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65、切望

 夜になってチェス教官が面会に来た。彼女はいつも通り冷静な表情と態度だったが、僕を気遣ってくれているのは何となく分かる。キルデのことも彼が僕の父親であることもエスカから聞いたと言うが、そのことについて彼女は深く触れなかった。

 蜥蜴とかげによる学院襲撃については、当日の朝には既に自警団から教官たちに知らされていたらしい。確保に協力して欲しいとのことで、蜥蜴を油断させるため、最大限に警戒しながら日中は普段通りに授業を行ったそうだ。僕も全く気が付かなかった。


「第一隊には感謝しなければなりませんね。彼らが蜥蜴に目を付けていなければ、我々は今頃蜂の巣でした」


 チェス教官はため息混じりにそう言った。


「あの、カイ副隊長には会いましたか?」


 僕はしばらく彼の顔を見ていないから、どんな様子なのか少し気になっていた。


「ええ。相変わらず最前線に立っていましたよ。指揮官がやられてしまっては元も子もないのですが、カイにそんなことを言っても恐らく聞かないでしょうね」


 チェス教官はふっと笑みを溢した。以前にも思ったことがあるが、二人はどういった関係なのだろう。師弟のようなものか? 謎は深まるばかりだ。


「……さて、君の授業の欠席日数ですが、今回は特例として数に入れないことになりました。成績には響きませんから、心置きなくトワリス病院での治療に専念して下さい」


 チェス教官は話題を変えてそう言ったが、僕には一つ気掛かりなことがあった。


「成績がどうこう以前に……僕みたいな人間が魔導師になっていいのかどうか、分からなくなってきました」


 目を伏せてそう言った。今まで知らなかったとはいえ、僕はキルデのような犯罪者の血を引いた子供だ。素質的に問題があるような気がしてくる。そう説明すると、チェス教官は軽く首を傾げた。


「僕みたいな、とは? 自分を卑下する必要はありませんよ、ベス。誰の子供であろうと君は君です。大切な存在のために必死になれる、優秀な私の教え子。是非とも魔導師になって欲しい逸材です」


 いつも厳しいチェス教官に手放しで褒められて、僕は面食らった。思わず視線を上げると、彼女は真剣な顔で僕を見ていた。


「最終的には君が決めることですが、ここで魔導師になるのをやめてしまうのは実に惜しいと思いますよ。人の痛みを知る人間にこそ向いているのが魔導師だと私は思っていますから。もっとていに言うなら……もう少し君の担任でいさせて貰えると嬉しいですね」


「こんなに迷惑を掛けてもですか……?」


 声が勝手に震えた。彼女に対して申し訳なさを感じていた分、その言葉が嬉しかったのだ。生徒が問題を起こすと担任教官が教育局に呼び出されると、確かグルー教官も言っていた。チェス教官は僕のことで一体何度呼び出されているのか、数えるのも恐ろしいくらいなのに。


「これはグルー教官も同じ意見ですが、我々は生徒の行動が迷惑だと思ったことなど一度もありません。そもそも学生の分際で余計なお世話ですよ。迷惑を掛けて申し訳ないなどという台詞は、一人前の魔導師になってから言って下さい」


 言葉は厳しいが、そう話す彼女の表情は穏やかだった。


「私も他の生徒も君が戻ってくるのを待っています。もっとも、彼らは君が胃潰瘍で入院していると思っていますけどね。リローが勝手にそう言い触らしたので。では、おやすみなさい」


 そしてチェス教官は静かに病室を出ていった。リローはたぶん、本気で僕が胃潰瘍だとは思っていないだろう。何かしら事情があると踏んで、僕が詮索されないように気を利かせてくれたのだ。後でお礼を言わなくてはならない。

 ふと、キースのことを考えた。彼こそ僕に何かあったと気付いているに違いない。僕が外出してそのまま戻らず、入院なんてことになっているのだ。もう少し落ち着いたら彼には全てを話そうと思った。今まで散々助けて貰ったし、何より僕の心を良く理解してくれる友人だ。

 長く息を吐いてからベッドに横になった。薄明かりの中で窓の暗闇を見ていると、少し不安になってくる。明朝にはトワリス病院に移る予定だが、学院に戻れるまでどのくらいかかるだろう。今のところ心は落ち着いているように思えても、奥底の深い部分はキルデのせいでずたずたになっているかもしれない。

