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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第8章 魔法少女と終わりの蝕
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第111話 The Road To The Blue

 星風麗奈と話した翌日の放課後、生徒会室の長机には市内の地図が三枚並んでいた。桜川恋が席へ着く頃には、榊原藍がそれぞれに色の異なる印を重ね終えており、雪代こよみが新しい記録を端末へ取り込んでいる。窓際に立つミレイは目を閉じたまま、こちらの話にも加わらず、指先だけを時折動かしていた。


 昨日の体育館で、麗奈は考えを変えるつもりがないと言った。恋も引き下がらないと答えたが、具体的に何をすれば儀式を止められるのか、まだ分からないことの方が多い。机の上の地図を見下ろすと、あの時交わした言葉が急に現実の距離を持ち始めたように感じられた。


「まず、確認できた情報を共有します」


 藍が恋の前へ一枚目を寄せた。住宅街、河川敷、閉店後の商店街、山沿いの道路に赤い点が打たれ、横には発生時刻が細かく記されている。

 怪物の目撃や建物の損壊に関する情報をまとめたものだというが、点の分布だけを見ても規則性は見つからなかった。


「この数日間に確認された異常地点です。すべてが怪物の出現によるものとは断定できませんが、複数の情報が一致した地点を優先しています」


「……ずいぶん広いですね。私たちが襲われた場所もあります」


「はい。ただし、怪物が発生した場所と、今回の儀式の起点が同じとは限りません」


 藍は印の一つを拡大してから、二枚目の地図を隣へ置いた。こちらには淡い色の線が山の麓から市街地へ向かって伸び、場所によって太さが違っている。恋には何を表しているのか分からなかったが、ミレイが目を開けると、線のうち三本へ順番に指を置いた。


「昨日より濃くなってる。こっちの道と、川沿い、それから山道にも残ってるよ」


「同じ魔力ですか?」


「三種類。混ざってるところもあるけど、辿っていくと同じ方角へ戻る」


 ミレイの指は地図の北西へ進み、住宅地が途切れるあたりから山の中へ入った。細い痕跡は離れるほど薄くなり、逆に山へ近づくほど輪郭がはっきりしている。恋がその先を覗こうと身を乗り出すと、机の端に浮かんでいたハートが二人の間へ入ってきた。


『間違いない。フェンリル、ユニコーン、オーガの魔力だよ。麗奈が持ってる三つの神器のものだ』


「三つとも、同じ場所に集まっているんですか?」


『正確には、そこから痕跡が伸びてるように見える。神器自体が今どこにあるかまでは、これだけじゃ分からないけどね』


 恋はハートの説明を聞いてから、三枚目へ目を向けた。そこには怪物の発生記録と魔力の痕跡が重ねられ、時刻を進めると印が少しずつ増えるようになっている。

 山の近くで確認された異常が市街地へ向かって広がり、その周辺に神器の魔力が残っているのは確かだった。ただ、怪物と神器が直接結びついているのかは、恋には判断できなかった。


「魔力の濃度、検出時刻、施設周辺の記録を照合しました。儀式の準備が進められている可能性が最も高いのは、ここです」


 藍が地図の一点を指すと、古い建物の航空写真と施設名が表示された。山腹の斜面に円い屋根が一つ見え、細い管理道が市街地へ続いている。恋は画面の文字を読み、思わず首を傾げた。


「旧市営天文台……ですか?」


「五年前に閉鎖されている天文台ですね。常駐する職員はおらず、現在は定期的な管理が行われるのみです」


「人が来ない場所なら、確かに何かを準備するには都合がよさそうですけど……」


 恋は天文台の写真を見つめた。まだ中に麗奈がいると確認できたわけではなく、怪物が山から生まれたとも限らない。

 それでも三つの神器の痕跡が同じ方角へ収束している以上、見過ごすわけにはいかなかった。体育館で交わした最後の言葉が、頭の中でまた繰り返される。


『麗奈がBlue Eclipseを始めるなら、ここかもしれない』


「……いや、もう始めてると思う」


 ミレイの声が低くなった。恋が顔を向けると、彼女は窓の外ではなく、もっと遠い場所を探るように目を細めている。指先には淡い紫色の光が浮かび、すぐにほどけて消えた。


「さっきから大きい魔力が動いてる」


「儀式の準備段階から移行した可能性があります」


『急いだ方がいい。完成してからじゃ、間に合わない』


 ハートの声に、いつもの軽さはなかった。恋は膝の上で手を握り、まだ制服の下に残っている魔力の感覚を確かめる。昨日までの訓練では、弱い魔力を曲げるだけでも肩が熱くなり、複数の操作を重ねれば転んでしまった。その程度の力で麗奈の前へ立つのだと思うと、机の上の印がひどく遠く見えた。


「先に現場の安全を確保します」


 藍は天文台を中心にした山道の図へ切り替えた。管理道の先には敷地へ続く門があり、周辺は斜面と林に囲まれている。恋が見ても出入りできそうな場所はいくつかあり、一般の人が迷い込む可能性も、麗奈を狙う魔法少女が現れる可能性も考えられた。


