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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第1章 全ての始まり
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第1話

 桜川恋(さくらがわ れん)は、人と深く関わらないことだけは、昔から上手かった。


 だから入学式の朝も、教室に漂う浮ついた空気を、どこか他人事のように眺めていた。


 青葉(せいよう)第二高等学校。県内でも名の知れた進学校で、真面目で、品がよくて、少なくとも外から見れば問題の少ない学校――らしい。けれど、入学初日の新入生にとって大事なのは、そんな学校案内の文句ではない。隣の席の相手が話しかけてくるかどうかとか、もう小さなグループができ始めているとか、そういう目の前の細かなことの方が、ずっと現実的だった。


 恋は自分の席に座ったまま、机の上に配られた書類へ視線を落とすふりをした。


 実際には、ほとんど読んでいない。


 読まなくてもいいと思った。どうせ大事なことは後でもう一度説明されるし、教室の空気に馴染もうと無理をしても疲れるだけだ。なら最初から、静かにしていた方がいい。


 前の方では、もう何人かが打ち解け始めている。出身中学の話、通学時間の話、部活に入るつもりかどうか。そういう無難な会話が、教室のあちこちで小さく弾んでいた。


 誰も恋に話しかけてこないのは、ありがたいことだった。


 その代わりというべきか、窓際の席から振り返った金髪の少女が、いかにも当然のような顔でこちらを見た。


「恋。またそうやって壁つくってる」


 古角光里(こすみ ひかり)だった。


 幼い頃からの腐れ縁で、今日この場にいる数少ない『知っている顔』でもある。制服の着こなしは初日から妙に板についていて、まだ新品のはずなのに、彼女が着るともう何日も前から着慣れているみたいに見えた。


「別に壁は作ってない」

「作ってる。すごいよ。入学初日にして話しかけるなオーラ完成してるもん」

「便利でしょ」

「便利だけど、ちょっとは友達作る努力しなよ。髪色は明るいんだからさ?」

「一応、気にしてるんだけど」


 恋は肩につかない長さの毛先を指でいじりながら、少しむすっとした表情で光里を見る。入学前、高校デビューだと光里に押し切られて薄いピンクに染めたわけだが、正直今でも後悔している。


「ごめんってば。でも、そこまで浮いてないじゃん?結構染めてる子、多いし」


「まあそうなんだけどさ」


 光里の言う通り、幸いにも変な悪目立ちはしておらず、周囲の視線に怯える必要はなかった。進学校にしては珍しく、髪色を自由に染められるくらいには校則は緩い。髪色を明るくして入学式を迎える初々しい一年生も、毎年の恒例行事のようなものだそうだ。

 ……もっとも、自分がその恒例行事の当事者になるとは受験当時思っていなかったが。


「それに、友達は光里がいるから別にいい」


 そう言うと、光里は一瞬だけ目を丸くして、それから肩をすくめた。


「重いって、それ」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけど」

「はいはい。そういうことにしとく」


 そこで担任が入ってきて、教室のざわめきが慌てて収まった。


 起立、礼、着席。初日の教室はそれだけで妙に緊張感がある。担任は簡単に自己紹介をしてから、これから体育館へ移動して入学式を行うこと、配布物を無くさないこと、勝手に列を乱さないことなど、いかにも初日らしい注意をいくつか並べた。


 恋は黙って立ち上がる。


 周囲と同じように動いていれば、それだけで十分だった。


 目立たず、深入りせず、必要なときだけ返事をする。


 そうしていれば、たいていのことは穏便に済む。


 体育館へ向かう列の中で、光里は前の方の誰かとさっそく話し始めていた。こういうところは昔からすごいと思う。知らない相手にも遠慮なく踏み込めるし、踏み込んだ上で嫌われにくい。恋にはない才能だった。


 体育館の空気はまだ少し冷えていて、磨かれた床の匂いと、体育館特有の乾いた広さがあった。新入生たちはクラスごとに並ばされ、保護者席の方からは、時折小さく椅子の軋む音や、咳払いが聞こえる。


 壇上の紅白幕。校旗。式次第。


 どこにでもある入学式の光景だった。


 校長の話も、来賓の祝辞も、長いだけで大差はない。恋は正面を向いたまま、意識の端で時間が過ぎるのを待っていた。眠くはならなかったが、真剣に聞くほどでもない。周囲の新入生たちは、緊張しているのか真面目なのか、みんなそれらしい顔をして前を見ている。


 その空気が、わずかに変わったのは、生徒会長の歓迎の言葉が告げられたときだった。


 ざわめき、というほどではない。けれど確かに、体育館の空気が少しだけ揺れた。


 恋はそのとき初めて、少しだけ顔を上げた。


 壇上の袖から現れた少女は、遠目にもはっきり分かるほど、完成された姿をしていた。


 黒髪は艶やかに長く、まっすぐ背に流れている。制服の着こなしには乱れがなく、立っているだけで壇上の空気が変わった。女子にしては高めの身長もあって、壇上の中央へ歩いていくその姿は、不思議なくらい視線を集める。


