與座の霊視 中編
「くそっ! この高島一生の不覚!」
狩りから戻ってきた賴成は、その日に狩りに出た事を酷く後悔した。 御館様が、源氏の手の者に捕らえられた事を他の使用人から聞いたのは、狩りから戻ってきた夕刻の事であった。 賴成や他の使用人達は、集落から少し離れた洞穴の付近に居を構えていたため、役人達が集落に来たことを知らなかったのだ。
「生き残った者は、どれだけいる? 今夜、御館様を救出に向かうぞ!」
賴成は、集落の外れにある、今は留守となっている竹内の小屋にて、作戦を立てる事にした。 それは、いつでも役人達のいる集落の中心から、近過ぎず、遠過ぎない、ちょうど良い立地だったためだ。
キィ、キィ
時折、"きよ坊"と名付けられた白い野ネズミの鳴く声が響く、竹内の小屋の中で、役人達と戦える腕を持った家臣を集めた。
必ず助ける! と勇んではみるものの、まともに戦える者は、自分を入れて、四名程しかいなかった。 役人達の元へ向かい、御館様を救出し、さらに役人達から逃げる。 それを四名という少人数で実行する事は、自殺行為に思えた。
「くそっ! 何か、手は無いのか!?」
キィ
「せめて、竹内殿がおれば……」
「ここにいない者の事を話しても、詮無き事よ。 今は、御館様を助ける方法を考えるのが、優先じゃ」
キィ
「そうじゃ、呪術はどうじゃ? ほれ、竹内殿が、以前、教えてくれたではないか? 犬や猫や毒虫を使った呪術を……」
「阿呆ぉ! そんなの、仕込みにどれだけの時間が掛かると思っておる? その間に御館様は……」
馬鹿馬鹿しいと切り捨てようと、口を開いた賴成の言葉が止まる。
キィ、キィ
「いや、ちょっと待て! そこの鼠! きよ坊……清重は、いつからそいつに餌をやってないかわかるか?」
賴成の突然の質問に、三人は顔を見合わせる。
「いや。 だが、長の高島が、役人に目をつけられると面倒だと、昨日から女子供は外に出ないよう指示を出したはずじゃ」
「……という事は、そこの鼠は、昨日から何も喰っておらんという事じゃな?」
そう呟くと、賴成は顎に手を当てて、思案し始める。
「……鼠を使った呪術なら、今晩、遅くとも明日の晩には、完成するやもしれん」
キィ
「本当か? それが確かなら、まだ御館様を助け出せるやもしれん」
賴成の言葉に、残りの三人の顔に希望の色が灯る。
「だが、……その呪術を行うには……人柱がいる……」
その言葉に、三人が再び、沈んだ表情を見せる。
「…………」
キィキィ
「……なら、集落の中から、一人選んで人柱にしてやれば良い!」
一人が、意を決したように呟いた。 その言葉に堰を切られたかのように他の二人が追従する。
「そ、そうじゃ! 聞いた話では、集落の誰かが御館様を売ったというのではないか? 恩を仇で返すとはこの事じゃ!」
「そうじゃ、そうじゃ! そんな集落なぞ、役人ともども滅んでしまえばいいのじゃ!」
三人の言葉を聞き、賴成も決意を固める。
「では、今夜、一人攫ってこよう。 そして、そこの鼠とその人柱を使って、呪術を行うぞ!」
「おう! では、誰を攫ってこようか? なるべく攫いやすい者がいいな」
「そうじゃな。 ならば女子供が良いじゃろう」
「なるほど、ならば清重がちょうど良いのではないか? 彼奴なら、家族もおらん。 攫う途中で騒がれても、起きて止めようとする者もおらん」
「それはいい! ぜひ、そうしよう!」
キィ
「それに、彼奴は、随分と竹内殿や御館様の世話になっておった訳だし、事情を知れば、喜んで人柱になってくれよう」
「そうじゃ、そうじゃ! 人柱にするなら、清重以上の適役はおらんじゃろう」
賴成以外の三人は、やいのやいのと騒ぎ出し、その人選に賴成は一人、少し後悔をした。 が、御館様の救出の事を考えると、仕方のない事だと、自分に言い聞かせた。
「では、今宵、きよ坊……清重を攫ってこよう」
「おおっ!」
キィ、キィ
こうして、賴成ら四名は、きよ坊を生贄にした呪術を行う事にしたのである。
◇ ◇ ◇
その呪術は、『仇鼠』と呼ばれる古い呪いだった。 手順は容易ではあったが、人柱が必要なため、効率が悪く、廃れていった呪いの一つであった。
「確か竹内殿は、そう言っていたはずだ」
清重の前で、賴成が他の三名に呪いの説明をしていた。
「……高島様、ごめんなさい。 おいら、悪いとこあったら直すから、勘弁してください」
何も知らないまま攫われた清重は、途中で目覚めたため、数発殴られ、気を失った。 そのまま、予め掘られた穴に入れられ、顔から上だけが出るように埋められていた。
