その娘、魔術師見習いになる
ルディリアとサウスライド、それからクラウストは応接室から場を変えて、室長室にいた。
茶を飲みながら話しの続きをはじめる。
クラウストはルディリアが出勤する一時間も前からここへ来ていたらしい。それも、わざわざ兄を家から連れ出してここまで引っ張ってきたのだとか。
クラウストがそこまでしたのも、今回公表された内容の対策を取る為。しかし、朝兄と二人で決めた内容が本当にルディリアの為になるのか、先程のやりとりを見て再考すべきと考えたクラウストはまた室長室へと戻った訳である。
「それにしても、ルディリア。君本当に凄いことだよ?」
サウスライドの言わんとすることは勿論ルディリアも理解していた。
ルディリアが魔法研究室に配属されてまだ5ヶ月といったところである。
そもそも配属されてすぐに黄色のローブが渡された事から可笑しかったのだが、その3ヶ月後に新人であるルディリアが騎士団長の補佐を兼任するという何とも異常すぎる事態が起きた。
魔物討伐に正式に参加する為に必要不可欠であった事は否めないが、新人の成せることではない。しかも、そこで大きな功績を持ち帰ってしまった。
その為、多くの貴族の目に止まり、話のネタとしてあがる。なんせ、褒章として、格隊長達よりも遥に良いものが与えられることとなったのだから。
「1金貨と魔導師への昇格。分かっているかい?ルディリアは私の下についているのだから、実質魔術師見習いということになるのだよ?」
「はい。とてもありがたい事です。」
サウスライドは27歳で魔法研究室の室長として腕を振るうだけあり、「魔術師」の資格を保有している。
公爵子息として文武両道でなければならない為、剣術もある程度出来るらしいが、得意分野は魔法な為、長所を生かして魔法使いとしての位を上げ研究に没頭していたらしい。その結果、若くして室長となったのだ。本人曰く「押しつけられた」らしいが、爵位を見るに相応しい地位だろう。
そして、報奨金の1金貨。
水1杯がだいたい1マドルであり、10万マドルで1銀貨となる。そして1億マドル(千銀貨)で1金貨である為、相当な額だ。因みに、今のルディリアの月のお給金は3銀貨である。
「ですが、アルンベルン騎士団長は10金貨とイリスト伯の位ではありませんか。注目度は私よりも上かと。」
確かにちょっと報奨金が多い気がしなくもないが、ルディリアにしてみればそんなに大事ではなかった。何しろクラウストは軍神の称号まで得たのだから。
しかし、そんなルディリアをみてサウスライドは大きなため息をついた。ルディリアは何か嫌な予感がしたため、サウスライドへと向き直る。
「いいかい?今回の報奨に関して大きな会議が開かれた。そこでルディリア、君の最初の報奨内容は、10銀貨とコンバルト子爵位、それから魔術師位だったわけだ。そして魔術師に昇格した君には新たに王宮魔法師団 特殊隊隊長の座が用意されていたわけだよ?」
にこりと綺麗な笑みを浮かべてルディリアに指さす。そんなサウスライドの様子を呆然と見つめることしか出来なかった。確かに帰還してすぐにサウスライドがそんな話しをしていた。それでもまさかそこまで大きな報奨になるとは思いもしなかった。
魔法師団 特殊隊長。
それは存在しない地位であり、役職である。まさしくルディリアの為に編成されようとしていた隊であることは聞かずとも分かる。
王宮で働き始めて半年も経たずして魔術師となり、且つ新たな部隊の隊長とは貴族社会で注目されること間違いなしである。勿論良くも悪くも。今のルディリアにとってそれは重荷でしかない。それをいなす話術も社交技術もなければ、地位も高くないルディリアの元へは様々な面倒事が押し寄せてくるに違いがない。
そんな事にならずに済んだことに安堵すべきか、この話しを知っており、尚且つ自身に教えてくれるこの2人がそれを止めてくれ、代案を提示してくれただろう事に感謝すべきか、ルディリアは悩む。それでも、やはり安堵感が勝ってしまう。そして、この2人の力は王宮内でも絶大なのだと知った。
「そう…だったのですね。…お手間をお掛けしました。」
「ありがとうございます」とルディリアが正式に感謝の意を示すと、クラウストとサウスライドはそれを制した。
「ルディリア、君は今私とクラウストの補佐という立場であり、守られる立ち位置にいるのだから、気にすることはないよ?」
