#15延光と延光寺
川之江市内で、あたし達は少し早い夕食を食べた。
そうそう、ここ川之江市は、今では四国中央市と言われているらしい。地図が古い物だったから、その事を知らないあたし達は、一瞬呆然としてしまった。が、道行く人に尋ねてやっと理解した所。
どうやら、最近やたらと多い市町村合併と言うものが有ったらしい。東京でもあった。色々な大人の問題?で、行われる物。でも、それってあたし的には良い事だと思う。けど、郵便屋さんは大変だろうなって思うけどね?
そして、あたし達は先を急ぐために、食事を終わらせると直ぐ新浜市と言う所へ向かった。この分だと、夜九時ごろには着くだろうという計算の元に決断付けられたのであった。
新浜市には予定通り九時頃に到着した。
さて、泊まる所を探さなければ。と言う事で、ウロウロと街中へと移動。しかし、田舎のようで、泊まれそうな所が見つけられなかった。が、一軒だけ、旅館を見つけることが出来て、あたし達は急いで飛び込む。
「お願いします!そこを何とか!」
初め不審げに見られた。確かに潮の香のする服を着た、汗だくの子供達三人を、不審に思わない訳が無い。
「でもね〜」
そんな感じで渋っているおじさん。でも救いの神が現れた。
「どうしたの?」
若女将なのか?ほっそりとした優しげな女性が着物を着てホールから現れたのである。
「若女将?この子達が一晩泊めて欲しいと言って来てるのですが……」
なんて事をいった。完全に怪しまれている。
しかし、その若女将は、
「良いじゃないの。何か問題があるの?確かに幼い子達だけど、泊まる所が無いのに追い出すの?それの方が問題だわ?」
「そうですが……」
「ねえ、君達、きちんと泊まれるという保障があるのよね?」
と、訊いて来た。
「勿論です。先にお支払いしても結構ですよ?」
隆が、クールに返した。
「なら、良いじゃ無い?お泊まりなさい。そうね。奥の間はまだ空いてる筈よね?そこは安く泊まれるし、宜しいわよ。さあさ、お入りなさいませ。夕ご飯は食べられて?」
なんて感じで、カウンター奥にあたし達を通してくれた。
狭い廊下。そして、木張りのそれは『子羊園』を思い起こした。奥に行くと、八畳くらいある畳が襖の向こうに広がっていた。
「どうぞ。夕飯食べてらっしゃるのでしたら、お風呂ね?その格好だと」
といってクスクス笑って、あたし達を見た。潮でバリバリしたTシャツを見たのだろう。一日ぶりのお風呂!そう考えると凄く嬉しい気分になる。
「お洗濯はその時した方が良いわね。今日の夜も良い天気みたいだから、外の物干しに干せば、乾くのも直ぐよ。では、ゆっくりなさってね。お風呂は一階の右奥にあるわ。では、わたくしはこれで。ごゆっくりなさいませ。小さなお客様」
と言って、若女将は去っていった。
「捨てる神なんて居ないのやな?ホッとしたわ」
襖を閉め終わった瞬間延光は零した。
「助かったね。若女将さんが良い人で!」
あたしは、世の中本当に捨てたものじゃ無いと思った。
「さて、お風呂借りるか〜久々に湯船に浸かれると思うと、感涙ってやつや〜」
「そう言えば、三日間入ってないよね?もう三日?なんだね〜意外と持つものだね?」
男連中はもう、お風呂道具を用意し始めていた。あたしも慌てて用意する。
今回は、男湯と女湯が違うと思われる。露天風呂という触れ込みも無い旅館。ホッと息がつける、つかの間の命の洗濯。そう思うと、ゆっくりのんびり入りたいなと思うあたしであった。
お風呂はごく一般的な、銭湯の様な感じだった。
白いお湯が良い匂い。
そして、ここ新浜市と言う所が、水が綺麗な市として有名だと言う事を知った。
美白効果とかあるかしら?なんて焦げてしまった自分の肌を見ながらそんな事を考えて笑ってみる。
だけど、昼間のあの思い出したくない昔の出来事を思い出し、その笑った顔が思わずスッと引くのを感じた。
昔の思い出したくない事。でも忘れることが出来てたはずなのに、忘れてはならない事だったのだと思い、今の自分が情けなく感じられた。
あの子はもう居ない。
あたしの前から去ってしまった。