気が付いた清重は、ぼんやりと松明に照らされた、自分を攫った者達の姿を見て、さらに困惑した。 皆、見知った御館様の家臣達だったからだ。 さらに主犯格の男が、自分を可愛がってくれていた高島 賴成だったことも、見知らぬ男達に攫われたわけではないという安堵感と、同時に、自分が何かしでかしてしまったのではないか? という不安を抱かせた。
敢えて、清重の顔を見ないようにしながら、清重の顔を隠すように目の細かい籠を逆さに置いた。
「高島様? ごめんなさい。 ごめんなさい」
清重は謝った。 何に対して謝っているのかわからなかったが、あの優しい賴成が、自分を埋めた上、籠で顔を隠されたのだ。 きっと、自分では気付かないうちに、何かをしでかしてしまったのだ。 じわりと涙が滲むのを堪えながら、必死で謝った。
「ごめんなさい。 ごめんなさい。 ご……べんなざい」
「……きよ坊、お前は悪くない……。 これは、仕方のない事なのだ」
そう呟く賴成の声と同時に、うっすらと光の線が見えた。その事から、籠の縁が持ち上げられるのがわかった。 その後、暗闇が戻ってくる。
キィ、キィ
聞き覚えのある獣の鳴き声。 野ネズミのきよ坊が、籠に入れられたのだ。
「うう、ごめんなさい。 昨日も今日も、きよ坊に餌をあげられなくて、ごめんなさい」
賴成は、きよ坊に餌をあげなかったことを怒っている。 清重は、そう判断した。
「鼠は、二日ほど、何も喰わねば死んでしまう……。 今、その鼠は、餓死寸前だ」
清重は、その言葉に、やはり、きよ坊に餌をあげなかった事が原因だと確信する。
「高島様、ごべんなざい。 もう二度と、きよ坊の餌を忘れないようにじます。 ズズ。 だから、許してください」
暗闇の中、泣きながら謝るが、賴成は返事をくれない。 ふと、きよ坊の赤く光る目が見えた。 野ネズミのきよ坊は、自分の顔の周りをチョロチョロと走り回っているのがわかった。
!
暗闇の中、きよ坊の冷たく小さな手が、清重の耳に触れた。
「いたっ!」
清重が思わず声をあげる。 きよ坊が、清重の耳を齧ったのだ。
「痛い! 痛いよ、きよ坊! 賴成様! お願いします。 勘弁してください!」
ぴちゃ
耳元で、鼠が血を啜る不気味な音が響いた。 清重は痛みと音に恐怖した。
「お願いします。 助けてください。 もう二度と餌を忘れないようにしますから……」
どれだけ懇願しても、返事はなかった。
「いだっ!」
今度は、唇が齧り取られた。 耳とは桁違いの痛みが走る。 思わず、辛うじて動く首から上を激しく動かして、きよ坊を振り払う。
ぎゅう
暗闇の中で放たれるきよ坊の威嚇するような鳴き声が響く。
今まで、可愛がっていたきよ坊。 最初、籠にきよ坊が入れられた時は、小さな安堵感すら覚えていた清重が、ようやく、ただの飢えた小さな獣が入れられた事を知る。
ぎゅう
齧られては振り払い、振り払っては齧られる。 清重は次第に憔悴していった。 少しずつ、少しずつ、清重の顔は、きよ坊に齧られていった。 頬を、鼻を、遂には右目の瞼に歯が当てられる。 すでにそれを振り払う気力はなくなっていた。
プツ
清重は、自分の右目が、きよ坊のげっ歯類特有の前歯によって潰される音を聞いた。
ぴちゃり
くちゃり
カサカサ
きぃきぃ
暗闇の中、血を啜り、肉を食み、歩き回り、時折、鳴き声をあげるきよ坊。
「ごえ……なさい。 ごえんな……さい」
呪詛のように謝罪を口にする清重に、応える者は一人もいなかった。
…………
どれだけ時間が経っただろう。 清重の顔は、随分と齧られ、血塗れになり、その血をきよ坊が舐めていた。 清重は、このままきよ坊に食べられて死んでしまうだろうということを覚悟していた。
不思議と痛みは感じなくなっていた。 もう清重自身もどこをどれだけ齧られたのかわからなくなっていた。
「そろそろ、ええじゃろ」
「うむ、仕上げじゃ」
空が白んできた頃、男達の声がした。
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その直後に、お経らしきものが響き始める。 その不気味な響きに清重は、恐怖を覚える。 四人の男が唱えるお経は、一定のリズムで抑揚なく響いた。
「やれで!」
それが、清重の最期の言葉となった。
籠の外から放たれた賴成による刀の一振。 清重の首ときよ坊の胴体は、同時に切断された。
ぎゅうう
最期に響いたのは、きよ坊の威嚇するような、断末魔の鳴き声だった。




