5仕事め:獣族の少女は闇を行く
この真夜中に、ユタが外に出ている?
「不備も何も、どうして引き留めなかったの!?」
私が思わず非難を込めて怒鳴ってしまい、しまったと思ったのだが、フォルテは不思議そうな顔になる。
「獣族は戦闘に秀でた種族です。天性の優れた身体能力に加え、夜でも真昼と変わらぬ視野を持ちます。さらに親から子へ受け継がれる狩りの技術は、人族の何倍も戦闘力を引き上げております。ユタの通常行動からすでに成人獣族並みの能力があると類推。そのため、夜間の巡回程度ならば問題ないと判断いたしましたが。報告を怠ったことはワタクシのミスでございました」
申し訳ありません。と黒と銀の髪を揺らして頭を下げるフォルテを、私は愕然と見下ろした。
わかる。わかっていたつもりだった。
フォルテは人間じゃなくて、この世界は地球とは違う常識で動いている。
いままでも地球とはまったく違う現象だったり、フォルテの突拍子もない行動に驚いたり慌てたりはした。
けれどよく聞いたり、話しあえばすりあわせられるくらいのものだった。
けど、これはまったく違う。
空気と同じくらい感覚として当たり前だと思っていたことが通じなくて、急に一人になった気分になった。
フォルテが悪いわけじゃない。強いて言うのなら、私が確認しなかったのが悪い。
非難することすらおかしい気がして、ただフォルテを見下ろすことしかできない。
その時、腕に抱えていた銀色の毛玉が離れた。
次いでぽふんっと間抜けな音がして、たちまちゆるふわな銀色の髪揺らす人型ハルがフォルテと私に訴えたのだ。
「たぶんユタちゃんこの土地の外に出てるよ。急いで追いかけなきゃっ」
ハルの言葉に、今まで平静だったフォルテの表情が焦りを帯びた。
「絶界の森は、日が落ちれば格段に危険度が増します。単独での行動は推奨できません」
「そうじゃなくて、ユタは子供なの! 守ってあげなきゃいけない子なのよ!」
真っ直ぐ言い切ったハルに、私は止まっていた思考がゆるりと動き出すのを感じた。
この世界で生きて、けれど私の世界も知っているハルが、迷わずそう言ってくれたことに救われた。
私が私の常識で考えるのがだめなわけじゃない。
「ずっと気に病んでるみたいだったのに、そうじゃないよって沢山教えてあげなきゃいけなかったのに。全然言ってあげられなかった。一生懸命になりすぎて、いっぱい無理しちゃったんだ……。もしユタがしん、死んじゃったら」
「今から言いに行こう。ハル。ユタを見つけに行こう」
私が言えば、藍色の瞳を涙で潤ませていたハルが私を見上げてきた。
頭がいつも通り回り始める。
大きく息を吸って、吐いて、フォルテへと向き直った。
「フォルテ、君にとってユタは戦える存在に見えたのかも知れないけど、私には彼女が守るべき子供に見えたの。きっとどっちも本当なんだと思う。でも、今は、ユタは冷静な判断が出来ていない」
自分の頭が冷えればわかる。
ユタがずっと役に立ちたがってたのも、過剰に私をうかがうようなそぶりを見せたのも、ここにいて良い理由が欲しかったからだ。
うかつだった。
もし、ユタの頭の中に、狩りをするという選択肢があったとしたら。私がお肉の話をしたときに畑泥棒をつなげて、狩りに行くことを思いつくのは容易だっただろう。
自分で考えて自分で行動できる子だから、多少の危険を顧みずに進むことも考えられたことだった。
「確かに、ワタクシには経験と性格から類推する機能が著しく欠けておりました。ですがイチハ様は人であられ、夜目が利かないとお聞きいたしました。森は徒人には大変に困難を極めるものにございます。イチハ様が領域外へ捜索に向かわれることは推奨しかねます」
「それでも行かなきゃだめだ。このまま何もしなかったら大変なことになる予感がするんだ」
今まで直感なんてほとんど信じたことなかったのに、どうしても胸騒ぎが収まらない。
私が行けば二次遭難になることもあり得るし、何もしなくてもユタは無事に帰ってくるかも知れない。
けれどもあの子はもう、私達の家族なのだ。何もしないと言う選択肢は頭になかった。
「だから、フォルテ、知恵を貸して欲しい。なるべく速やかにユタを探し出す方法を考えたい」
「イチハ様……」
リスクを侵さなきゃいけない時は、なるべくリスクを減らせるように努力することだ。
困惑をあらわにするフォルテにさらに言い募ろうとしたとき、ハルも声を上げた。
