【2-10】赤い曲線
「航跡」続編――ブレギア国編 の執筆を始めました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533
宜しくお願い致します。
物語の流れや話数配分が整えたのち、こちらにも投稿して参ります。
2023年12月15日追記
【第2章 登場人物】
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懐にしまいそびれた時計は、4月25日の14時を刻んでいる。
「先任参謀!」
セラ=レイスが顔を上げると、配下の参謀たちはみなこちらに視線を向けていた。
「このまま……このまま、作戦を中止になさるおつもりですかぁ」
ニアム=レクレナが両目を潤ませて口火を切った。
やれやれと、レイスは紅い頭をかいていたが、部下の涙目から視線を逸らし、思わずぎょっとする。
蜂蜜色の髪の乙女の先で、筋骨隆々とした大男――アシイン=ゴウラも、涙と鼻水をとどめようと、歯を食いしばっていたからだ。
「今日まで、自分たちは何のために準備を進めてきたのでしょうか」
――そんなこたぁ、聞かなくても分かっているだろう。
「いま、ここで敵の主力を撃滅するためではなかったのですか!?」
――いいから涙ためて迫ってくるな、暑苦しい。
レイスは小さく息を吐き、視線を落とした。
足下では、従卒姿の少女・ソル=ムンディルが心配そうに見上げてくる。キイルタ=トラフがヴァナヘイム語で端的に状況を説明しているのだろう。
――ええい、面倒くさい。
レイスは額を押さえ、瞑目する。
このままでは、作戦は中止である。よしんば継続できたとしても、すぐに破綻してしまうだろう。
村落は火薬の山である。そんなところへ銃弾が飛来している。中途半端に引火・爆発すれば、警戒心が強く慎重な敵司令官のことだ――罠の存在に気が付き、ヴァナヘイム軍は散開してしまう。
そうすれば、敵総司令官までを一網打尽にする機会など、2度と来ないだろう。参謀たちにとって、気が気ではない時間がじわじわと過ぎていく。
「マグノマン隊、村落内を後退していきます」
報告を終え、バネ仕掛けのように一礼し、退室していく伝令兵など追わず、参謀たちは一斉に己の時計を確認する。
めいめいの盤面では、残り30秒ほどで14時30分に至ろうとしていた。
作戦発動の時刻まであと30分である。
へそから冷たい何かが流れ込み、ふわっと浮き上がるような不快なものを覚えたのだろう。レクレナは軍服の上から両手で下腹部を押さえ込んでいる。
「やはり、イブラのヤツがまだ村落に残っていたのだな」
「彼らは退避を完了したと先ほど伝令が申していたではないか」
「一体どういうことかね」
クルンドフ副司令官以下が、慌ただしくこちらに向かってくる。
「……」
紅髪の先任参謀は、部下たちの息苦しさと、上官たちの追求にたまりかね、無言のまま室外に出た。
扉を1つ抜けると、そこはヴァーラス領郊外北・田舎町のままであった。
緊迫した戦況などかまうことなく、頭上には雲ひとつない青空が広がっている。
彼は大きく息を吸い込むと、ここから見えるはずもない戦場の方角を見やった。
村落周囲の山頂・山腹には、68門という空前絶後の数におよぶ砲兵部隊が、総司令部からの砲撃開始の号令を待っている。山裾のヴァ軍からは見えぬよう、その姿は隠蔽されて。
村落の周辺だけではない。ヴィムル河流域の各所に展開する各隊も作戦発動の号令を聞き漏らすまいと、耳をすませているはずだ。灯火を戒め、携帯食のビスケットをかじり、じっと息を潜めて。
「ヴァナヘイム軍先鋒が、村落内に完全に入りました!」
レイスが総司令部に戻ったのは、伝令兵が最新の情報をもたらすべく、何度目かの入室を果たしたのと同時であった。
いよいよ室内の空気は蒸し暑く澱んでいる。銀色の参謀飾緒を胸に下げた者たちのなかには、額に汗を浮かべる者も出始めていた。
熱気にあてられ、少女ソル=ムンディルは、軍帽を脱いでしまっている。
懐中時計が、15時ちょうどを刻んだ。
作戦決行の時刻である。
「……マグノマンの連中は」
「一部がまだとどまって……」
声量を抑えてレイスが尋ねると、同じく小声でトラフが返す。
――お前は地声が低いから、声を潜める必要もないだろう。
トラフの報告が終わる前に、レイスは傍らにあったソルの淡い赤髪をひと掻きし、天井を仰いだ。
そして、右手で銀時計を強く握りしめると、彼は左の腕を図上に伸ばす。そのまま「村落A」に置かれた凸型の駒をつまみ上げると、作戦図の外にほうり捨てた。
駒が赤い曲線を描き、デスクの外に消えていく。
それを、少女は目を開き、参謀たちは口を開けたまま見送った。
床から乾いた木片の音が聞こえ、彼らが視線を戻すと、そこには紅毛の上官の姿はなかった。
レイスは踵を返し、背後に控える将官席へ勢いよく進んだ。背後で、伝令兵が駆け込んでくるのが聞こえたが、彼は振り返らなかった。
そして、副将の前まで来ると、敬礼とともに力強く報告する。
「「A地点、全軍の退避完了!」」
先任参謀と伝令兵の声が調和した。
呆けたような表情をしていたクルンドフに対し、レイスは舌打ちし、再度、同様の報告を行った。
「……イブラのヤツは、村を退いたか」
それでもなお半信半疑の副司令に、先任参謀はうなずき、そして付け加える。
「はい……作戦発動のお時間です」
数秒後、小さな副将兼参謀長は我にかえると、上ずったような声で命を下した。
「ぜ、全砲門、撃ち方はじめぇ」
「全砲門撃ち方はじめッ」
「撃ち方、はじめ!」
伝令兵が総司令部を飛び出すと、通信兵たちへ、復唱・伝達されていく。
通信兵の打電は、A村落周辺の砲兵指揮所にたちまち届き始めていることだろう。
その間、軍服の懐に右手を入れたまま、レイスは視線を遠くへと向けていた。部下たちの頭上、薄汚れた壁の向こうに広がる青空へ。
状況を飲み込めない参謀たちは、伝令兵が勢いよく閉めた扉と、佇立したままの先任参謀との間に視線の橋がかかるほど、何度も見やっている。
「……」
総司令官のアトロン老将は、最後尾の椅子に座ったまま、先任参謀の紅色の後頭部をじっと見つめていた。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
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【予 告】
次回、「天翔ける汽車」お楽しみに。
雷が数本まとめて落ちたかのような轟音と共に、無数の砲弾が村落へ降り注いだのである――。




