ただいまの食卓(第一部・完)
雪が、降り始めていた。
三年後の、冬の夕暮れ。アシェンへ続く街道を、ふたつの影が歩いていた。
ひとつは、革の旅鞄を斜めにかけた少年。もうひとつは、外套のフードから金色の髪をのぞかせた少女。ふたりの足取りは、長旅の終わりとは思えないくらい、軽かった。
「レイ、ゆき」
「うん」
「アシェンの、ゆきだ」
ルーチェが、手のひらで雪を受けた。王都の雪も、北の山脈の雪も、エルフの森の入口で見た雪も、ぜんぶ同じ雪のはずなのに、ルーチェの言いたいことは、わかった。これは、アシェンの雪だった。匂いが違う。空の色が違う。降ってくる角度まで、違う気がする。
帰ってきたんだ。
*
旅の首尾を、ぜんぶ語れば長くなる。
王都でヴェルナーさんに会った。オスカルさんの手紙は本当に全部書いてあって、最初の一刻は説教をされ、次の一刻は質問攻めにされ、最後には王立書庫の閲覧許可を取り付けてくれた。時空間の素質についての記述は、書庫の最も古い棚に、ほんの数行だけあった。曰く——「時のすきまを渡るもの、世界の綻びを繕うために呼ばれる」。
呼ばれる。
俺の転生は、事故じゃないかもしれない。その数行が、旅の次の行き先を決めた。
北の森の入口で、エルフの斥候に会えた。リーナの紙の写しを見せると、斥候は長いこと黙って、それから「これを書いた者の縁者に、いつか森への道が開かれる」とだけ言った。エルフの森は、まだ俺たちには開かれなかった。でも、リーナには開かれる。それを持ち帰れるだけで、十分だった。
ルーチェの親については、手がかりは、まだ霧の中だ。ただ、山脈の麓の竜の谷の長老竜が、ルーチェを一目見て、深く頭を垂れた。「古き光の系譜」と、長老竜は言った。ルーチェは「よくわかんなかった」と言った。本人がそれでいいなら、それでいい。その他にも色々あったが……
答えは、ぜんぶは見つからなかった。
でも、問いの形は、ずっとはっきりした。旅というのは、そういうものらしい。だから、また出る。何度でも。
——ただし、その前に。
*
坂を上ると、孤児院の灯りが見えた。
夕飯どきの、食堂の灯り。窓の中で、人影がいくつも動いている。煙突から、湯気みたいな煙が、雪空にまっすぐ昇っていた。
月に一度の手紙は、一度も欠かさなかった。帰る日は、先月の手紙で知らせてある。だから、向こうは知っているはずだった。それでも、玄関の前に立つと、三年分の鼓動が、少しだけ速くなった。
ルーチェと、顔を見合わせた。
「せーの、で?」
「いや、普通でいい」
扉を開けた。
湯気と、シチューの匂いと、パンの匂いと、子供たちの声が、まとめて溢れ出してきた。
「——ただいま」
食堂が、一拍、止まった。
最初に動いたのは、セルだった。椅子を蹴って、テーブルの角を曲がって、まっすぐ飛びついてきた。十三歳になったセルは、もう俺と背がほとんど変わらないのに、飛びつき方は三歳のときのままだった。
「おかえり! おかえりおかえり、おかえりっ……!」
ニナが続いて、ミコとルカが続いて、テオが続いて、新入りの小さい子たちまで、わけもわからず続いた。ルーチェには、ハナとリーナが駆け寄った。リーナは、ルーチェごと俺の袖をつかんで、「エルフは」とだけ聞いた。「会えた。道は、開かれる。お前に」と答えると、リーナは一度だけ、強く目をつぶった。
カインが、騒ぎの外から歩いてきて、拳を突き出した。
「やっと帰ってきたな」
「言われた通りに」
拳を合わせた。トーマは、俺の鞄を見ていた。三年使い込まれて、いい色に焼けた革を確かめて、満足そうに頷いた。最終検品、合格らしい。
アリア姉は、木べらを持ったまま、台所の入口に立っていた。
「おかえりなさい。……手紙、ぜんぶ取ってあるわよ。製本しようかってくらい」
「大げさな」
「大げさじゃないの。うちの家宝が、また増えただけ」
*
「さあ、いつまでも玄関にいないの」
院長先生の声がして、騒ぎが割れた。
院長先生は、食卓の主の席から、ゆっくりと立ち上がった。三年分、また少し白髪が増えて、三年分、また同じだけ、背筋が伸びていた。
「レイ、ルーチェ。おかえりなさい」
約束の言葉を、院長先生は、泣かずに言い切った。それから、食卓を手で示した。
「さあ、座って。あなたの席は、ずっとそこよ」
食卓には、湯気が立っていた。
大鍋のシチューには肉がごろごろ入っていて、籠にはパンが山になっていて、皿は人数分より、ふたつ多く並んでいた。最初から、並んでいた。俺の席と、ルーチェの席。三年間、この食卓は、ずっとこの形で待っていたのだ。
ルーチェが席について、シチューを一匙すくって、世界で一番幸せな顔をした。
「……おいしい」
「でしょう」と、アリア姉が言った。
セルが今日の森の自慢を始めて、カインが茶々を入れて、ニナが石のお土産を催促して、リーナが旅の薬草の話をねだって、トーマが黙ってパンを差し出してくれて、院長先生が「順番、順番」と笑っていた。
窓の外で、雪が積もっていく。
食卓の上だけ、春みたいだった。
俺は、シチューをすくいながら、ふと、一番最初の朝のことを思い出していた。染みだらけの天井と、薄い麦粥と、混乱と、たったひとつの結論。
あのときの結論に、七年と三年かけて、続きがついた。
目を覚ましたら異世界で、俺は転生者で、前世の記憶があって——
帰る場所がある。
それだけの、ことだった。
【第一部 完】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第一部『捨てられた転生者、規格外スキルで孤児院を救う』は、これで完結です。
七月五日に一話目を出してから、ちょうどひと月。毎日更新を一度も落とさずに、最終話まで来られました。読んでくださった方、ブックマークやお気に入りに入れてくださった方、評価や感想をくださった方のおかげです。
四歳で前世を思い出した少年が、七年かけて孤児院の食卓を立て直す話でした。
初投稿で、拙いところも多かったと思います。それでも最後まで楽しんでいただけたなら、幸いです。
さて、最終話で、レイは三年の旅をひとことで済ませてしまいました。
あの三年に何があったのかは、第二部で書きます。
『捨てられた転生者、金色の竜と旅に出る
〜時空間チートで巡る、帰る場所のある旅路〜』
公開中です。第32話「行ってきます」の翌日から、現在進行で始まっています。
https://ncode.syosetu.com/n4145mo/
王都へ、北の森へ、竜の谷へ。行く先々で、飢えた土地と、腐った統治と、居場所のない人たちに出会いながら——それでも、帰る場所のある旅です。
またお会いできたら嬉しいです。
mizu




