strawberry moon
数日後、生島が業者を連れてきた。 配線、配管、壁紙と、それぞれの業者がサイズや型式などを決めて行く。 壁紙は、サンプルを何種類か見て、その中から一つを選んだ。 生島もそのデザインなら問題ないと言ってくれた。 最後に細かい工事日程を決めて解散となった。
後日、生島から送られてきた見積を見て、思わず顔を顰めてしまう。 ……高い。 同レベルの工事で、いつも頼んでいる業者なら、あと2割程度は安くなる値段だ。 普通なら、業者を変えるレベルだ。
……どこを変更すべきなのかは、わかっている。 いっそ、本当に違う業者に頼むか?
……いや、あの場ですべてを話しているとは思えない。 少なくとも、私が彼の立場なら、すべての情報は出さない。 話だけ聞いて、別の業者に頼むなんて、誰でも思いつく。 そして、それを実際にやった場合、すべての情報を出さないようにしておけば、別の業者では問題は解決できない。 最終的に顧客が泣きついてくるのは目に見えている。 そうやっておいて、ダメだった時に顧客が泣きついてきたら、思いっきり吹っかける。 ……誰だってそうする。 私だってそうするだろう。
ため息を吐きながら、払うしかないと決意する。 これで、あのフロアの問題が解決するのなら仕方ない。
早速、銀行へ行って、指定口座への振込みを行った。 その後、別の仕事を終えて、時計を見ると20:00を過ぎたところだった。 私は仕事を切り上げて、行きつけのスナックへ向かう事にした。 抱えていた問題に解決の目処が立ち、一杯引っかけたくなったのだ。
駅まで歩き、ロータリーを南下すると、少し大きめの道と交差する。 その交差点を超えたところにある雑居ビルの2階のスナックに向かう。 そのスナックの名前は『strawberry moon』、6月の満月の別称だ。 バイクが趣味というママがインディアンの、とある部族がイチゴの収穫時期の満月をそう呼んでいるのだと教えてくれた。 ヨーロッパで言うところの『ハニームーン』と同じ考え方なのだろう。 夏至の頃に、月が空の低いところを通る時、波長の関係で赤く見える事があるせいで、『strawberry moon』の事を『赤い月』と勘違いされる事が多いらしいが、色は全く関係ないのだ、と彼女は続けていた。
それにしても、バイクを趣味にしている人間というのは、何故こうもインディアンの思想に傾倒する者が多いのだろう?
『strawberry moon』は、4年程前に開店したスナックで、私はその頃から足繁く通っている。 ママが同じ歳で、話が合うというのも理由の一つだが、何よりもそのママの魅力に当てられたのが大きな理由だ。 その店のママは、真由美という名前だが、源氏名なのか本名かはわからない。 サバサバした性格と年の割に若く見える容姿。 私と同じ歳とは思えない程の美しさだ。
料金は、チャージ料1,000円で、セット料金3,500円と、まぁスナックの相場通りの金額だと言える。 カラオケは、一曲200円という事だが、私のように、カラオケなし、ボトルキープなしで飲むだけなら1時間4,500円で楽しめる。
「あら、ワッキーいらっしゃい」
扉を開けると、真由美ママが親しげに話しかけながら、カウンターの一席を示す。 示された席に座り、スムーズに出されたおしぼりで顔を拭く。 焼酎の水割りを頼むと、ママの隣にいた地味目な女性、梓がお酒を作り始める。 もう1人、弥生という、小太りの女性が働いているが、今日は入っていないようだ。
「どうしたの? なんか機嫌良さそうじゃない?」
真由美ママが、笑いながら尋ねてくる。
「まぁね。 ちょっと困ってた問題に解決の目処が立ったからね」
私は、そう返しながら、お酒を飲む時だけ吸っている煙草に火を付ける。
「もしかして、例の問題?」
