悪役令嬢との和解
美しく整えられた庭の四阿に、茶会の支度がされています。
私の目の前に座すのは、この庭に咲き誇る花々さえ恥じらうほどに美しい女性です。
彼女の身分は公爵令嬢。
才気煥発にして、この国に革命的な進歩をもたらしています。
……そして、私の両親や臣下の者たちの多くが、私の妻にと望んでいるのです。
けれど、私にはどうしてもこの女性だけは妻にできない理由がありました。
なぜならば『前回』彼女を死なせる理由になったのが、何を隠そうこの私だから。
王太子でありながらいまだに婚約者のいない身ではあるが、この公爵令嬢には本来ならば合わせる顔もないというのが正直なところです。
そんな相手をどうして妻になど望めましょう。
しかしながら、『前回の記憶』などといういかがわしい根拠を吹聴するわけにもいかず、また話したところで信じてもらえるとも思えず、ただ彼女の功績はいくら王妃とはいえ私の妻の座に押し込めるには惜しい、とそればかりを盾に婚約を為さずにいる次第です。
いくら断ったところで理解の出来ないものもまた多いらしく、まったくの善意からこの茶会は用意されました。
人には適材適所というものがあります。
たとえ私に負い目がなかったとしても、彼女に次期王妃の座はふさわしくない……いや、王妃の座ごときには納まらぬ女性だということが理解できないものが多すぎるのは、国としても問題でありましょう。
こうして公爵令嬢が私と話の出来る席についてくれているというのは、ある種の僥倖でもありました。
私は彼女の秘密を知っています。
それは私も抱える秘密でした。
この機会に私はその秘密を共有し、そして彼女に謝らせてもらいたかったのです。
そのために、私は人払いをしておもむろに口を開きました。
「おね~さん、納豆にネギ入れる方~? ピーマン食べれるぅ~?」
どこに出しても恥ずかしくない作法を修めているはずの、公爵令嬢付き侍女が目を剥いた。
すげー顔。
そらそうだろうよ。こんな口調、この世界じゃ市井でも如何わしい酒場にいる酔漢ぐらいしか使わねえもんな。
まして、普段品行方正な王子様があの喉で潰した喋り方を真似だすなんて、俺か自分かの気でも触れたか、悪い夢かと思うだろうよ。
ところがどっこい・・・・・・夢じゃありません・・・・・・・!
現実です・・・・・・!
これが現実・・・・・・・!
「ネギ……ですか? 私はお醤油だけでいただくのを好みますわ。基本的に食べられないものにはまだ出会ったことがございませんの」
公爵令嬢はいささかきょとんとしつつも、丁寧に答えてくれた。
……だがしかし。
「納豆は我が領でも好みが分かれるためよそにはお出ししていないのですが、お召し上がりいただいたのですね。光栄でございます」
「違う、違うんだ……」
「召し上がられたわけではなく、ご興味がおありで?」
「そういうわけでもなくて……」
「え? あ……ネギにそれほどのおこだわりが……?」
滑った……。
うわ、はっず!
まじか! し●ちゃん知らないのか!
通じるかと思って、意気揚々と物真似までかましちゃったよ!
誰か俺を埋めてくれ!
渾身の合言葉だったのにまさか通じないとは。
許されるものなら、その辺ゴロゴロと転げまわりたい。
「あの……いかがなさいまして?」
「申し訳ない、忘れてください。先ほどの言葉はアニメの有名なセリフで……」
「こちらこそ申し訳ありません。私、アニメ……は……アニ……メ……?」
応えかけた公爵令嬢がはくはくと口を開いたり閉じたりしている。
テレビもないこの世界に、当然アニメはない。
厳密に言えばアニメの走りの幻灯機はあるけど、誰もアレをアニメとは呼ばない。
「殿下。もしやとは存じますが、まさか覚えてらっしゃって……?」
気を取り直した公爵令嬢がどうとでも取れるように聞き返してきた。
はい、覚えてます。
前世の記憶だけじゃなく、前回の記憶までまるっとスリっとゴリっとエブリシング覚えてますよ!
人払いしたとはいえ、そちらには侍女が、俺には護衛と側近がついてるから言えないけどな!
