66、似た者同士
「久しぶりだね、ベス。改めて、私が君の主治医エドマー・ワーズです。よろしく」
トワリス病院に転院した僕を迎えたのは、初めてここへ来た時に会った医務官のエドマーだった。彼はにこやかに握手を求め、それから僕を椅子に座らせる。医者と患者というようなかしこまったものではなく、もっと砕けた接し方だ。
診察室には窓から燦々と朝の光が注ぎ、穏やかな雰囲気が漂っている。が、僕はがちがちに緊張した状態で座っていた。精神の治療を受けてぐったりしていたキースの姿を、以前に見ていたからだ。
エドマーはそんな僕に優しく微笑み、言った。
「肩の力を抜いて。まずは話を聴かせてもらうだけだから。精神治療の第一歩は患者との対話だ。君のことについては、自警団から大体の情報は貰っているんだけど……」
彼は机の上の資料に目を落とす。僕の境遇やらキルデの発言やらが書かれているのだろう。彼の表情は特に変わらなかった。
「回復するまでには少し時間が掛かるかもしれないね。君には15年前の心の傷と、今回の傷の両方がある。昔の傷はデイン医長の治療でほぼ治っていたんだけど、今回のことで完全に傷口が開いたと言っていい。また1からのスタートになると思う」
「どのくらい掛かりそうでしょうか。学院に戻って卒業するのは、難しいですか?」
「いや、入院自体は2週間もあれば大丈夫。その後は月に何回か通院という形になるね。もちろん自警団の作戦に利用されたが故に負った心の傷でもあるから、我々は君がちゃんと卒業出来るように配慮はするよ」
エドマーの言葉で少しは安心出来た。僕が頷くと、彼は持っていたペンを机に置いて体ごと僕に向き直った。
「まず私のことを知って貰おうと思うんだ。信頼出来ない人間には、何も話したくないだろう?」
「いえ、信頼出来ないなんてことはありませんが……」
彼がどんな人物なのか少し気にはなっていた。焦茶色の髪をした少しそばかすのある30代の男性。トワリス病院の子供たちに好かれていて、ラシャとは親しいらしい。僕が知っているのはそれくらいだ。
エドマーは僕の目を凝視し、ふっと笑った。
「君の目は正直に物を言うね」
「……分かりやすいですか?」
「うん。しかし悪いことではないよ。第二隊には向かないってだけで」
彼なりの冗談なのだろう。僕も少し笑った。
「僕が第二隊なんて、容姿でまず無理です。睫毛も疎らだし……」
「そう? 普通だと思うけど。身近にキースみたいな美少年がいるから、感覚がずれているのかもしれないね」
それは否めないかもしれない。毎日横であの美しい顔を見ていたら、自分の顔に求める質も上がってしまうのだろうか。人知れずコンプレックスでもあったから、エドマーにそう言われてほっとした。
「君だって顔は整っている方だと思うよ、余計なお世話かもしれないけど。ああ、私の話をしないとね。自分が言い出したのに」
エドマーは苦笑して、こう続けた。
「私は今34歳で、医務官としては18年目になる。この病院では7年目かな。新人でキペル本部に配属になって、そこで8年働いた。その後にスタミシア支部で3年、それからここへ来たんだ。支部に入る前に少し獄所台にいたんだけどね」
「獄所台で働いていたんですか?」
僕の問いに、彼は首を横に振った。
「収監されていた方だ。私は前科者なんだよ」
その発言には驚いた。獄所台に収監されるような前科者が魔導師を続けられるなんて、聞いたことがない。僕が言葉を探しながらエドマーの顔を見つめていると、彼は悲しげに笑った。
「驚くだろうね。でも、君の治療をする上できちんと伝えておきたかったんだ」
「一体、何をしたんですか……?」
まず気になるのはそこだ。魔導師を続けられるくらいだから、ほんの軽微な罪なのかと最初は思った。しかし、それくらいで獄所台には収監されないだろう。
「10年前、まだ魔力の秩序が乱れていた時代のことだけど、魔術で人を拷問したんだ」
「魔術で拷問……」
血の気が引くような発言だった。もちろん、ガベリアの巫女が消えて魔力の秩序が乱れていたことについては、授業で習っていた。魔術で人に危害を加えることは出来ないという大きな秩序だ。その秩序が消えたことで、リスカスは魔術によって人が死ぬという事態に陥った。魔術による拷問も可能になってしまった。
