【プロローグ】
網膜を焼かんばかりに眩いライトが迫る。
直後、身体を激痛と衝撃が貫いた。ふわりとした浮遊感が全身を包む。目の前の光景がぐるりと入れ替わり、真っ赤に染まった夕焼け空を見たのが最後。
その日、東菊牙は35歳という長いようで短い生涯に幕を下ろした。
「…………ん?」
気がつくと、アズマ・キクガはこの世のものとは思えないほど美しい神殿にぼんやりと突っ立っていた。
見た目は円形の部屋である。等間隔に配置された太い石柱がドーム型の屋根を支えており、磨き抜かれた真っ白い石造りの壁が取り囲む。窓の存在はなく、照明器具に該当する家財道具も存在しないのにも関わらず、部屋の中は明るい光に満ち満ちていた。
円形の部屋の中心には、自然と水がこんこんと湧き出している池が設置されていた。清らかな水が並々と満たしているものの、池から水が溢れることはない。あまりお目にかかれないほど綺麗な、透明度の高い水である。
そして、そんな池の水面に仁王立ちをする女性が1人。
「アズマ・キクガ様。貴方は誠に残念ながら、死にました」
水面の上に立つ、という人間離れした技を披露する女性もまた、人間離れした美しさを兼ね備えていた。
艶やかな金色の髪に彫像の如き整った美貌、白磁の肌はシミやシワなどの一切合切が見当たらない。キクガを真っ直ぐに見据える瞳の色は色鮮やかな紫色を帯びており、桜色の唇から紡がれる鈴を鳴らしたような凛とした声は聞き心地がいい。華奢な肢体をカーテンのようなワンピースで包み込み、発育の良すぎる乳房はこぼれ落ちそうであった。
その人間離れした美貌を有する女性は、嫋やかに微笑むとキクガを迎えるように両腕を緩やかに広げた。
「私の名前はセイレム、始まりの神セイレムと申します。唐突のことで混乱しているようですが、どうかお話を聞いてもらえませんか?」
「なるほど」
キクガは理解していた。
これはいわゆる、異世界転生の前段階という訳だろう。年若い少年少女が不慮の事故でこの世を去り、それを憐れんだ神々が別の世界へ生まれ変わらせてあげるという内容の娯楽小説を何度か目にしたことがある。読んだことはないが。
つまり、キクガもまた異世界転生の何かに選ばれたのだ。これは運がいい。見た目を変えることもなく、何か特別な能力を神から受け取って異世界に向かえば人生勝ち組だ。全ての勝負に勝てる楽な人生を約束されている訳である。少年少女が喜んで飛びつかないはずがない。
そんな訳で、キクガは行動に出た。
「ああ、あった。よかった、取られていなかった訳だが」
キクガは己のコートの下を漁り、黒光りする物体――いわゆる拳銃を引っ張り出した。職業柄、命を狙われることが多々あるので護身用として持っていたのだ。
手早く弾丸が装填されていることを確認し、安全装置を解除。その間、始まりの神セイレムとやらは不思議そうな表情で「あの?」などと呼びかけているが、華麗に無視である。
準備を終えた拳銃を握りしめ、キクガは告げた。
「家に帰せ」
「ぎゃああ!?」
始まりの神セイレムめがけて、迷わず拳銃をぶっ放した。
がうん、というけたたましい銃声が綺麗な神殿の内部をこだまする。始まりの神セイレムは慌てて首を振って飛んできた弾丸を回避し、飛んでいった弾丸は彼女の背後にある真っ白い石壁を穿っただけだった。綺麗な神殿に弾痕が作られてしまった。
キクガは舌打ちをすると、さらにもう1発叩き込もうと引き金に指をかける。射撃の腕前には自信がある方だし、弾丸を外すような位置に始まりの神セイレムはいない。弾丸を回避することが出来る相手の動体視力は賞賛に値するが、キクガからすれば「余計な弾丸を使わせやがって」という文句しか出てこない。
「な、何をするんですか!? 女神相手に拳銃をぶっ放してきます!?」