もう二度と逢うことなど出来やしない。
もう、二度と……
そう思うと、乾ききった筈の目尻から涙が零れ落ちた。思い出せば思い出すほど涙が込み上げてくる。
あたしは、あの子がいないと駄目だった。
人を愛したのは、あれが最初で最後。
もう二度と、人を愛することなど無いと思っていた。
でも、今あたしは確実に人に興味を持ち始めている。断ち切るために新しい事を見つける旅。そして、それは、あたしの中に増幅し、そして、今この時点で走馬灯の様に思い出している。
あの子の屈託の無い笑顔が脳裏に渦を巻く。
大好きだった。かけがえの無い子だった。そしてあの事を忘れてしまいたくて、人からまた離れた。生まれた時から人に関心を持たない人間に戻った。
だけどそれは、自分が傷つきたくないからだ。判っている。もう二度とあんなになるまで傷つきたくは無い。その一心で、人との距離をとる。
今年の中学生の夏休みの宿題に出された短歌。
あたしは、それを貰ったその日に仕上げた。
切っても切れない人との繋がり。それを欲しているような解釈の短歌。
そう、あたしは人に何かを求め、だけどそれを求めて傷つく事を恐れている。人の輪に入ること。それが目的ではない。かけがえの無い者を失っても強く生きる力の源を欲している。それは、都合の良すぎるあたしのエゴかもしれない。だけど、このまま社会人になって本当に幸せなのか?あの子はそれを望んでいるのか?
そう考えると、自然と人との繋がりを大切にする自分でありたいと、心のどこかで願わずにはいられない訳である。
「ごめんね。あたし、幸せを自分のこの手で掴むよ?それでも、あなたは許してくれますか?」
ボソリとあたしは湯船に浸かったまま呟いた。
「葵っち、遅かったんやなぁ〜?のぼせたりせんかったか?」
余りにも風呂から帰るのが遅かった為か、待ったやん!みたいな表情で延光は襖を開けたあたしに向かってぶつくさ言った。
「せっかくの湯船だもの、葵ちゃんも、気分が良かったんでしょう?のぶちゃんそんな言い方は無いよ?」
女の子の事情をも把握してるようで、隆の言葉はありがたかった。
「何?明日の予定立ててるの?」
あたしは、地図をおっぴろげている既に布団が引かれた畳の上を歩いて、その地図を見た。
「うん。そうなんや。明日なんやけど、今治市まで回る経路と、そのまま愛媛の県庁がある松山まで行くか?考えとるのや。地図見たら、今治結構お寺あるし周りたいんやけど、かなりな距離走らなあかんのやな……それを考えると、松山まで出て、そこから内子辺りを行くのもええな〜何て思っとる。と言う事をさっきまで隆と相談してたんやけど……」
「そうだね〜」
あたしは、まだ心の整理が着いてなくて、地図を見ながらちょっと上の空。なので、今、肝心な話の内容について行けてなかったり。
「今治は、タオルが名産らしいよ。でもって、お寺も沢山あるし。とか考えててね。葵ちゃんは、どうしたい?」
「うん。でも、大変な旅になるよね?あたしは、松山に行く方を取るかな〜?」
と言いつつ、楽な選択をしていた。
「そうやな〜高知を回って、徳島までの経路を考えると、やはり、松山まで出てしまう方が得策か〜」
延光はちょっと残念そうにそう言った。
「そうそう。松山まで出るのは良いけど、その後が大変なんだよね。高知まで山を越えないといけなくなるから。四国山脈って、越えるの大変そうだし」
隆も同じ意見を持ち出してくれた。
「そんなに大変なの?高知県に入るの……」
「山道がめっちゃ凄い!この経路見てみい」
あたしは、その道を辿る指を見ていた。
「うわっ〜山ばかり!でも、海岸線通れば良いんじゃ無い?かなり遠回りだけどさ?」
「それは、かなりな遠回りだよ。どのくらい時間が掛かるか……それに、のぶちゃんの目的のお寺は、此処だものね?」
といって、指し示したお寺は、第三十九番札所、延光寺。だった。
「延光寺?って、延光君の名前と同じ漢字なんだね?」
ふとその名前を聴いた時、延光はちょっと影を落とした表情に切り替わった。何かあるのであろうか?このお寺に?
