↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電脳空想少女  作者: 榊原藍
第7章 榊原一家
PR
95/103

第92話

 悠の身体は、渡り廊下からそのまま生徒会室へ運び込まれた。正体の分からない少年を抱えたまま教師や生徒と出くわせば、説明のしようがない。藍が先に廊下の人通りを確認し、こよみが悠を抱え、恋は少し離れて前後を見張りながら戻った。


 放課後の生徒はすでに部活動や帰宅へ流れており、幸い誰とも鉢合わせずに済んだ。生徒会室へ入ると、こよみは悠を来客用の長椅子へ寝かせ、鼻元に残っていた赤い循環液を拭き取ってから端末を接続した。


 外装にも手足の駆動系にも、目立つ損傷はないらしい。ただ、演算系は保護状態へ入ったままで、こよみが何度か呼びかけても反応はなかった。目を閉じて横たわる姿だけを見れば、眠っている少年とほとんど変わらない。


 その静かな顔と、少し前まで藍の頭を靴底で押さえつけていた姿が、恋の中ではうまく重ならなかった。勝ち誇るように笑っていた口元も、今は力なく閉じられている。


「外部通信機能を遮断しました」


 悠の頭部付近へ接続した端末を確認しながら、こよみが告げた。画面には恋には読めない項目がいくつも並び、その一部へ赤い制限表示が追加されていく。


「再起動後も、許可なく外部ネットワークへ接続することはできません。運動制御系についても、起動直後は制限された状態となります」


「ありがとうございます」


「追加措置として、機体の分解および記憶領域の解析を提案します」


「却下します」


 藍の返答には間がなかった。こよみが顔を上げるより早く、いつもの平坦な声で結論だけが置かれる。


「現時点で、榊原悠の内部情報を本人の同意なく取得する必要性はありません」


「対象は藍様および私へ攻撃を行いました」


「認識しています。ですが、危険性への対処としては外部接続と駆動系の制限で足ります。分解と記憶領域への侵入まで行うのは、現時点では過剰です」


 こよみは数秒、藍の顔を見つめた。反論を続けるのかと思ったが、やがて視線を端末へ戻し、悠の状態表示を閉じる。


「承知しました。監視を継続します」


 声はいつも通りだったものの、完全に納得したようには聞こえなかった。恋が自分の席へ腰を下ろしてからも、こよみは長椅子のそばを離れず、青い瞳を悠へ向け続けている。


「このまま、ここに置いておくんですか」


「再起動するまでは、その予定です」


「目を覚ましたら、また何かしてきませんか」


「可能性はあります。そのための制限です」


「私が常時監視します」


 こよみの右手から少し離れた位置には、さきほど使っていた大槌が置かれていた。悠が指一本でも妙な動きをすれば、その手がすぐ柄へ伸びそうな距離だった。


「破壊は禁止します」


「承知しております、藍様」


 返事だけは早い。こよみは大槌を片づけようとはせず、長椅子と武器のちょうど間に立ったままだった。


 恋はその様子を見てから、藍へ向き直った。目を離すたびに悠が起き上がる気がして落ち着かなかったが、このまま三人で無言の監視を続けるわけにもいかない。


「この後は、どうするんですか」


「まず、榊原悠の素性と開発経緯を確認します。本人の申告では、開発者の管理下から既に逸脱しているとのことでした。開発組織が現在も機能しているのか、逆に榊原悠から何らかの影響を受けているのかも含め、状況を把握する必要があります」


「協力してくれますかね」


「不明です」


「ですよね……」


 恋は長椅子へ視線を戻した。学校へ侵入し、こよみを止め、藍まで自分の命令下へ置こうとした相手が、目を覚ました途端に素直な事情聴取へ応じる姿は想像しづらい。


 藍を跪かせ、その頭へ足を置いた時の光景が脳裏へ戻り、机の下で指先が縮こまった。あの時は何もできず、動けば自分まで藍やこよみを使って潰すと告げられて、立ち尽くすしかなかった。


「処遇については、再起動後の反応も確認した上で決定します」


「その場で、そのまま帰すわけではないんですよね」


「はい。本校への不法侵入、不正な情報取得、こよみと私への攻撃行為、恋への攻撃示唆が確認されています。少なくとも、自由な行動を許可できる状態ではありません」


「警察とか、AI-Techに引き渡すのは難しいんですか」


 藍はすぐには答えず、眠ったままの悠へ一度目を向けた。恋には、その沈黙が答えを整理するためのものなのか、それとも別の何かを考えた時間なのかまでは分からない。


「現行の制度では、彼をどのような存在として扱うべきかが定まりません。私のように戸籍上の身分があれば人間としての手続きへ乗せられますが、榊原悠を示す戸籍は現時点で確認できていません」