 コンコン、と部屋のドアが控え目にノックされた。消灯前の巡回だろうか。


「はい」


「失礼するよ。遅くなって申し訳ない」


 ドアを開けてするりと中に入ってきたのは、白衣姿の男性だった。少し長めの総白髪を耳に掛けた60代くらいの医務官だ。彼はベッドの側に立ち、じっと僕を見下ろした。


「ああ、そのままで構わないよ。良い子はもう寝る時間だ」


 僕が体を起こそうとすると、そう冗談を言って止められた。


「医務官のデイン・アキューズだ。自警団スタミシア支部の医長を務めている。……大きくなったね、ベス」


 彼は微かに目を潤ませる。スタミシア支部のデイン医長……つまり、15年前の放火事件で生き残った僕に精神の治療をした人物だ。


「……ルカ医長に聞きました。あなたが15年前に僕の治療をしてくれたと」


 僕が言うと、デインは何度か頷いた。


「ああ、そうだ。治療の効果が切れて、錯乱した君が窓から飛び降りたと報告を受けたよ。私の落ち度だ。申し訳ない」


 彼は真摯に謝るが、僕には彼の責任だとは思えなかった。


「そんな。15年間も平穏に過ごせたんです。デイン医長には感謝しています」


「優しい子に育ったんだね。しかしその優しい心は、同時に傷付きやすい心でもある」


 彼は視線を合わせたまま、すっと僕の手を握った。温かい手だった。


「少し診察させて貰おう。何も考えずに、目を閉じて」


 僕は言われた通りにした。診察といっても、握られた手の感触以外は何も感じない。一分ほどそのままの状態が続き、デインの声で目を開いた。少し険しい彼の顔が僕を見返していた。


「あまり良くない状態ですか……?」


「はっきり言ってしまうなら重症だ。今は急性期……傷を負ってすぐの状態だから、君もまだその傷を自覚しきれていない。しかしもう少し時間が経つと、正気でいられなくなるほどに辛くなるだろう。入院加療しなければ君という人格を保てないかもしれない」


 デインは恐ろしいことを言っているのだが、傷を自覚していないせいだろうか、やはり自分の話とは思えなかった。彼は僕の表情を見てそれを悟ったらしい。僕の腕を優しく叩き、言った。


「トワリス病院の医務官たちに全て任せてくれて大丈夫だよ。皆、優秀だ」


 確か、ラシャもそんなことを言っていただろうか。魔術の効きにくい彼が完治していないのは別として、あそこに入院していたキースも実際に良くなっている。優秀なのは僕も疑っていなかった。


「私も治療に参加したいが、今診察した感じだと……もう私の魔術は君には効かないらしい」


「効かないって、どういうことでしょうか?」


「同じ薬を使い続けるといずれ体が慣れてその薬が効かなくなるように、同じ人間の魔術も効かなくなるんだ。滅多にないことだがね。君には15年間私の魔術がかかっていたと考えると、その可能性は大いに有り得る」


 その話は初めて聞いたが、納得も出来た。痛み止めの薬を使いすぎて効かなくなった、なんて話は良く耳にする。


「……君は私の史上最年少の患者だった。治療は出来ないが、成人するまではきちんと経過を見守らせてもらうよ」


 デインは僕に温かい視線を向けた。彼もきっと、あの事件で他の子供たちの無惨な遺体を見たはずだ。僕はルカの言葉を思い出す。『君がここまで無事に育ってくれたことは何物にも代えがたい救いだよ』と。彼もそう思ってくれているのだろうか。だとすれば、どんな恩返しが出来るだろうか。


「僕、……生きていて良かったと思っています」


 考えた末、僕はデインを真っ直ぐに見て言った。現実は辛すぎるし、これから先も事あるごとに苦しむのかもしれない。それでも僕は、あの時死ねていたらなんて思わない。

 僕を見つめ返すデインの目が、たちまち涙で満たされていった。


「そうか。良かったと思えるんだね」


「はい」


 僕は自然と笑顔になった。この命は僕の兄弟が救ってくれた命。そしてガレットの家は、ジョエルが導いてくれた僕の居場所だ。何よりも大切にしたいし、しなければならない。

 目元を拭いながら何度も頷くデインを見て、僕は思った。不幸なのはその生まれだけで、その後は家族にも友人にも、デインやルカのような自警団の人たちにも恵まれている。恵まれ過ぎて怖くなるくらいに。

 涙が不意に頬を伝った。嬉しいのももちろんだが、これだけ恵まれていてもまだ切望してしまうことがあったのだ。キルデに話を聞いてからずっと心の中でくすぶっている思い。自警団の捜査で明らかになるだろうか。それとも永遠に分からないままだろうか。常に考えずにはいられない。

 母は僕を愛していたのか、と。

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