「あたしも行くよ! だってユタちゃんは私の妹分だもんっ!」
顔におびえをにじませながらも、ハルはまっすぐ言い切った。
「ハル様、ですが……」
「擬態すれば大丈夫だもんっ。あたし、戦えないけど、大きくなれば一葉ちゃんの足の代わりくらいならできるっ」
震えながらも言い切ったハルに、フォルテが息をのんで沈黙する。
ユキヒョウのハルならとても速い。大きくなれるのだったら私一人を乗せられるだろう。
心配は沢山あるけど、ハルは私のできないところを大いに補ってくれるはずだ。
「……承りました」
その了承の言葉に私たちがフォルテを向けば、ただ少ししょんぼりと落ち込んでいるように見て取れた。
「ワタクシの落ち度にもかかわらず、自らの失態を償えないことは大変に遺憾でございますが、できる限りの支援をさせていただきます」
「ありがとう、フォルテあとで話をしよう」
これは不幸な行き違いだ。失態とも言えないことだけれども、今言ってもしかたがない。
「問題はいくつかあるけど、まず私の視界の確保と、森の中に入って帰り道を見失わないこと。いざというときの攻撃手段も考えておきたい。たぶんユタは現れた畑泥棒を追いかけて、土地の外に出たのだと思うから」
正直今すぐにでも飛び出していきたいけれど、後先考えずにゆくことだけはだめだった。
「幽玄城の宝物庫の解放を許可してくだされば、イチハ様の肉体的な問題は解決できます。扱える武器もございますので」
「まじで!?」
そこまであっさり解決するとは思わなくてあっけにとられたけれど、なんとかなる気がしてきた。
ただ、一番の問題が残っている。
「あとは、ユタちゃんがどこにいるか、だよね」
ハルの指摘の通り、ユタの居場所が全くわからないのだった。
畑の方向というのはわかっている。
けど、どの方向へ行ったかは私の足で探さなくちゃいけない。そのあとも、探索したことのない森の中。
改めて考えてみるとめちゃくちゃ無謀な気がしてきた……。
「ああもう、ユタの居場所を教えて、とかでわかればいいのに!」
私が破れかぶれに口走って。何かが身体から抜ける感じがした。
『はい。ユタの現在地を検索いたします』
そんな機械っぽい女性の声が背後から聞こえて、私達は目を丸くして振り返ったのだった。
*
ユタイレ・テイルは闇に包まれる森の中を、足音を殺して走っていた。
月が出ていれば十分すぎる明りだ。
姿は暗闇に溶け込んでいても、嗅覚は先ほど覚えた魔物の匂いを確実に捕らえている。
木々を避け、根を飛び越え、それでも一定の速度を保つのは物心ついたときにはすでに出来ていた。
そうでなければ、生きていけないから。
ユタにお守りをくれた母も、知る限り一番の狩人だった父も、大きな討伐の時に死んでしまった。
たった一人の家族である兄と一緒に、ユタはずっと街から街へと渡り歩いてきた。
獣族が神から与えられた役目は魔物を狩ること。ほかの種族が安心して暮らせるように、魔物を狩り続けることが使命なのだと兄に教わった。
だから、獣族は一つの所へとどまらず、魔物を求めて渡り歩くのだ。
けれど、それだけじゃないことくらい、ユタにはすでにわかっていた。
母から教わった祈りの言葉が、聖豊教とはほんの少しだけ違うこと。
聖豊教への信仰が深い人族の国で、ユタ達獣族に向けられる、疑うものを見る眼差しと言葉。
ずっと昔のご先祖様が、女神様に味方したせいでユタたちが嫌われているのだと、だから一つの街にとどまることが出来ないのだとおぼろげながら理解していた。
そして、自分が兄の足手まといになっていることも。
だから、兄が大口の仕事があるからと、ユタを多額のお金と共に村に預け、期日になっても帰ってこなかったとき、涙は出なかった。
兄はあまりしゃべらなかったけど、ユタを愛してくれていて、自分を養うために無理をしていたことも知っていたのだ。
死んでしまったのか、それとも兄がユタを養いきれなくなったのかはわからないけれど、ユタはひとりぼっちになってしまった。
村の人々は期日に兄が帰ってこないとみると、たちまちユタに残されたお金を取り上げて、あれこれ言いつけるようになった。
気まぐれに殴られることもあったが、よくあることだ。
村にはそれほど蓄えがなかったらしく、みんな気が立っていた。
そんな中、村の畑を荒らす害獣が現れて、村人にまで被害が出たから、ユタに害獣狩りが命じられたのだ。