「あぁ、感謝すべきはこちらであり、寧ろ巻き込んでしまった事については謝罪すべきだろうな…。」
「いえ、そんな必要はございません。本当に感謝申し上げます。」
クラウストの言う「巻き込んでしまった」というのは貴族社会のしがらみである「権力闘争」にと言うことだろう。
アルンベルン公爵家は中立派である為、政治要素にルディリアが巻き込まれることはないだろうが、社交や権力争いという面に関しては別である。
アルンベルン公爵家は貴族位としては王族の次に位が高い。そのため色々と面倒事も少なくない。だからこそ、この2人はそれをはね除ける事が出来るほど強い権力を身につけたのだ。
「いいんだよ?君の望みに出来るだけ近づけはしたが、議内ではあまりにも成果に釣り合わないだろうと反対意見も多く出た。それだけ今回の事は大きく評価されていると言うことだ。私はルディリア、君に問うたよね?君は、どうしたいかと。」
表彰式が開かれるよりも前、帰還してすぐサウスライドとクラウストがルディリアにこの話しをした後のことだ。サウスライドにあの日問われた事。
『あぁ、君はまだ貴族院を卒業したばかりで、自身の身を守るすべは持ち合わせていない。辺境伯爵家の出である君の立場は非常に脆い。だからこそ、陛下は君を守ろうと地盤を固めようとするだろう。しかし、そこにつけ込んでくる貴族は必ずいる。君は、どうしたい?』
“君は、どうしたい?”
あの日、ルディリアはサウスライドの問いに悩みながらも答えた。
「私は、大魔法使いになりたいです。…ですが、私にはまだまだ至らない点が多く、何をするにもお二人に助けられてばかりです。私はそんな大魔法使いになりたいのではありません。きちんと自身の足で立ちたい。その為に今必要な事は、知識と情報、それらを含めた力です。ですから、私はまだここに居たいです。ここには様々な情報が集まってくる。魔法の研究にも最適な場所です。そして騎士団長補佐として、開発したモノを実験する場と、成果を披露する場があります。恵まれすぎているこの環境を今は手放したくありません。」
急功近利では意味がない。経験の積み重ねでそこに辿り着かなければ意味がないのだ。
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「これ以上ない程に、ありがたい事です。この場に居続けられる事は私に取って何よりも大きな利です。」
「そうか、本当は魔術師としてこの場に居られるようにして上げたかったが、そうもいかなくてね?」
少しだけ疲れた笑みを見せるサウスライドを見て、相当大変な会議だったのだろう事が窺える。明日からは少しだけ優しくしてあげるべきかもしれないと思うと同時に、それでは結局室長の為にはならないだろうと心を鬼にして今まで通りにする事を誓った。
「兄上は、こういう事に関しては得意だからな。気にしなくて良い。出来ないこともこれから出来る様にすれば良い。兄上の側に居れば社交が苦手な事などすぐに笑い話に変わるだろう。」
「そうなるよう、尽力します。そして、社交は得意分野だと言えるようになります。」
クラウストは「そうか」と小さく笑うと、ソファから立ち上がった。ルディリアが時計に目を向けると既にお昼は過ぎ、14時を回っていた。
騎士団長として忙しいクラウストはこの後仕事を片付けるのだろうと、長居させてしまった事を謝罪しようとすると横から声がかかった。
「シルビアが首を長くして待っているから、17時には家に来るようにね?」
「問題ありません。こちらの仕事はすぐに片付きます。それよりも、兄上の方が大変なのでは?」
クラウストはちらりとルディリアに視線を向けるも、ルディリアは何のことだか分からず小さく首を傾げる。
今日、室長は早くあがらなければならないのだろうということだけは理解し、執務机を見遣る。そこにはまだまだ積み上がった状態の書類が存在を表している。
「兄上、彼女に何も伝えていないのですか?」
クラウストはサウスライドを怪訝そうな面持ちで眺める。それに気がついたサウスライドはいつものニコニコとした表情で受け流していた。
「あー、そういえば言ってなかったかな?ルディリア、今日はシルビアが君たちを祝う為に食事を用意して待っているから早く帰らなければならないよ?」
君たちを祝う…早く帰る…。
室長はこの書類が見えないのだろうか…?
