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自宅に帰っても凛一は居なかった。もう夜も遅いというのにどこに出かけているのだろう。
俺は凛一をまだ子供だと見くびってやしなかったか?
あいつは幾つになった?13だ。
俺が初めて男を抱いた歳と同じだ。
まさか凛一がそんなことをしようとは思えない。
凛一は綺麗な天使なんだ…
そうじゃなきゃ俺も梓もこれまで大事に育ててきた意味はない…
…違う、俺はなんもしていない。
事実、俺はまだ中一の弟をほったらかしにして、自分の為に生きているじゃないか。
凛一が何をしようと俺になにか言える権限などあるものか…
明け方近く外から帰ってきた凛一を見た。
二週間、いや三週間ぶりだろうか、凛一は見る度に大人になっていく。それも普通じゃない。凛一は他と違う。特別に選ばれた者のように気高く美しい。
俺は凛一を見る度、なぜこうも心が揺さぶられるのか自分でも理解できない怖れを感じてしまう。
「凛一。今頃までどこで何していたんだ。何か事故にあったんじゃないかって心配するだろう」
「…ごめん」
「答えになってないよ」
「ちょっと、友達の家で、遊んでいただけだよ」
嘘を付く様もどことなく蠱惑的に見えて俺の胸がざわつく。
思わず目を逸らすと凛一の両手首に赤く腫れ上がった跡を見つけた。
ひと目で何をされたのかわかってしまう自分が嫌になる。でも、まさか…凛一に?
凛一の腕を掴んで確かめた。間違えようが無い。
Tシャツの襟を肌蹴るとそこにはキスマークと思える跡が残っている。
こうなった以上、その原因を追求しなければならなくなった。
まさに尋問だった。俺がこういう風に凛一を責めるのは初めてかもしれない。
その内容がこれでは笑い事にもならない。
凛一はどういう素行をしているんだ。
「どういうことだ。凛。なんで何も言わないんだ。遊ぶのはいい。でも何してるんだよ。俺に言えないことか?どうなんだ」
自分の言葉がどこか遠い誰かが言っているように聞こえる。俺が凛一を責める権利などありはしないだろう。それでも…
「男と寝てたんだよ。なにか悪い?」
「…」
一番聞きたくなかった言葉だった。
俺は目の前が暗くなり、倒れそうになった。
凛一への尋問ではなくこれでは俺への拷問に等しい。
同時にくだらない事を抜かしている凛一に我慢がならなかった。
考える間も無く俺は拳で凛一の顎を殴っていた。手加減をしたつもりだったが、凛一の身体は床に叩きつけられ、驚くほどの音を響かせた。
凛一は倒れたまま動かない。
俺は自分のしたことが、半分信じられなかった。が、もう半分は殴られて当然だと思った。
どれだけおまえのことを思って、考えてここまで育ててきたと思っているんだ。
おまえは穢れない天使だったんだぞ。
それを…大切に育ててきたその身体を、どこかわけのわからない男に抱かせただと?
おまえはなんて罪なことをしてくれた!
俺をバカにするものいい加減にしろ!
自分の後ろめたさなど忘れていた。凛一が簡単に男と寝るのが俺には許せない!
