第三十一話 キツネと野良犬の電話
マンションでの生活が落ち着いてきた頃、剛は意を決して、定期報告の為に京都の志野へ連絡を入れた。
スマホの向こうからは、衣擦れの音と共に、ひんやりとした志野の声が聞こえる。
『……それで、菊人の様子はどうや?浜崎はん』
剛は、隣の部屋で「剛ちゃん、まだお話終わらんのん?」とドアを叩いている菊人の声を無視しながら、大きなため息を吐いた。
「……ええ。食に対する意欲は少しずつですが出てきましたよ。こっちが細かく刻んでやって、なんとか食わせてます。……ただね、夜の方が問題でしてね」
『ほう……夜がどうかしたんか?』
志野の含みある声に、剛は頭を搔きながら、絞り出すように言った。
「……いい加減、もうそろそろ一人で寝させるように頑張っているんですが……試しに寝室の鍵かけたら、ドアの外で大声で騒ぐし、泣き出すし……で、結局、根負けして寝室に入れてやってますよ。……まったく、お手上げで……まだまだ手がかかります。申し訳ない」
剛は、叱責されるものとばかり覚悟をしていたが、帰ってきたのは予想外に艶やかな志野の笑い声だった。
『ふふふ……。あん子がそんなに声を荒げるなんて、よっぽどあんたの横が心地いいんやね』
「笑い事じゃあないですよ。俺だって多少寝不足気味ですよ」
『まあまあ、徐々にお気張りやす。……あんたにそこまで甘えとるという事は、あん子の『心』がやっと居場所を見つけたんやね。今は、そのわがままを存分に聞いてやりなはれ……うちがあんたに払うとる「管理料」に入っとるんやからね』
剛は、自分の菊人に対する「敗北」すらも志野の計算内であることに気づき、スマホを握り直した。
「……へいへい。仰せの通りに。……そろそろ切りますよ。さっきから菊人がドアを叩いてますんで。失礼します」
携帯を切った剛がドアの鍵を開けると、そこには案の定、枕を抱えた菊人がふくれっ面で立っていた。
「剛ちゃん、長いわ!婆ちゃんと何、話しよったん?」
「あーーお前の悪口だよ。ほら、隣、空けたぞ。……もう騒ぐなよ」
志野の「お気張りやす」という言葉が呪いのように、剛の耳に残っている。
まだまだこの「甘い地獄」のような管理業務が長く続くことを悟る、剛であったのだった。
有難うございました。最終話です。