「ミレイさん。天文台と周囲の林を結界で覆えますか。一般の方を危険区域へ近づけず、星風さんを狙う魔法少女の介入も可能な限り制限したいのです」


「できるけど、この広さを囲うとしたらその間はほかの魔法はあんまり使えと思って。完全に閉じちゃうのも避けたい」


「どうしてですか?」


「内側と外側で魔力の平衡を保つ必要があるの。全部遮断しようとすると、結界そのものが不安定になるんだよ」


 ミレイは地図の周囲を指でなぞり、管理道の部分だけを空けるように手を止めた。そこを出入口として残し、ほかの場所からは外部の人間が入れないようにするという。恋はその説明を聞き、天文台へ続く一本道を見た。侵入できる場所を一つに絞れるのはありがたいが、その一か所を守る人間が必要になる。


「その点は手配します」


 藍は連絡用の画面を開き、迷いなく風紀委員会へ発信した。しばらくして、東雲葵の声が机上の端末から聞こえてくる。恋は急に名前を呼ばれたわけでもないのに、反射的に背筋を伸ばした。


『藍か。何だ、こんな時間に』


「葵さん。今夜、戌井涼さんへ校外での協力を依頼したいのですが、差し支えありませんか」


『……は? 涼を? 何かあったのか』


「危険性の高い事案が発生しています。詳細は現時点で共有できませんが、一地点の防衛をお願いしたいと考えています」


『場所も相手も言えねえのに、あいつを出せってのか』


 机の向こうから短い沈黙が返ってきた。恋は藍の横顔を見たが、会長は通話先の反応を急かすこともなく待っている。相手が何者か分からないまま戌井を危険な場所へ向かわせるのだから、葵が簡単に頷かないのも当然だろう。


「戌井さん本人には、役割と危険性をお伝えします。受諾されなければ別の方法を検討します」


『……涼の力が必要なんだな』


「はい」


『分かった。本人にはあたしから話す。あいつが引き受けるなら連れてけ』


「ありがとうございます」


『礼はいい。無事に帰ってこいよ。終わったらこっちにも連絡しろ』


「承知しました」


 通話が切れると、恋は端末の消えた画面を見つめた。葵は詳しい事情を聞けなかったのに、最後には戌井の判断を信じて任せた。短い会話だったが、そこに積み重なっている時間を恋は知らない。少なくとも、葵が軽い気持ちで了承したわけではないことは伝わってきた。


「東雲先輩、すごいですね。ほとんど説明してないのに……」


「戌井さんへの信頼があるのでしょう。ただし、それと危険を告知する責任は別です。到着後、私からも必要事項を伝えます」


 藍は連絡先を閉じ、全員へ目を向けた。こよみは端末を胸の前へ抱え、灯は窓際の椅子に腰を下ろしたまま静かに話を聞いている。恋は自分の名前を呼ばれる前から膝へ力が入るのを感じ、姿勢を正した。


「こよみと宵闇さんには、周辺住民の避難と負傷者の救助をお願いします。結界の外周を中心に行動し、危険を確認した場合は速やかに共有してください」


「承知しました、藍様」


「ん。分かった」


「ミレイさんは結界の維持を最優先してください。内部で戦闘が始まっても、支援のために結界を解除することは避けていただきたいのです」


「了解。維持するだけでもかなり魔力を使うから、最初から戦力には数えないでね」


 ミレイは軽く肩をすくめたが、その声には先ほどの冗談めいた調子がなかった。恋は先日の屋上で彼女から魔法を教わったことを思い出した。あれほど強い魔力を扱うミレイが、今回は結界を守るために動けなくなる。それだけの規模の事態が、天文台で始まっているらしかった。


「戌井さんには、結界の唯一の出入口を守っていただきます。外部からの侵入を防ぎ、緊急時にはこちらの退路も確保する役目です」


「……それじゃ、私は」


「恋は星風麗奈さんとの対話、および必要に応じた儀式への干渉です。ハートには神器と礼装の維持、状況に関する助言をお願いします」


『分かった。恋に無理な出力を強いることはしないよ』


 恋は短く頷いた。昨日、体育館で麗奈と向き合った時には、言葉を尽くしても相手の考えは変わらなかった。次に会えば、同じように話せるとは限らない。自分の役割が「対話」から「干渉」へ移る瞬間を想像すると、杖を握る手の感覚だけが妙にはっきり思い出された。


「私は現場全体の指揮と、恋の退避を含む状況判断を担当します」


 藍の声がそこで一度止まった。恋が顔を上げると、赤い瞳は地図ではなく自分へ向いている。昨夜まで何度も言われてきた危険について、ここでも同じ注意を受けると思ったが、藍はしばらく見つめた後で端末を閉じた。


「出発します。準備が済み次第、合流してください」


 恋は椅子を引き、地図に記された天文台の位置を最後に見た。閉鎖された建物はまだ小さな写真の中にあるだけだが、もうそこへ向かうことは決まっている。携帯する道具を確かめながら、恋は昨日の麗奈の言葉をもう一度思い出した。

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