覚えていることを伝えるため、俺はさらなる情報を開示する。
「みそ汁の具は何が好きだろうか。私はもやしに油揚げが好きです。贅沢を言うなら、今ある味噌がもっと赤ければいいのにと思っていました」
「私はジャガイモと玉ねぎが好きですし、麦麹は譲れませんわ」
戦争だろうが・・・・それを口にしたら・・・・
とか、口にしたらほんとうに内戦が起きかねないからやめておく。
通じないネタは害悪でしかない。
公爵令嬢は麦味噌派か。
俺は赤味噌派だけど、主流は豆味噌派だろうにわりかしマイナーなとこにいったな。
「なるほど……」
得心した様子で公爵令嬢がそっと扇で口元を隠した。
その手が微かに震えているのがわかる。
あ、ビビってる。
そうだよな。彼女にとって、前世はともかく前回の記憶は恐ろしいもののはずだ。
……ほんと申し訳ない。
でも俺もそれを覚えていることをまずは伝えないことには謝罪のしようもない。
いや、思い出したくもないことをほじくり出して謝罪しようってのは自己満足に過ぎないのはわかってるけど! 謝んないと! 俺が反省してて前回の轍は踏みません、って信じてもらえないじゃん!
卒業式イベント回避したところで、またいつ俺の婚約者にさせられたり、挙句の果てに断罪されたりするか不安になりそうじゃん!?
だから俺は、ここで公爵令嬢の傷口を抉ってでも、謝罪をせねばならん!
断じて自分の気持ちを軽くしようってだけじゃないんだからね!
いや、マジで。
「覚えているのはそれだけではありません」
俺はならず者の名を口にした。名前だけ。
原作の中でも多分、雇った悪者の名前までは出てこないよね?
いや、そこまで細かくは原作知らんけど。
何せアニメを初回しか見てないし、そこまで真剣に見てたわけでもない。
あんまりにもデリカシーのない選択だと思うよ?
でも、そのぐらいしか前回の記憶もあるってことを主張できない気がしたんだもん!
「……今の私は何もしておりません。それでも私をお責めになりますか」
あーあー、顔色真っ白。
ごめん、ごめん、本当にごめん!
そのならず者を雇ったのは、前回の公爵令嬢だ。
だけど、そこまで君を追い詰めたのは俺ー!
間違いなく俺ー!
今回の公爵令嬢は清廉潔白。
どれほどひっくり返したところで後ろ暗いものとの付き合いなんか、小指の欠片ほども出てくるわけもない。
ってーか、違う人生で悪者雇っただろとか、言いがかりも甚だしいわ。
大体彼らの一部は今回なんて悪者ですらないしな。
一応調べては見たけど、慈善事業の一環として公爵令嬢が更生に手を貸したってハートフルな報告が上がってきちゃって、この人ほんとに聖女なんじゃねーかと思ったぐらいだ。
本当になんでこんないい人を、悪の道に踏み外させるほど追い詰めちゃったのよ、前回の俺。あと、原作の俺。
「いえ、貴女のことを責める気はありません。むしろ、あの時の私は申し訳ないことをしたと……」
王族の血のため、下げることのできない頭の代わりに視線を下げる。
「本音を言えば土下座りたい。五体投地で地面にめり込んでもまだ足りない。焼き土下座でも足りない気がする」
「焼き土下座……?」
前回の王妃教育の賜物かほとんど表情を崩さない公爵令嬢が、不思議そうな顔をした。
あ、カ●ジもご存じない?
すんません。また滑りました。
「話は変わりますが……」
いえ、実は変わりませんが。
「今の私は、婚約者がいながら通すべき筋を通さず、一人恋に浮かれていた男は唾棄すべき人間だと考えます」
公爵令嬢が息を呑む。
「その男こそが悪役を追い詰め、罪を犯させたのです。悪役とて重責は同じ……いえ、それまでと違う環境に移され、周囲の悪意に常にさらされる悪役の方がきっと背負うものは重かったのに。まして、あのような場で断罪すべきではなかった。男こそは許されぬ罪を犯しました……これが今の私の結論です」
「そう……ですか」
公爵令嬢はゆっくりと深く溜息をついてから口を開いた。
「私もあの時は申し訳ないことをしました。あの時の……あの悪役は、やはり断罪されても仕方のない人間だったと、今の私は思うのです。罪は罪。あれは人間としてやってはならないことをしました。命を落としたのもきっと天罰だったのでしょう」
まるで他人の話をするかのように、俺たちは互いの罪を認め合った。
「そういえば、あの物語の先は……どうなったのか、殿下御存じですか?」
まっすぐにこちらを見る視線に耐え切れず、俺は目を逸らす。
「……幸せに終わりましたよ。紆余曲折はありましたが、ヒロインは高位貴族の血筋であったことがわかってつつがなく王子と結ばれ、王妃となるのです。罪を犯した男も、それは幸せに生涯を閉じました」