人間が感じることの出来る全ての痛みを、最大限で一度に味わわせる。拷問された方はあまりの苦痛で気が狂う可能性もあった。聞いただけで具合が悪くなるような魔術が、当時のリスカスには存在してしまったのだ。そしてその魔術を、エドマーは使ったという。
「誰に……、どうしてですか?」
当然の疑問だった。例えキルデが相手でも僕はその魔術を使いたいとは思わないし、使える気もしなかった。心のどこかで躊躇うのが普通だと思うが、エドマーにはそれほど憎い相手がいたのだろうか。
「お世話になっていた医務官の先輩に。情報を聞き出すためにね。彼女には何の罪もない。私が同盟に加担していたのがもっとも責められるべき罪なんだ」
淡々と話すエドマーの言葉に、また驚かされた。
「同盟って……」
「反魔力同盟。私の両親はね、ベス。どちらも同盟の人間だったんだ。グレンダリー夫妻という名前を、聞いたことがあるだろう?」
その名前は確かに授業で聞いていた。もう30年以上も前に、医務官を凄惨な方法で殺害した夫婦だ。教科書にも載るような凶悪犯の、その息子が彼だというのか。俄には信じられなかった。
「本当に……?」
「事実だよ。どう足掻こうと逃れられない事実。私がそれを知ったのは、君と同じ魔術学院の二年生のときだった。両親が自警団に捕まったのは私が2歳の頃で、それ以降は孤児院で育ったから」
親が凶悪犯罪者。エドマーは僕と似たような、いや、もっと悲惨な境遇だ。親についての事実を知ったときの衝撃も僕には理解出来る。
彼は僕の表情を窺いながら、言葉を続けた。
「私はすぐに学院をやめようとした。医務官を殺した親を持ちながら、自分が医務官になろうとしているなんて間違っていると思って。それに、両親の狂った血が自分にも流れている。犯罪者の素質が十分にあると思ったんだ」
血については、僕も同じことを考えた。チェス教官が『誰の子供であろうと君は君です』と否定してくれたから、深く考えずに済んでいた。
「でも、そのときの担任教官が言ってくれた。『お前に罪は無い。人として正しくありたいなら、両親と反対側に居続ければいい』と」
「反対側に居続ける……」
「そう。医務官として、人を助ける立場に居続けること。それが私にとって正しい道だと教えてくれた。簡単なことではなかったけどね。実際、私は同盟の人間にそそのかされて彼らに加担した。両親は冤罪で、自警団は嘘を吐いていると。冷静に考えればそれこそが嘘だと分かるが、当時の私は信じてしまった。そして恩人でもある先輩に拷問の魔術を使った。躊躇いはもちろんあったよ。でもそこで止まれなかったのは、私の弱さと、認めたくはないが両親から引き継いだ血のせいだと思っている」
一気にそう言うと、エドマーは目を伏せて長く息を吐いた。それから視線を上げ、僕に尋ねた。
「どうだろう、今の時点で私が怖いと思うかい? 君の主治医に自ら名乗り出たのは私だが、他の医務官に変わってもらうことも出来るよ」
僕は彼が怖いとも思わなかったし、主治医を変わって欲しいとも思わなかった。反対側に居続けるのは簡単なことではない――それはまるで僕に向けられた言葉のようだったから。キルデのような人間になりたくなくても、きっかけさえあれば僕もそうなる可能性がゼロではないということだ。
「いいえ。……エドマー先生は、どうして僕の主治医に?」
「単純なことだよ。凶悪殺人犯の親を持ってしまった苦悩は、同じ境遇の者でないと理解出来ないから。私は君に幸せに生きていって欲しいと思っている。医務官としてその手助けをしたいんだ」
彼の微笑みで思わず目頭が熱くなる。どうして僕はこんなにも周りの人間に恵まれているのだろうか。
もしかするとそれは、あの事件で犠牲になった兄弟のおかげなのかもしれない。生き延びた僕がこの先も幸せに生きていけるようにと。何故かそんな気がして、心の奥がじわりと温かくなる。流しかけた涙も不思議と引っ込んでいた。
「……おや。意外と早く退院出来るかもしれないね」
僕の顔を見たエドマーが、そう言って笑ったのだった。