灰皿を出しながら、尋ねてくる真由美ママ。
「そ、霊の問題」
私は、柄にもなく駄洒落を組み込んでみた。 まぁ、気付かれないだろうが……。 私は、上機嫌で『辻褄屋』の話と、無事に料金を振り込んだ話を真由美ママに語って聞かせた。 彼女は、問題が発覚した時から愚痴を聞いてくれていた。 内情を知る数少ない人間の1人だ。 お祓いを考えた時も、下手にネットとかで探すと、インチキだったり、ヤ○ザなどが絡んでいる事もあるので、大きな神社などに頼んだ方がいいとアドバイスしてくれた経緯もある。 まぁ、結果的にはうまくいかなかった訳だが……。
「……その『辻褄屋』って本当に大丈夫?」
「スマイリーさんの紹介だから、よっぽど大丈夫だろ? 色々、実績あるみたいだし……」
「でも、その契約ってあくまで壁紙と配管・配線工事の話で、幽霊とかの問題をどうにかするっていうものじゃないんでしょ? それやっても解決しなかったらどうするの? 工事自体は、やっちゃう訳だから、返金は効かないのよね?」
せっかく、解決できる目処が立ったというのに、こうもケチをつけられては、おもしろくない。 私は少し不機嫌になりながら、考え過ぎだろ? と言って話を切った。
「まぁ、ワッキーがいいなら、それでいいけど……。 ところで、この間、新しい美顔ローラー買ったんだけど……、どう? 肌にハリが出てると思わない?」
真由美ママは、私が不機嫌になったのを察したのか、それ以上は何も言わず、美顔ローラーの話をしながら、カウンター越しに頬を差し出してくる。 触っていいという事だろうか? とりあえず、ドキドキしながら人差し指で突いてみる。
「……いやぁ、年には勝てんでしょう?」
「……年の事は言うなし」
嘘だ。 ハリのあるいい弾力で、本当に自分と同じ年とは思えない。 ボディタッチに持ち込まれ、先程までの不機嫌さは何処かへ行ってしまった。 そのまま、楽しい時間を過ごし、結局、2セットも飲んでしまった……。
◇ ◇ ◇
数週間後、いよいよ工事となった。 工事期間の立会いはスマイリーの種田にお願いして、工事完了の確認だけ立ち会った。
気のせいか、以前、淀んでいるように感じたフロアの空気も爽やかになった気がした。 それだけで問題が解決した気になれた。
配管に水漏れがない事を確認し、配線も問題なく、電気が通っている事を確認した。 最後に壁紙の浮きやシワを細かくチェックした。 一通り、確認を終えた所で工事内容確認書の実施内容と備考欄を確認し、サインという段階になった。 追加料金は発生しなかった。
工事内容確認書にサインをしながら、生島に尋ねる。
「これで……、もう大丈夫なんですよね?」
「おそらくは……。 今までの案件は、これでうまくいっていますよ」
笑いながら話す生島。 それを見て安心する。 もうこれで大丈夫なのだ、と。
「じゃ、早速準備しますね」
種田が、暗視カメラと赤外線カメラを設置し始める。 工事完了日に効果の確認のため、再度、泊まり込む予定になっていたのだ。
「種田君、設置が終わったら、先に銭湯にでも行こうか? どうせ今日は確認だけなんだ。 帰りにビールでも買って、ここで飲みながら、のんびりやろうじゃないか?」
気が大きくなった私は、種田を銭湯に誘った。 前回の泊まり込みの際は考えもしなかったが、酒盛りでもしながら、泊まり込むのもアリかと思ったのだ。
「いいですねぇ。 よかったら生島さんもどうですか?」
「いやぁ、私はやめておきますよ。 まだ、他の仕事が残ってますので……」
「では、生島さんには、また日を改めて、お礼の場を設けますので……、また連絡します」
『辻褄屋』の生島には、感謝してもしきれない。 費用とは別で、しっかりとお礼がしたいと思ったのだ。
これで……、ようやくニューワキタビルの問題は、終わったのだ。