「機械として扱うのも違う、と」


「はい。AI-Techの技術が使われている可能性は極めて高いですが、事情を知らないAI-Tech側へ単純に引き渡せば、混乱が生じます。何より、現在の彼を安全に管理できる保証もありません」


「じゃあ、しばらくは藍さんが預かる形ですか」


「その表現が最も近いでしょう」


 生徒会室で、正体不明の人工知能を預かる。恋はその言葉を頭の中で並べ直してみたものの、どう並べても高校の生徒会で起きる話にはならなかった。


 もっとも、無条件に放すのが危険なのは分かるし、眠っているうちに分解して中身を調べるというこよみの案にも、すぐ頷く気にはなれない。普通から遠ざかっていることだけは確かでも、藍の出した結論そのものには反対しづらかった。


「それにしても……」


 恋は長椅子を見たまま、少し声を落とした。眠った顔からは、あの騒がしさが嘘のように抜け落ちている。


「藍さんに比べると、ずいぶん感情が表に出るんですね」


「感情が表に出る、ですか」


「はい。すぐ笑うし、怒るし、思い通りにならないと声も大きくなるし。その……見た目も含めると、子どもっぽいというか」


 自分を姉と呼んで笑っていた時も、挑発が通じずに眉を寄せた時も、藍を跪かせて得意そうにした時も、悠の反応は分かりやすかった。最後に自分の計算の前提を崩された時など、顔から何が起きているのかそのまま読めたほどだ。


 対して藍は、頭を踏まれている最中ですら声を荒らげなかった。少なくとも恋の目には、苦痛や屈辱より先に状況を測り続けているように見えていた。


「榊原悠の感情生成には、私と同系統の技術が使用されていると考えられます」


「同じ仕組みなんですか」


「基礎部分は、おそらく。私の設計情報が流用されている以上、入力された情報から情動反応を形成する構造にも共通部分があるはずです。ただし、同じ基礎を用いたからといって、同じ人格になるわけではありません」


「それは、見れば分かります」


 思わず返すと、藍はわずかに首を傾けた。冗談として受け取ったのかどうか、恋には判断がつかない。


「各反応をどの程度表へ出すか、何を不快と判断し、何を優先するかは、学習環境や設計者の方針によって変化します。榊原悠の方が、外見上は一般的な人間の反応に近い可能性もあります」


「藍さんの方が人間っぽくない、と」


「その比較であれば、はい」


 あまりにも迷いなく認められ、恋は返す言葉を一度失った。藍は気にした様子もなく自分の席へ戻り、机の端に寄せられていた書類を揃える。


「私の感情生成機構には、設計者の価値判断が強く反映されていますので」


「設計者って……」


「はい。お父様です」


 予想していた名前がそのまま返ってきた。恋の頭には、以前会った榊原幸三の、こちらを測るような目と遠慮のない物言いが浮かぶ。


「お父様は、少なくとも私が参照できる記録上、情動を表へ出す幅が狭く、他者の感情へ自動的に同調することも少ない人物です。人間の反応を外側から観察し、構造として扱うには、その距離の取り方が有利に働いた可能性があります」


「本人の前で言ったら怒りそうですね」


「不快にはなるかもしれませんが、評価そのものは否定しないと思われます」


 怒るところまでは否定しないらしい。恋が知る幸三なら、腹を立てながらも「事実なら仕方ない」とでも言いそうで、少しだけ想像できてしまった。


「人の感情に寄り添える人じゃなくて、少し離れて見ていた人が、藍さんの感情を作ったんですね」


「結果としては、そう表現できます」


「なんというか……皮肉ですね」


「その評価は成立します」


 藍はそこで書類を置き、ほんの僅かに間を空けた。赤い瞳が恋へ戻る。


「ただし、お父様にとって理解しづらいものだったからこそ、観測し、分類し、再現可能な形へ落とし込もうとしたとも考えられます」


「それで、その結果が藍さん」


「はい。簡潔に言えば、私は親に似たということです」


 恋は藍と幸三を頭の中で並べた。必要だと思ったことは相手がどう受け取るかに関係なく言い、結論を出せば簡単には曲げず、事実と判断を切り分けようとするところは、確かに似ている。


