中
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幼馴染に見透かされている内心を誤魔化そうと、レイスは少女に向けて言葉を継ぐ。本音とは裏腹に。
「……でも、お前には身寄りがあるのだろう?」
呼びかけられた刹那、少女は瞳を見開いた。
「……」
そして、寂しそうにうなずく。
国は滅びたが、ムンディル家は生き延びた。
彼女の実父・ファーリ=ムンディルは、強硬な対帝国主戦論者だったはずだが、イエロヴェリル平原での戦況が悪くなるや、態度を一変する。
自ら帝国軍に内通を持ちかけ、両軍による墓造りの式典では、ヴァナヘイム軍代表の立場をいいことに、帝国将校等と語らい、戦後の己の居場所を確保した。
【14-10】風花 上
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見え透いた離反行為だったが、彼は受け入れられることを知っていた。帝国東征軍としても、各地でヴァ国諸侯に徹底抗戦などされたら困るのだから。
その甲斐もあり、統治範囲こそ限定的ながら、ムンディル家は再びヴァーラス領を任されるそうだ。
だがソルは、そのような故郷に戻る気など、さらさらないとのことだった。
実父の恥知らずな行動は、ムンディル家を存続させるための高度な政治工作だったとも言えよう。だが、少女としては、そのような工作など御免被りたいのだ。
実父の価値観と相容れないことは、骨身に染みるほど理解している。
この3年で少女は大海の存在を知った。再びヴァーラスの井戸の底に戻ることなど、とても考えられないのだった。
【5-16】少女の冒険 ⑩ 蟄居
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彼女はこのあと、イエリン郊外へ向かう予定である。
かつて、レイス隊が総司令部を罷免された折にも、身を寄せた祖母の実家であった。
【7-6】蹄の印 下
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しかしながら、今回は決定的に事情が異なる。
マニィ=ムンディルが、少女の最大の理解者たる祖母が、病に倒れたのだった。
それを知らせてくれたのは、収容所から解放された件の親友である。
【15-20】親友と祖母 下 第15章終
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ところが、その伝達の仕方がまずかった。
孫娘は帝国陣営、祖母はヴァナヘイム国陣営と、表向き2人は袂を分かつ間柄なのだ。
目の前でマニィが倒れたことで動転したのだろう。ソルちゃんにとって大切な人の一大事――迅速に伝えなければ、と親友は帝国軍に接触しようと試みてしまった。
トラフからの手紙は、帝国将兵向けにマーケットを開いている商人や、帝国からの隊商に委ねられて、人知れずマニィの手もとに届いていた。そうした事情を親友は知らなかったのだから、無理もない。
ヴァナヘイム側の者からコンタクトがあったことや、何より参謀部においてヴァーラス領の姫君を抱えていたことは、帝国軍総司令部を騒然とさせた。
ただでさえ、各隊から評判の芳しくない参謀部《レイスとその仲間たち》である。アトロン老将が火消しに動かなければ、レイス一門は再び査問会にかけられるような事態に陥っていたことだろう。
【3-1】査問 ①
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レイス一門は帝都への栄転が決まり、間もなくこの地を後にし、大海を西へ渡る。
【16-12】異動命令 上
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レイスの本音としては、一緒に連れていきたかった。
ソルの本音としても、一緒についていきたかったようだ。
一連の騒動で覚悟は出来ていたものの、青年の語り掛けるような言葉から少女は悟ったようだ。これまでのように、行動を共にすることは決してかなわないことを。
少女は、参謀部における己の立場を弁えていた。
戦下のヴァナヘイム国内ならいざ知らず、帝都、まして宰相閣下ご息女の麾下に、イレギュラーな存在は許されない――ソルは観念したように俯いた。
レイスは、顔を覆うものとは別の腕を動かした。
しゅんと下を向く少女――その額にそっと手を伸ばし、つばひろの帽子ごと頭を撫でていく。
しかし、ソルは、いつものご満悦な様子とは程遠い。
【13-27】カンファレンス 下
