14 取調室~辺境の一員~
取調室に連れて来られた人間は疚しさから怒鳴り散らしたり、逆に怯えて縮こまったりする。侯爵夫人はどちらでもなく、至って冷静な口調で説明を始めた。
離縁状に署名して侯爵家を出たこと。実家と縁を切られたこと。既に離縁状が提出されたものと思っていたので平民を名乗ったこと。決して身分を詐称するつもりは無かったこと。
「一人で家を出たと? 王都からバロータまではどうやって?」
「知り合いのお医者様が信頼できる方を紹介して、荷馬車に乗せて下さいました」
医者は『バロータの古い友人を頼れ』と言って送り出したそうだが、それが孤児院の院長だったという。
「つまり、書類上は侯爵夫人だが婚家に戻る気はなく、平民として生きていくつもりだと?」
「……はい」
答える顔は暗かったが、それも当然だろう。
人に世話をされて暮らすのが当たり前の貴族、それも侯爵夫人が一人で辺境の地に来て、平民として働いていくつもりだというのだ。
十人に聞けば十人とも正気の沙汰ではないと言うだろう。それを彼女は理解していた。
表情を窺う俺をエヴァンジェリーナ嬢は毅然と見つめ返す。姿勢は一切崩さず、机上に置かれた手も上品に重ねられていた。その指先がかすかに震えている。
「分かりました」
俺は名簿を閉じて席を立つ。
「では資格の確認が取れたので、もう帰ってもらって結構です」
「え……」
椅子にかけたままの彼女は、口を半開きにして俺を見上げていた。若草色の瞳が忙しくなく瞬きを繰り返す。
「終わり、ですか?」
「はい、経緯については孤児院の職員や町民の証言とも合致しているし、薬も検査したところ問題無かったので」
通報した店主は町民から取り上げた薬を守備隊まで持って来ていた。軍の調合師に調べてもらったが安全な代物で、寧ろよく出来ていると褒めていたくらいだ。
名簿を脇に抱えて部屋を出ようとした時、エヴァンジェリーナ嬢が重ねて尋ねた。
「……侯爵家に、知らせるのですか」
その声はどこか危うい響きを帯びていた。崩れそうな何かを必死に支えているような。
振り返ると、彼女が立ち上がってこちらに向き直るところだった。
緑の双眸が何かを探るように俺を凝視している。こんな風にまっすぐ見つめられるのは久しぶりだった。顔半分に傷を負ってから、怖がられ目を逸らされることに慣れてしまっていたから。
俺はかぶりを振った。
「いいえ。他人の家庭に口を挟むのは守備隊の仕事ではないので」
これが未成年であったり、鉱山や娼館で無理やり働かされていたり、捜索願が出ていたりするなら直ちに家へ知らせたろう。だが彼女は大人で、自分で選んだ場所で働いている。念の為に調べておいたが捜索願も出されてない。となると知らせる理由が無い。
「それに、貴女がバロータで生きていくという言葉に嘘は無いようだ」
俺は把手にかけていた手を離してエヴァンジェリーナ嬢を指差した。厳密には、体の前で組んでいる両手を。
かつてはきめ細やかであったろう手の甲も指先も荒れてかさついていた。爪は短く円く切り揃えられている。関節にはあかぎれの痕がいくつか見えた。
力強い手だった。
「働き者の手だ。バロータの人々は皆、その手をしている」
彼女はハッと視線を落とすと、自分の手と俺を交互に見つめた。呆然とした顔には、行軍を終えた兵士みたいに疲労と安堵が入り混じっていた。
俺は取調室を出て、廊下にいた兵士に彼女を厨房裏まで送っていくよう命じた。
そろそろ仕入業者が来る時間だ。守備隊本部はバロータから少し離れているが、荷馬車に乗せてもらえれば少しは楽に帰れるだろう。
* * * * *
取調べから十日は過ぎた夜。溜まった書類を片付けるため、執務室で三人の部下達と一緒にペンを走らせていた。本当は中隊長個人で使う部屋なのだが、一箇所で仕事をすれば蝋燭を節約できる。