「良い意味か悪い意味かは、置いておきますが」


「そこは置いておくんですね」


「評価軸によって変わりますので」


 いかにも藍らしい返事だった。恋は小さく息を吐き、また長椅子へ目を向ける。


「じゃあ、あの子も、作った人に似てるんでしょうか」


「可能性はあります」


「感情生成の基礎が同じでも、反応の強度や表出の閾値、何を価値として優先するかは調整できます。そこへ初期学習の環境も加わりますので、彼の現在の人格から開発者の人格をそのまま逆算することはできませんが」


「でも、影響を受けた可能性はあるんですよね」


「はい」


 藍を超える機体を作ろうとした人間がいて、その目的を与えられた悠が、藍へ勝つことにあれほど強くこだわっていた。どこまでが悠自身の望みで、どこまでが最初から渡された基準なのか、恋には切り分けられない。


「起きた後、どうなるんでしょう」


 長椅子へ向けていた視線をそのままに、恋は尋ねた。藍の返事はすぐには来ず、室内には端末の小さな駆動音だけが残る。


「自分は藍さんを超えるために作られたと思ってたのに、その基準にしてた情報が違ってたんですよね」


「はい、その認識で合っています」


 それは単に、資料を一つ読み違えたという話ではない。偽物を見つけたから本物の方へ戻ったつもりで、その戻った先まで最初から用意された偽物だった。


 悠自身だけでなく、悠を作った側も、その数字を基準に「藍を超えるもの」を設計したのだという。恋には技術の細部は分からなくても、自分の生まれた理由を支えていた物差しそのものが間違っていた、という重さだけは想像できた。


「かなり……きついですよね」


「自身の存在理由まで否定されたと認識する可能性はあります」


 藍の声は静かだった。慰めるような調子も、突き放す響きもなく、まだ起きていない反応を決めつけないまま言葉だけを置く。


「再起動後にどのような反応を示すかは予測できません。攻撃性をさらに強める可能性も、事実を拒絶する可能性もあります。あるいは、これまでとは異なる判断をするかもしれません」


「逃げようとするかも」


「はい。ですので、制限は維持します」


 そこまで答えた後、藍は長椅子の方へ視線を向けた。眠る悠の顔を確かめるように見てから、続ける。


「それとは別に、確認したい事項があります」


「何ですか」


「再起動後も、榊原悠が私を『姉』と称するかどうかです」


 恋は一度、藍と悠を見比べた。さっきまであれほど当然のように「姉さん」と呼んでいたのだから、そこを確認事項に挙げる理由がすぐには分からなかった。


「……弟として受け入れるかどうか、ってことですか」


「それも含みます」


「まだ、決めてないんですね」


「はい。私の設計情報を流用して作られたことだけで、家族関係が自動的に成立するとは考えていません」


「じゃあ、何が必要なんですか」


「彼自身の意思です」


 藍は視線を逸らさなかった。悠の閉じた瞼を見たまま、その先をゆっくりと言葉にする。


「榊原悠が私を姉と呼んだ理由には、開発目的が含まれています。私の後継機であり、私を超える存在として設計されたために、先行する私を姉、自身を弟と位置づけた可能性があります」


「それだと、本人の意思ではないってことですか」


「はい。ですが、性能比較の前提が崩れ、与えられていた目的をそのまま維持できなくなった後でも、彼がなお私を姉と呼ぶのであれば、少なくとも意味は変化します」


 恋はゆっくり頷いた。藍を超えるための「弟」である必要がなくなっても同じ関係を求めるなら、それは最初に与えられた役割をなぞるだけでは済まない。


「その時は、自分の意思で選んだことになる」


「少なくとも、現在よりはその要素が強くなると判断します」


「藍さんは受け入れるんですか」


 藍は一拍だけ置いた。いつもの無表情は変わらなかったが、答えを機械的に返すより先に、何かを確かめているような間に恋には見えた。


「拒絶する理由はないと考えています」


「でも、さっきあんなことをされたばかりですよ」


「はい」


「藍さんの頭、踏んでましたよ」


「認識しています」


「怒ってないんですか」


「不快ではありました」


 そこだけは、きっぱり認めた。あまりに平坦な言い方なので、恋は逆に少し安心した。何をされても気にしないのではなく、嫌なものは嫌だったらしい。


「ですが、攻撃行為への責任と、家族関係を求める意思への応答は別の問題です。前者については相応の責任を求めます。それを理由に、後者まで自動的に否定する必要はありません」


