【第6話】
ひょこりと本棚の影から顔を出したら、オルトレイと冥王第一補佐官のキサラギが胸倉を掴み合っていた。
「呵責開発課が余計なことをしていると通報があったぞ!!」
「余計なこととは何だ、立派な仕事だろうが戯け!!」
オルトレイとキサラギの激しい舌戦は外にも聞こえているようで、記録課の獄卒が疲れたような顔で様子を見にきている。今まさに喧嘩が行われている部屋を使用する獄卒たちは迷惑そうな顔をしていた。
一緒に記録課の機材を直すという囮を引き受けてくれた呵責開発課の先輩獄卒たちも、工具を片手にキサラギへ飛びかかろうとしている。「こっちは真面目に仕事をしてましたけど?」と言わんばかりの態度だ。その勤務態度へ理不尽にケチをつけられて苛立っているのだろう。
すると、
「いやァ、キサラギ補佐官様。助かりましたや」
あの樽のように突き出た腹を揺らしながら、記録課の課長である獄卒が揉み手でキサラギに詰め寄る。
「何か急に機材の調整だとか言って乗り込んできまして。ほらァ、呵責開発課と言えば問題を起こしたばかりの薄汚い魔法使いが率いていらっしゃいますでしょ? 私らも怖くて逆らえなくて」
「はあ!? じゃあ何だ、壊していいんかこれ!! ぶっ壊してお前たちの仕事を出来なくしてやろうかサボり魔ども!!」
「ほらご覧くださいや、冥王第一補佐官殿。こんなように脅されてもう怖くて怖くて」
よよよ、とあの小太り課長殿はキサラギに泣きついた。
嘘もいいところである。「どうにでもしろ」と言わんばかりの態度で修理を受け入れておきながら、あのように強権力者の前ではゴマをするとは何とも情けない課長である。自分の立場を守ることに必死だ。
他の獄卒たちを見てみると、サッとオルトレイとキサラギのやり取りから全力で目を逸らしていた。我関せずという態度を貫くらしい。素晴らしい勤務態度である。我が身可愛さで機材の修理を請け負う呵責開発課を蔑ろにするとは。
どうしてくれようと本棚の影で密かに処罰を企むキクガだったが、あの小太りの記録課課長が「おや?」とわざとらしく首を傾げて言ったことに血の気が引く。
「ところで、あの背の高い獄卒はどこに? 黒い髪で赤い目をした」
「何だと?」
「……さてな、便所ではないのか」
キサラギが眼鏡の奥にある瞳を吊り上げ、オルトレイはしれっと誤魔化す。どうやら記憶力が優れているということはあながち間違いではないようだ。
しかし困った。キクガの存在が記憶されていたとなったら、いなくなったことを怪しまれる。オルトレイの「便所に行った」という言い訳も通用しないだろう。彼の懸命な誤魔化しをどうにかして現実のものにしなければならない。
だが最悪なことに、キクガは魔法を使えない。使えるものと言えば魔法やあらゆる加護などを封印することが出来る拘束具『冥府天縛』ぐらいのものだ。ここからキサラギと記録課課長を縛れば、居場所がバレてしまう。クビを言い渡されるのも時間の問題だ。
歯噛みするキクガの腕に、じゃらりと鎖のようなものが巻き付いた。
「冥府天縛、何を」
腕に巻き付いてきた純白の鎖を見下ろすキクガの頭に、再びあの嗄れ声が滑り込んでくる。
――我が封じていたものがある。我が封じていた門がある。
――それは現世と常世さえ繋ぐ門、生と死の境界さえ跨ぐ扉。
――主は正しく使うだろう。
――主は正しく在るだろう。
――冥界を正す革命児よ、いざ扉を開くがいい。
はて、そんなものがあったのか。
首を傾げるキクガは、次の瞬間、腕に巻き付いた冥府天縛に引っ張られる。悲鳴を上げる間もなくよろめいた先に、見覚えのない扉がばくりと口を開けた。ちょうど本棚の死角となる位置に開いた扉は、音もなくキクガを飲み込む。
扉を潜り抜けた時、びたんと顔面から廊下に倒れ込んだ。身体を起こすと記録課の仕事部屋とは景色が違っていた。廊下の左右に記録課の仕事部屋が立ち並び、かたかたちーんという音が聞こえてくる。
いつのまにか廊下に投げ出されていたのだ。何故だか知らないが。
「どこに行った、あの不良獄卒は!! 吐け、オルトレイ・エイクトベル!!」
「知らんな」
「まだしらを切るつもりか!!」
オルトレイに怒鳴るキサラギの声が、すぐ近くの部屋から聞こえてくる。どうやらキクガが部屋の外に移動したことには気づいていないらしい。
キクガは何事もなかったかのように立ち上がり、着地の乱れを直す。いかにも「顔面など無様に叩きつけてませんけど」と言わんばかりにしれっとした表情を浮かべて、ぎゃあぎゃあと騒がしい声が聞こえてくる記録課の仕事部屋に顔を出した。
それまで騒いでいたキサラギが、キクガが顔を見せたことで嘘みたいに静かになる。一方でオルトレイは目を白黒させて「いつのまに?」と言うような表情を見せ、記録課課長は「そんなところにいたっけ?」とまた首を傾げていた。
その場にいた全員の間抜けヅラを眺めてから、キクガは不思議そうに言う。
「何を騒いでいるのかね。冥王第一補佐官殿はどこでもきゃんきゃんと喧しく吠えたてるな。まるで発情期の犬のようではないか、冥王殿に夜は構ってもらっていないのかね」
「何だと貴様!!」
キサラギは顔を真っ赤にして怒りを露わにし、
「僕を愚弄するとはいい度胸だな!!」
「? オルト、すまない。私は犬の言葉は分からない訳だが、彼は何と?」
「ぼ、僕を犬扱いするなァ!!」
「恐ろしい犬だな。人様にこうも吠えたてるとは」
キクガは掴みかからん勢いで怒鳴るキサラギに向けて、右手を軽く伸ばした。
「冥府天縛、すまないが彼の首を縛ってくれ。冥王様のところに連れて行かねば」
「ぐうッ!?!!」
キサラギの細い首に、純白の鎖『冥府天縛』が巻き付いた。容赦なく彼の首を締め上げて呼吸を阻害したことで、キサラギの顔は真っ赤を通り越して紫色に変色する。酸素が足りなくなっているのだろうか、もう死んでいるのに。
「ぎッ、ざまッ、これはどこでぇ……ッ」
「相手から呼びかけてくれた。『応えよ』と」
キクガは冥府天縛を引っ張ると、
「オルト、すまないがこれを法廷まで引き摺っていく訳だが。待っていてくれるかね」
「気をつけて行ってくるがいい」
満面の笑みのオルトレイに見送られ、キクガは冥府天縛で首を締め上げられた冥王第一補佐官を犬のように引き摺って冥王の法廷を目指すのだった。