これは俺の汚い嫉妬だ。おまえを誰にも渡したくないという独占的で傲慢な嫉妬でしかないんだ。だが俺の口は最もらしい言葉を吐く。
「俺と梓がおまえをどんなに大事に育てたか…知ってるはずだろう。それなのに…おまえは、そんな誰とでも寝るような奴になったのか、凛一」
「それが…兄貴の本心かよ」
「何?」
下から俺を見上げる凛一は先ほどまでの怯えは無く、射落とすようなギラリとした黒曜石の瞳で俺を睨み付けた。
「大事に可愛がって育てた身体を、他人とほいほいセックスさせて…それで汚れたから怒っているわけでしょ?兄貴は。だったら…そんなに気に入らないなら、あんたが、捕まえて離さなきゃいいんじゃないか!…俺をひとりにして、ほっといて…俺ひとりでどうやって生きろって言うんだよっ!誰か他の奴を求めたっていいだろ!…捨てたくせに…偉そうに言うなよっ!」
凛一の心からの叫びに俺は言葉もでない。怒りに狂う凛一の叫びは最もだと思う。責められるべきは自分なのだ。
「大体…梓が死んだのも兄貴がこの家から出て行ったからだ。慧が出て行かなかったら、梓だって…」
そうだ。梓が死んだ時、俺はおまえをほったらかしにして、紫乃と寝ていた。俺の所為で梓は死んだのかもしれない。
俺自身の罪悪感に苛まれていると、凛一は思ってもみない事を口にする。
「…違う…俺だ。俺が居なかったら慧も梓も自由でいられた。俺の世話なんかしないで、もっと自由に楽しむことができたはずだ。俺はあんたたちにとって邪魔な存在なだけだった」
「違う、凛」
「そんなことわかってんだって。ずっと前から、俺なんか居なきゃ良かったって…」
「そんな事一度も思ってないっ!」
「失望した?慧。誰とでも寝る俺にこんな風に育てた覚えはないって言ったよね。責任は誰が取るのさ。俺をこんな風にしたのは誰だよっ!」
「凛、おまえひとりを責めているんじゃない!だけど…おまえがこんな風になるのは…見ていられない」
言葉が見つからない。どんな言葉も凛一の叫びの前では繕えない。俺はおまえを救う言葉を見つけることが出来ない。
「じゃあ見るなよ。わかったよ。もういい…慧一を自由にしてやるかから…今後一切、兄貴には俺の面倒は見てもらわない。俺の心配はしなくていい。俺はひとりで大人になるから、もう俺に関わらないでくれっ!」
俺への失望感と怒りに任せた凛一は、泣きながら俺の前から走り去った。
自室に鍵を掛け、泣き続ける凛一に俺は耐えられなくなった。
俺は説明しなければならない。なぜお前を殴ったのか。おまえを一度だって邪魔になんか思わなかった。おまえをずっと愛していることを言わなければならない。
凛一の泣きじゃくる声がいつまでも耳について離れなかった。
彼は俺を許さない。
そう悟った瞬間、俺は凛一の目の前から消えようと思った。
俺は凛一を置いてアメリカに行った。
紫乃と付き合いも勝手に断った。
自虐の果ては投げ遣りになるしかないとはよく言ったものだ。まさに俺がそうだった。
もう何も考えたくなかった。
凛一のいる日本に、一秒でも長く居たくなかった。
父親からは勝手に留学した事に対してひどく叱責された。何とでも言えと思っていた。俺の苦しみなんか誰もわからない。
大学では、俺は完全な異邦人であり、もう自分を取り繕うのもやめてしまった。
誰も俺を知らないし、誰も俺にかかわらない。
ただ勉学に没頭した。
凛一の事だけは今更だとしても、兄としての役目だと思い、メールだけは毎週送ったが、返事がくることはなかった。
無理もない。
俺はおまえを捨てたんだからな。
凛一は俺を憎んでいる。自分を救ってくれなかった兄に怒っている。
当たり前だ。
あいつをああいう風にしてしまったのは俺と梓の罪だ。
梓がいない今、傍にいて償わなきゃいけないのに、追っかけてこられない場所で俺はひとり好きなことをやっているんだからな。
恨まれて当然。
俺は凛一のことを思う時、自分の罪深さを呪い、幸せになる権利など一欠けらもないのだと思った。
誰にも知られず、ひとり郊外の小さな聖堂でミサを聞くと、胸が締め付けられ涙が溢れた。
俺は一体どうすればいいのだろう。
この重すぎる罪悪感を抱いたまま、凛一となにひとつ理解しあえずに生きていかなきゃならないのか…
俺のすべてだと請うあいつと、こんなにも隔ててしまった。
もう元へは戻れないのか…いや、そうじゃない。
こうなったのは俺の凛一への気持ちがあまりにも俗物すぎたからだ。
兄としての想いだけで凛一と対峙する。そういう気持ちへ自分を変えられないものなのか。
凛一の望む慧一になれないものなのか…
クリスマスカードを送った。
兄として、俺はお前を愛していると、綴った。
クリスマスの次の日、凛一から初めてのメールの返信が来た。
短いぎこちない言葉だったが、俺を振り返ってくれている。
凛一の許しに俺は涙が溢れた。