「読み方は違うんやけどね。同じ漢字や。ま、何処にでもある名前やし、別に関係ないわ」
と言って、延光は、肩を落としてるように見えた。
「さて、道は決まったし、明日はこの道を行こうか!お寺周りは、五十一番札所、石手寺にしておくか?此処有名らしいしなぁ〜?」
と地図を見てみると、道から離れた所だと気付く。が、愛媛県のお寺は大きな道沿いには無いらしいことが判った。有るには有るけど、東予市手前で固まっている。が、延光は余り興味を示さなかった。
「それじゃ、そう言うことで。明日は、道後温泉で一晩明かそうね。聖徳太子も入りにきたと言う温泉だから、興味深いし?」
という隆の言葉で、この計画は打ち止めされた。
「明日も早めに起きて、頑張って走らないとね?今日は泳いだし、体がクタクタだから良く眠れると思うよ?」
と言う事で、地図は仕舞われた。
縮尺で測ると、百キロ有る事に気がついてしまったあたしは、早く休もうと思った。
布団は客用にちゃんと清潔感のある真っ白なシーツで包まれていた。
あたしはそれに潜り込むと、五分もしないうちに夢の中に誘われた。
あの子が、あたしに笑いかける夢を見た気がした。それが少しだけ心を癒してくれた。
そして早朝から大戦争。
昨夜洗って干しておいた自分の服を鞄にしまうと、一直線に洗顔や歯磨きをした。歯磨きってご飯を食べてからする習慣があるのだけれど、そう言うのはこの際無視。人前に出るのに、歯磨きしてないのはちょっと嫌だなって思ったから。
「あら、もうお出かけになられるの?朝食の用意できましてよ?」
バタバタやっているあたし達を、若女将が見てそう言った。
「そうなんや!やったら、食べてから出ようか?」
きちんとした食事を摂らずに出るよりまだ良い。延光の判断は正しいと思い、あたしと隆は頷いて、朝食を食べてから、チェックアウトした。
さて、此処からは長い道のり。
途中、山も有るから今までみたいに楽な自転車旅行と言うわけには行かない。
目指すは愛媛県松山市!
あたし達は、目標を定め、コンビ二で昼食用のお弁当を買い込むと、一気に道を走り出した。
標識は西条市、小松町、と此処まではなだらかな普通の道だったので漕ぐ事もそんなに苦ではなかった。
問題は、川内町に入るまで。
山道は辛い、あたし達は、ひいひい言いながら、自転車を漕ぐ。前だけを見て。
何処まで続く道なのか?山の空気を味わいながらそんな事を考える。遠回りしてでも、今治から行くべきだったか?何て事まで考える。が、後悔先に立たずであった。
汗のかき方が今までと違うなぁ〜なんて思いながらも、黙々と前に進む。そして、左手に見える桜三里入り口辺りで、予定より二時間遅い昼ごはんとなった。
「ねえ、これってちゃんと着くの?」
あたしは、不安が過ぎった為、延光をちらり見ながら言った。だって、まだまだ山道が続く。下りは良いけど上りの大変さはもう勘弁だと思った。
「道がある限り、辿り着かないわけが無いやん。ぐっと我慢や!」
「仕方ないね。そう言うことだと思う。納得してこの道を選んだんだからね?」
それを言われると、頭が痛い。自分が言った事なんだから、今更愚痴る事は許されない。
「さて、もうそろそろ、川内町に入る頃やん?後は下り一本。ファイトファイト!」
延光は至って元気そのものだ。隆は飄々としてる。相変わらずの面々がそこに居た。