「では、これは誰が片付けるのですか?」
「うん…でも、シルビアの機嫌を損ねることは君にとっても良いことではないね?」
確かにルディリアはサウスライドの妻、シルビアにとても良くしてもらっていた。というのも、ルディリアが配属されてすぐ、中々職場に姿を現さないサウスライドを公爵家まで迎えに行ったことが始まりであった。
大量の書類仕事を行わなければならない職場へ行くのが嫌でサウスライドは公爵家に籠もっていたのだ。妻や執事には「何も問題無い」と良いながら妻と共にお茶をしていたところをルディリアが捕まえた。その時、笑顔でサウスライドをルディリアに引き渡してくれ、それから何度か同じ様な事でお世話になった。
見ず知らずの女性に、自身の夫を笑顔で引き渡す「心の広い女性」という印象であり、彼女の敵に回りたくないと思うルディリアは目を瞑る。
「では…明日の室長には倍の仕事をしてもらわねばなりませんね。」
「…。…私は、今回の報奨の件でとても疲労していてね…頭が回りそうに」
「兄上、それは私も同じ事です。」
冷静なクラウストの言葉でサウスライドはルディリアから目をそらした。
アルンベルン騎士団長が問題無く仕事が片付いているのにもかかわらず、室長にはこんなにも仕事が残っている原因は疲れではない。
いや、確かに得意分野という事で今回の件はアルンベルン騎士団長よりも力を発揮して下さったに違いはないのだけど、根本的な問題は別にある。
「室長、本日終わらせた書類は何処にございますか?」
「…うーん、どこかな?」
にこりと笑うサウスライドを見てルディリアは確信した。
「本日、お仕事、なさいましたか?」
「今日は色々と忙しかったんだよ?朝からクラウストが尋ねてくるし、その後はこれだろう?」
確かにサウスライドの言うことにも一理あるなと思ったルディリアは、机の上に分けておいた書類を半分にする。そしてその半分を明日分の書類の上にのせてみせる。
「では、本日はここまでお願いしますね。」
「クラウスト、お前はどう思う?」
やれやれとため息をつきながら弟に尋ねるサウスライドは、目が死にそうである。しかし、聞く相手を間違えていることに気がついていない。
真面目人間であり、仕事人間なクラウストは「出来て当然」とばかりの目を向ける。寧ろ、ルディリアに対して申し訳なさそうな表情を向けるものだからルディリアも申し訳ない気持ちが伝染する。そして思い出す、彼は身内にはとことん甘いのだと。
「ルディリア嬢、私も手伝おう。」
「いえ、アルンベルン騎士団長は別でたくさんお仕事を抱えているはずです。そこまでして頂くわけには…。」
「クラウスト、いつの間にか“ヒースロッド嬢”ではなく“ルディリア嬢”と呼ぶようになったんだな?」
クラウストの申し出をお断りしようとしていた声に被せるようにサウスライドがつぶやいた。ルディリア自身も気付かない振りをしていた問題を躊躇なく踏み抜く。しかし、クラウストはものともせずに返した。
「元よりその許しは得ていましたが?」
「そうではなくてだね?お前の心境の変化が気になったのだよ」
心境の変化と言うほど大それたものではないだろうが、確かに、式典後のパーティまでは「ヒースロッド嬢」と呼んでいた。しかし、あの日のあの出来事以来、クラウストはルディリアを名前で呼んでいる。
勿論ルディリアも気がついてはいたのだ。しかし、口にして聞く事でもないだろうと、いや、聞ける雰囲気でもなかった為あえて口にしなかったのだ。明らかにあの出来事以来、ルディリアに向ける表情や眼差し、口調が変わっていた。
少しだけ、心を開いてくれたのだろうか?それとも、部下として認めてくれたのだろうか?と様々な事を思い悩んだ結果、髪にキスを落とされた事が頭をよぎり、考える事を止めたのだ。そのため、ルディリアとしてはそっとしておいて欲しい話しである。
「まぁ、そうですね。確かに…。」
そう言ってサウスライドに向けていた視線をルディリアへと移す。それに気がついたルディリアは身を強張らせ、慌てて目をそらした。
クスリと笑う声が響いて何だかとても居づらさを感じたルディリアは、書類へと手を伸ばし、考えないように努める。
あの日以来、思い出すと顔が熱くなるのだ。
そんな二人を見てサウスライドは「ふーん?」と発するも誰もそれに返すことはしなかった。それを良いことにサウスライドは自身の執務机に積まれた書類を半分持つと、ルディリアとは別のもう一つ余っていた机に置いてみせる。そしてニコリといつもの笑顔を向けた。
「クラウスト、ここで頼むよ。」
「分かりました。」
苦笑しながらクラウストはその机に備え付けられている椅子を引いて腰を下ろした。