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それどころか、次第に両目に涙をたたえていく。
「~~~~~~~~~~~ッ」
ソルは、感極まったようだ――。
瞳と同じ色の雫が散らばる。
羽毛とレースで装飾されたボンネットが床に落ちる。
少女は青年の胸に覆いかぶさった。
「いままで、ありがと……大好き」
そして、そこに想いを埋め込んだ。消え入りそうな声で。
「……」
レイスは、少女の華奢な背中を、片手でそっと叩いていく。
ソルは、青年の参謀飾緒に顔を当てて、すすり泣くばかりだった。
――惜しい。
少女を胸に載せたまま、青年は逡巡してしまう。
もう少しだけ、手元で育てておきたいと願うのは、驕りだろうか、と。
ソルは実に優秀である。
物価変動を足掛かりに現地調査を通して、かのアルベルト=ミーミルによる火殺の計略に迫ったほどだ。
【13-30】異臭騒動 下
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師事してきた者たちが開明的な為政者ばかりだったという奇跡もさることながら、その先天的な才には、底知れぬものを感じる。
果たして、亡国の片田舎に埋もれさせて良いものだろうか。
「しっかり、勉強していけよ」
己の口から出た平坦な言葉に、レイスは眩暈を知覚する。
罪滅ぼしの声掛けにしては、あまりにも野暮で無粋で稚拙過ぎではなかろうか。傍らの副官・トラフも灰色の瞳をわずかに曇らせていた。
彼は顔上からも腕を動かし、背中とともに眼前の赤毛も撫でていく。自身が発したばかりの言葉を有耶無耶にするかのように。
頭部をポンポンされながら、ソルはやけくそ気味に言い放つ。
「言われなくたって、するもんッ」
副官が内政・兵法・歴史――多くの本を少女に貸し与えてきたことを、レイスは知っている。最近では、帝国語の書物も辞書を置かずして読み込んでいることも。
それにしても、わずかにくすんだ色合いながら、この赤髪を前にすると――。
「あたしも、大き……くなる。大きくなっ……てみせる」
あなたのように――少女は、しゃくりを上げながら訴えてくる。
ずっと広く、ずっと深く――大海アロードよりも、ずっと。
少女の瞳から、とめどなくこぼれ落ちる涙が、青年の軍服を濡らしていく。
「……そいつはまた、大きく出たなぁ」
レイスは、土砂降りのなか、尾根の上にいた――蠍印の馬車は、眼下の切通しを走り去っている。
【9-37】 気魄
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胸元には妹がいた――少女を保護して以来、その姿に重ねて来た面影などではない。
【2-15】祝勝会 上
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「……少し、留守番を頼めるか」
3年――いや、そう遠くない将来、俺たちはまた、この東大陸に戻って来る。
「お、おるす……ばん……?」
ソルは、泣き腫らした目で見上げて来る。
「そうだ」
レイスは短く応じる。自信と愛嬌、それに慈愛をないまぜた表情とともに。
レイスは、早くに母を、のちに父、そして妹と、相次いで肉親を失ってきた。
【9-7】舟出 上
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【9-40】 落花
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いつか離別の時がくるからこそ、大切な家族とは、出来るだけ一緒に居るべきなのだ。
そもそも、あの威勢の良い婆様がいなかったら、いまのソルもいなかった。しばらくの間、この才女を預けることもやむなしだろう。
【8-23】敗走 中
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レイスはそれ以上、言葉をかけることをやめた。
「……参りましょうか」
「……」
トラフの呼びかけに、ソルは腫れあがった目鼻のままうなずく。
少女は手を引かれ、とぼとぼと部屋を出ていった。
抜け殻のような背中が遠ざかっていく。
扉がゆっくりと閉じられる。
静まり返った室内に、青年は1人残された。
――もうひと眠りしよう。
レイスはひとつ大きく伸びをすると、軍靴を組みかえた。
第1部 ヴァナヘイム国編 了
続編の執筆を始めました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533
航跡 ブレギア国編―騎馬いななき火砲うなる戦場に名将たちの駆引き…転生?しません。魔法?甘えんな―