「黙れ、誘拐犯。私は家に帰らなければならない訳だが」
「誘拐犯ではありません、神様です!!」
始まりの神セイレムは眉を吊り上げて怒鳴る。
「貴方は死んだんです、不慮の交通事故でした!! 貴方が事故に遭う瞬間をたまたま見かけたので、若くして死んじゃうのは可哀想だなって思ったから私の神殿に連れてきたんです!!」
「余計なことを」
キクガは再度舌打ちをすると、
「これでは妻の待つあの世にも逝けないではないか」
「死んだことには騒がないんですね」
「これでも命を賭けるような職場だった訳だが」
決して胸を張って自慢できる職種ではないが、まあ割と楽しく仕事は出来ていたと思う。幸運なことに妻子にも恵まれて幸せに過ごしていた。
今まで凶弾に見舞われずに死ななかったことが幸いである。交通事故で死んだのは、まあ最後の最後で多少は自分のことが情けなく思えてくるが、何事にも事故は必須である。黙って受け入れる他はない。
キクガは拳銃を懐にしまうと、
「それで?」
「え?」
「私の処遇はどうなるのかね。もう後戻りは出来ないのだろう?」
「あ、はい、そうなんですけど……」
始まりの神セイレムは戸惑ったように、
「あの、あまり混乱されていない、ですか?」
「なったものは仕方がない訳だが」
「話が早くて助かります」
咳払いをした始まりの神セイレムは、キクガに今後のことを説明し始める。
「貴方には私が管轄している世界に向かってもらい、そこでとある世界を救ってもらいます」
「異世界に行くのにまた別の世界へ行くのかね。ややこしい」
「いくつかの世界に枝分かれしているんです。天界とか、魔界とか」
「なるほど」
大体予想は出来た。救う、というそんな大それたことが出来るのか不安だが、やれと望まれればやるしかない。
始まりの神セイレムは、そっと右手を掲げた。
すると真っ白な壁がガコガコと音を立てて変形していく。この世のものとは思えない材質で作られた真っ白い石壁が埋没し、収納され、やがて巨大な門を形成した。どうやらその門から別の世界に行けるようになっているらしい。
始まりの神セイレムは「それでですね」と言い、
「別の世界に向かっていただくので、特典として特別な能力を」
「必要ない」
「へ?」
「必要ない訳だが」
キクガはしれっと、誰もが喉から手が出るほど欲しがる特別な能力の付与を拒否した。
「え、でもいりますよね? あの」
「必要ない訳だが。ほしいものは自力でどうにかするように教育されている。ほしいものと言えば、異世界でも言葉と常識が通じるようにしてほしい訳だが」
「あ、それは基本特典として付与されておりまして……」
「ならば、これ以上は必要ない訳だが」
困惑する始まりの神セイレムを華麗に無視して、キクガは光り輝く門の前に立つ。
これからこの先にどんな世界が待ち受けているか分からない。だが、もう後戻りできない状況まで来てしまったのだ。
可能ならば息子のショウに別れの一言でも送りたかったが、彼はまだ4歳である。生死の概念すらもまだ根付いていない幼い子供だ。どうかこの長い人生を幸せに過ごしてほしいと願うしかない。
キクガは始まりの神セイレムへと振り返り、
「セイレムとやら」
「は、はい」
名前を呼ばれて、戸惑いながらも応じる始まりの神セイレム。
「短い間だが、世話になった訳だが」
「…………いえ」
始まりの神セイレムは最初のような嫋やかな笑顔を見せると、
「どうか、私の世界をお願いいたします」
「重大な責任を負った気がしないでもない訳だが、承知した。君の世界がよくなるよう善処しよう」
始まりの神セイレムから願いを託されたキクガは、光り輝く門を自らの手で押し開けて、光が溢れる世界に足を踏み入れた。