「そう……ですか。それはよかった。やはり物語はハッピーエンドが一番ですもの」
ほっとしたように公爵令嬢が言った。
それから、ふと気になったのか、質問してきた。
「男爵令嬢はどうなりましたの?」
王妃になった結末を聞いたのに、この質問を重ねてくるということは、今の彼女を知りたいということだろう。
「男爵令嬢も幸せに」
「……まぁ」
今回のヒロインは学園に入学しなかった。
公爵令嬢は彼女が入学しなかった以上、それ以上の捜索はしなかったのだろう。
「男爵と言えば、先だって召し上げられた旧男爵領の隣領にいささか変わったパン屋があるのをご存じですか? 焼きそばパンとあんぱんがとても美味しかった。善良なご夫妻が営んでいるパン屋です」
その説明で公爵令嬢は何を俺が伝えようとしたのか理解して、静かに「そうですか」と呟いた。
ちなみに男爵家は、前回の知識を元に不正を暴き出して、すでにお取り潰しになっている。ヒロインを男爵家へと追いやった侯爵家の不穏分子も摘発、懲罰済みだ。
その後公爵家で施策されているいくつかの案についての質問などをして茶会を終え、公爵令嬢が美しいカーテシーをして下がると、何を勘違いしたのか、側近が弾むような声で言った。
「失礼ですが、殿下。アニメとは何のことですか? そして土下座、とは……? 私の目にはお二方がお互いにだけわかっている話をなさっているように感じられました。やはりおふたりは……」
「それは思い違いだ」
俺は側近の希望をきっぱりと切り捨てる。
「彼女も知っている昔の話だよ。アニメというのは私たちだけで通じる夢の話。その時に私は彼女にとてもひどいことをしたのだ。だから、今でも彼女は私が怖いし、私も彼女といるといたたまれない。これは自分自身でももうどうしようもないことなんだ。だから私たちは、今のまま、適切な距離を保ち主上と臣下の関係でいるのが一番良いのだ」
「ですが……」
「あの距離で見て、彼女が私に怯えていたのがわからなかったのか」
確かに身分や才覚を考えれば、彼女はこの国で最上の令嬢だろう。
最上の令嬢をこそ王太子妃に、と考えてしまうのはわからなくもない。
だがしかし。
「これ以上、押しつけがましい善意で私たちを結び付けようというのなら、その者は己の心情ばかりを優先し、他人の気持ちを考えることのできない人間と見なし、相応に扱う。よいな」
冷たく言い放った私に、側近は息を呑みました。
そうです、私はかつて人の気持ちを考えることのできない人間でした。
見たい物しか見ず、人の気持ちを慮らないあまりに踏みにじり、犯さなくてもよい罪を犯させたのです。
前回と同じ轍を踏んではなりません。
私はいずれ王となる人間なのですから。
・公爵令嬢
王子様(のちの王様)の全面的なバックアップで改革をしまくり、女公爵となって辣腕を奮う。
様々な改革実現の片腕となってくれた技術者と事実婚をし、国の要職に就く。
前世ではアニメはジ●リとディ●ニーとアン●ンマンくらいしか見たことがなかった。
好きなパンはマヨコーンパン。
ヒロインさんとこでアン●ンマンパンを初めて見た時はテンション上がった。
・ヒロイン
パン屋さんが王都進出。レシピ引っ下げ、女公爵が先導したチェーン展開の旗手となる。
ちなみに騎士団の一番人気は焼きそばカツパン(焼きそばパンにさらにカツを挟むカロリーが正義のパン)。二番手があんバタサンド。
前世では偶々見た原作アニメをなんとなく視聴し続けたけど、オタでもないし、むしろヒロイン及び王子には批判的だった。
前回は王子のことは愛していたし、王妃になってからめちゃくちゃ大変だったし、公爵令嬢に対する罪悪感で頑張ったものの、二回目やるにはキツイし、自分が最初からいなければ問題は起きないのでは、と早期解決を図って、問題だらけの実家を出奔した。
得意なパンはクロワッサン。
・王子様
本人の自己評価は低いものの、公爵令嬢を支援する先見の明や、あらゆる事態に対する手回しの速さから、稀代の賢王の呼び声も高く、長く平穏な治世を実現する。
公爵令嬢と同じ時代に生まれたことが不運だと評された際、彼女なくば賢王と言われることなどなかっただろう、と笑ったという。
奥さんは国内の高位貴族から大人しく目立たない女性(ちなみに一話の侯爵令嬢ちゃん)を迎えた。
なお、王子様の不義の子かもしれない疑惑は、単に隔世遺伝の言い掛かりであり、前回で解決済のため2回目の今回は悩みにもならなかった。もし記憶がなかったら、優秀な公爵令嬢に何故か婚約を断り続けられた上に戴冠式までウジウジ悩んでいた。(戴冠式でお父さんに似てる、って言われてヒロイン居なくても結局解決していた。)
好きなパンはベーシックな焼きそばパン。カツが入ると胃もたれする。