 そして、顔を上げた瞬間に見えた瞳の色が、妙に印象に残った。


 赤い、と思った。


 もちろん光の加減かもしれない。遠いし、体育館の照明だって完璧ではない。それでも恋には、その目がひどく鮮明に見えた。


「……あれが榊原(さかきばら)先輩」


 前の列の誰かが、小さく囁いた。


「やっぱりすごい綺麗……」

「本物初めて見たかも」

「同じ学校にいる感じしないよね」


 そんなささやきが、風みたいに散る。


 恋は名前だけ知っていた。榊原藍(さかきばら あい)。入学前から有名だった。青葉第二の生徒会長、学校一の美少女、成績優秀、品行方正……教師からの信頼も厚い。噂だけなら、ほとんど作り物めいている。


 けれど、壇上に立った姿を見れば、そう言われるのも分かる気がした。


 榊原藍はマイクの前で一礼し、原稿に目を落とすことなく、静かに口を開いた。


「新入生の皆さん。青葉第二高等学校への入学を歓迎します」


 よく通る声だった。


 大きく張り上げているわけではないのに、不思議と隅まで届く。落ち着いていて、澄んでいて、無駄がない。歓迎の挨拶としては柔らかな言葉を選んでいるのに、その声そのものに明晰さがあった。


 この学校での日々がどんなものになるのか。何を学び、何を選び、どう過ごしていくのか。ありきたりといえばありきたりな内容だ。けれど、ありきたりな言葉なのに、彼女が話すと妙に輪郭がくっきりする。


 恋はしばらく、そのスピーチを聞いていた。


 聞いていた、というより、見ていたに近い。


 姿勢がまったく崩れない。言葉に詰まらない。次の文へ移る間合いまで、測ったみたいに正確だ。壇上で緊張している様子がないのは、それだけで珍しくもない。けれど榊原藍のそれは、落ち着きとも違う、もっと根の深い静けさだった。


 まるで最初から、ひとつの誤差も許していないみたいだった。


 そこまで考えて、恋は自分の感想が少し意地悪だと気づく。


 完璧な人を見て、ただ完璧だと思う代わりに、どこか不自然だと感じてしまうのは、単に自分が捻くれているだけかもしれない。


 だが、その違和感は消えなかった。


 榊原藍は確かに笑っている。歓迎の言葉の締めくくりで、ほんの少し表情を和らげる。新入生に安心を与えるための、きれいな笑みだった。


 なのに恋には、その笑みがひどく遠く見えた。


 優しいのに、冷たい。


 人を見ているのに、まるで別の何かまで一緒に見透かしているような目。


 ――変な人。


 胸の内でそう結論づけた、その直後だった。


 壇上の榊原藍が、ふと視線を上げた。


 何気ない動作だったと思う。歓迎の言葉を終え、体育館全体を見渡す。それだけのことのはずだった。


 けれど次の瞬間、恋は確かに、自分と目が合った気がした。


 広い体育館だ。新入生は何百人もいる。その中のひとりにすぎない自分を、壇上から正確に見つけられるはずがない。


 そう分かっているのに、胸の奥が妙にざわついた。


 赤い瞳が、ほんの一瞬だけ、こちらに留まったように見えたからだ。


 すぐに藍は視線を外し、滑らかな所作で一礼する。歓迎の挨拶が終わると、体育館には拍手が広がった。周囲の新入生たちも、感心したように小さく息をついている。


「迫力凄くね?」

「同じ人間と思えないんだけど」


 そんな感想が、あちこちから聞こえてくる。


 恋は拍手をしながら、さっきの一瞬を振り払おうとした。


 気のせいだ。そうでなければ困る。


 入学式の壇上に立つ生徒会長が、自分みたいな目立たない新入生ひとりを見つけて、わざわざ目を留める理由なんてない。


 ないはずなのに。


 拍手の音の中、壇上を下がっていく榊原藍の背中から、どうしても目が離せなかった。


 たぶんそのときから、もう始まっていたのだと思う。


 関わらないままでいたかったはずの高校生活が、思っていたよりずっと静かに、けれど確実に、形を変え始めていたことに。


 そしてその中心にいるのが、あの榊原藍という少女なのだと、私はまだ知らない。

桜川恋(さくらがわ れん)

青葉第二高等学校 1年生

身長:151 cm、体重:47 kg

髪型:薄いピンク色のボブ

性格:陰気がち、何かと変なところで気にしてしまいがち

趣味:読書(ラノベ)

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