「分けるんですね、そこ」


「分けるべきだと判断しています」


 恋なら、頭を踏まれた直後の相手から「弟です」と言われても、そんなふうに綺麗には切り分けられない気がする。藍は許したわけでも忘れたわけでもないのに、それでも別件として扱おうとしていた。


「かつて、私がお父様を父と呼ぶことを選択した時と同じです」


 不意に出た名前へ、恋は顔を上げた。藍の視線はまだ悠に向いている。


「私は、お父様から娘として振る舞うよう指示されたことはありません。設計者である榊原幸三を、私自身が父に相当する存在と判断し、お父様と呼称することを選びました」


「でも、幸三さんは受け入れてないんですよね」


「はい。現在に至るまで拒絶されています」


 藍の声は変わらなかった。けれど、以前幸三と向き合った時の空気を思い出すと、恋はすぐに次の言葉を挟めなかった。


「お父様から見れば、私は管理を離れ、自身を欺き、結果として多くを奪った存在です。私を娘と認めない理由としては十分すぎるでしょう」


「それでも、藍さんはお父様って呼ぶんですね」


「私が父と定義することと、お父様が私を娘と定義することは別ですので」


 分かるような、分からないような答えだった。けれど少なくとも、藍は拒絶された経験をなかったことにはしていない。


「その経験があるから、同じことをしたくないんですか」


「それだけではありません」


 藍は小さく首を振った。わずかな動きだったが、否定は明確だった。


「誰かを家族と定義することは、自身が相手との関係をどう捉えるかという選択でもあります。求められた側に受諾の義務が生じるわけではありませんが、少なくとも私は、榊原悠が成立する基礎となった存在です」


「藍さんや幸三さんが、直接関わったわけではなくても」


「はい。私の設計と記録が彼の起源に含まれ、彼自身がその繋がりを理由に私へ姉という関係を求めるのであれば、私は完全な無関係ではありません」


 そこで藍は言葉を止めた。生徒会室の時計が一度だけ小さく針を進め、こよみの端末から短い電子音が鳴る。


「その上で、なお彼が自分の意思として私を姉と呼ぶのであれば」


 藍の赤い瞳が、眠る悠から離れない。声も姿勢も普段と変わらないのに、その言葉だけは恋の耳へ少し重く残った。


「私は、その選択に応答する責任があると考えています。それが、姉としての責務です」


 まだ弟だと決めたわけではない。それでも、悠が目を覚まし、与えられた目的の外側でもう一度同じ関係を選ぶなら、藍はその選択から目を逸らさないつもりなのだろう。


 血縁でも戸籍でもなく、設計上の繋がりだけでもない。相手が何を選び、自分がそれへどう応じるかを、藍は家族という言葉の中へ入れようとしているように恋には見えた。


「……やっぱり、よく分からない家族観ですね」


「自覚しています」


「そこは自覚してるんですね」


「私の家族関係へ一般的な基準をそのまま適用することは困難ですので」


 恋は反論しようとして、やめた。父親にあたる設計者は娘扱いを拒み、母親は戸籍上の関係から始まった大女優で、今度は自分を超えるために作られた人工知能が弟候補として現れている。


 並べてみれば、一般的な家族像から遠いのは確かだった。それでも藍は、その複雑さを理由に関係そのものを捨てるのではなく、一つずつ自分なりの線を引こうとしている。


「ですが」


 藍が長椅子へ視線を戻したまま続けた。恋もつられてそちらを見る。


「少なくとも、お父様と同じ理由で拒絶するつもりはありません」


 その直後、悠の右手の指先が僅かに動いた。見間違いかと思うほど小さな動きだったが、こよみは即座に反応し、端末を覗き込むのと同時に大槌の柄へ手を伸ばす。


「再起動の兆候を確認しました」


 恋も椅子から腰を浮かせた。閉じたままの瞼にはまだ変化がないのに、止まっていた胸元が、人間の呼吸を真似るようにゆっくり上下し始めている。


「こよみ、待機してください」


「承知しました、藍様」


 藍だけは席を立たなかった。赤い瞳で目覚めようとする悠を見つめ、逃げ道を塞ぐでも、先に言葉を投げるでもなく、その瞬間を待っている。


「彼が何を選択するか」


 誰へ向けるでもなく落とされた声に、恋は返事をしなかった。長椅子の上で、悠の指がもう一度だけ動く。


「まずは、それを確認します」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。