それが、体の良い厄介払いなことぐらいユタにだってわかったけれど、従う以外に道はなかった。
もうユタはひとりぼっちだ。誰も頼れる人はいない。
わずかな荷物と武器だけ持たされて放り出されたのは、兄に一人で歩いてはいけないと言われていた絶界の森。
何度も危険な魔物をやり過ごして、彷徨ったのは何日だっただろう。
誰も住む者がいないと言われるその森の中で、ユタは女神様に出会った。
女神様は、この地域では珍しい、黒髪と黒い瞳の異国めいた容貌の女性の姿をしていた。
母には、何かあれば女神様が導いてくれる、と言っていたけれどそんなことあるわけがないと思っていたのに。
女神らしさから言えば、きっと銀の猫のほうがらしいと思う。
猫のハルはもふもふした毛並みをしていて、素敵だったし。
けれど、姿だろうか、匂いだろうか、凛とした空気だろうか。ユタは黒髪の彼女が女神だと思った。
一葉と名乗ってくれた女神様は、ユタが作物を勝手に食べたことをしかりはしても殴りはせず、温かく迎えてくれておいしいご飯を食べさせてくれた。
図々しく、帰る場所がないからここにいさせて欲しいとお願いしたら、受け入れてくれた。
身体を洗うのは容赦なかったけど、冷たい地面じゃなくて、温かいベッドで寝かせてくれて、お腹いっぱいご飯を食べさせてくれて。
畑仕事ができない足手まといでも、ユタを追い出したりしなかった。
『あんたにむいた仕事をすれば良いわ』
そう言って、ずっとさわってみたいと思っていた畑に入れて、仕事を手伝わせてくれさえした。
女神様もハルも、厳しくて、優しくて、やっぱりずっとここにいたいと思った。
だから、これはユタの仕事だ。
女神様達が丹精込めて創り上げた土地を守りたい。
ユタにはその能力がある。
村では嫌々やっていたことを、初めて自分の意思でやろうとこっそり見張りに出たのだった。
何日でも待つつもりだったのに、一日目で現れたのは運が良かった。
しかも、相手は村に現れたあの魔物で、ユタは迷わず追いかけた。
走って、走って、匂いは濃密になる。
獣族の爪と牙は有力な武器になる。けれどそれでは獣と変わらない。
ユタは腰に手挟んでいた短剣を抜いた。
森の中では取り回しのしづらい長剣は不利になる。ユタが父と、母と、兄から真っ先に習ったのは、短剣の扱いだった。
視界に獲物の姿を捕らえる。
森に近い村では、必ずと言っていいほど駆除を依頼される魔物だった。
ユタも何度か仕留めたことのある獣だ。大きさは違うけれどやれる。
前方の獣がよろめいたのを見逃さず、ユタは地を蹴って一気に飛びかかった。
毛皮まで高く売れるように、なるべく傷が付かないように一撃でしとめる。
首筋を刃で撫でれば、たちまち息の根を止められる。
はずだった。
「!?」
体勢を崩していたはずの獣が飛んだ。
渾身の一撃は避けられ、ユタは混乱しながらも地面に着地する。
しかし地面に足が埋まってうまく動かなくなる。
わずかな水の匂いで泥沼にはまったのだのだと気がついた。
そして、逃げていたはずの魔物がゆっくりと方向転換して、ユタを振り向くのに、ようやくはめられたことを思い知った。
『ブルルル……』
魔物がうなる。あの魔物は雑食だ。野菜も芋も肉も食べる。
人間も怖がらないということは、人間も獲物にしたことがあるのだろう。
たかが泥に足を取られているだけのはずなのに、埋まった足首がなかなか抜けない。
忘れていた。あの魔物は、自分で作った泥沼に魔法をかけて、罠にするのだ。
そうして逃げる時間を稼いだり、こうして獲物を捕まえたりする。
ずっと、ずっとユタを狙っていたのだ。
「くっ!」
ユタはかろうじて短剣を構えたが、その剣先が震えていた。
父親にも母親にも、兄にも油断するなと口を酸っぱくして言われたのはずなのに、忘れてしまった。
ただユタは役に立ちたかっただけなのに。
魔物が力強く地を蹴った。
足を取られているユタはよけられない。
涙が盛り上がる。
「うちの子に、何してる――――ッッ!!!!」
聞こえるはずのない声が響いて。
瞬間、ユタの脇を光る玉が猛烈な勢いで通り過ぎていった。
そして、甲高い音とともに光がはじけ、眼前に迫っていた大きな魔物を吹き飛ばす。
「ユタッ! 大丈夫!?」
光に照らされて現れたのは、銀色の獣に乗ったうつくしいひと。
黒髪に黒い瞳のユタの女神様だった。