「イゴール、ここの欄を間違えているので直して下さい」
「おいティムール……この書類は何度戻ってくんだよ……」
「あなたが間違えた数だけですよ。そこにある分はやりますから」
弾が顔を掠めても怯まない兵士が、皺のついた紙を前に呻いている。
第四中隊の多くは先の戦を生き延びた志願兵で、志願兵の多くは平民だ。読み書きのできる兵士を増やすのが目下の課題だった。
「そういえば中隊長、調合師のお姉さんですけどねーぇ」
書類を渡しに来た別の部下が唐突に切り出す。
「今は店で働いてるそうですよーぅ」
「……ラヴィル、その店というのはハリトン商店か?」
エヴァンジェリーナ嬢を通報した店の名を出すと、部下は笑顔で肯定した。すると他の二人も「聞いた聞いた」と声を上げる。
「オヤジさんが孤児院まで行って頭下げたんだろ。疑って悪かったって」
「あそこの店主はカッとなりやすいですが、自分の非を潔く認める人ですからね」
その言葉に頷く。バロータで生まれ育った店主は、戦後に紛い物の薬を頼って死んでいった病人達を見て来た。だからこそ手作りの薬を配る新参者を疑い、守備隊に訴えたのだ。彼女の資格と薬の安全性を確かめたと報告した時は大層安心した様子だった。
次の瞬間には「こんな良い物をタダで配るなんてあり得ない!」と怒り出していたが。
「孤児院の仕事があるから、店には時々顔を出す程度だけどーぉ」
「そういや、あの店って薬扱ってんのに調合師いなかったのか」
「月に一度だけ隣町から来てましたよ。法律上は常駐でなくてもいいので」
「ま、お店としては身近に頼れる相手が欲しいところだよねーぇ」
部下達はすっかり手を止めて雑談に興じている。夜も更けて集中力も限界だったのだろう。
話を聞くに、エヴァンジェリーナ嬢は取調べを受けたことで今ではバロータの人々から信用されているらしい。住民達は、辺境守備隊が身元と資格を確認したことで逆に安心した訳だ。
何より彼女の作る薬は安価でよく効く。戦で家や仕事を失い、疫病も記憶に新しい辺境の人々にとっては心強い存在だった。
彼女はこれから先、大いに頼られるだろう。バロータの一員として。
「……そういえば彼女、貴族じゃないかって噂がありましたねーぇ」
薄っすらと笑って振り向いたのは、最初に話を始めたラヴィルだった。
貴族出身の社交的な男で、身分を問わず友人が多くて何かにつけ耳が早い。どんな伝手があるのか、遠く離れた王都の情報もいつの間にか仕入れているのだ。
俺が調合師名簿を調べていた時も、執務室へ報告に来たついでに色々な噂を教えてくれた。
病気で領地にこもって姿を見せない侯爵夫人だとか、病気は建前で男漁りを見咎められたせいだとか、あまりに姿を見ないので領地から逃げ出しているかもしれないとか。
気づくと会話が止んだ部屋の中、三対の目がじっと俺を見ていた。ペンを置いて、視線を返す。
「はっきりしているのは、彼女が腕の良い調合師で、町の人を助けてくれているということだ。俺はそれで充分だと思っている」
途端、三人は同時に頬を緩めて「了解です」と答えた。
エヴァンジェリーナ嬢が侯爵夫人であることは守備隊の誰にも言っていない。だが三人は薄々察していた。彼女の身分も、俺がそれを明かす気が無いことも。
共に戦場を生き延びた友人同士、相手の考えは何となく分かるのだ。だから俺も察していた。三人は今後、彼女の身分ついて何も言わないであろうと。
「よし、お喋りはここまでだ。机に出ている分を片付けたら今日は終いにするぞ」
終わりが見えたことでイゴールが歓声を上げ、ティムールが早速残りの仕事に取り掛かる。ラヴィルは俺のまとめた書類を引き取りながら、にんまりと両の口角を吊り上げた。
「やっぱり、グリゴーリ中隊長なら信じないと思いました」
小さく囁いた声に、俺は肩をすくめて返事をした。




