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蒲公英  作者: 東間 重明
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ドッペルゲンガー

 

 高校を卒業し、友人達はそれぞれの進路に進んで行ったが、宗助と啓三は受験に失敗してアルバイトをしながら勉強を続けていた。宗助は美大を諦めて商業デザインを専攻する為に、啓三は工業を学ぶ為に、それぞれ専門学校を志望していた。長田、井本は郷里を離れて大学へ、秋山は地元の調理師専門学校へと先んじて歩を進めた。また自家に於いては父の再婚が目ぼしい変化であった。以前からの知り合いであったらしい女性との結婚に、宗助は何の感慨も抱かなかった。彼女は宗助の心情にも生活にも何ら影響を及ぼさない。また人間が一人増えただけのことだ、そう思った。生活は一層のこと貧窮し、時折借金の督促があった。宗助に信仰の芽を植えようと、何度か勧誘があった。皆、篤実な人柄であったように思う。しかし、何れ塩の大地に種蒔くようなものである。宗助は黙って話を聞くばかりで、彼らの説法は正すべき生活の乱脈の上に、実を結ぶことはなかった。宗助は家を留守にすることが多くなり、友人や幾人かの女性、或いは当時勤めていた地下街のネットカフェの倉庫に起居するようになっていた。クリスチャンの少女とは未だに交際があった。一度、借りていた画集を返したいという連絡があって、宗助はそれにそちらで処分するなり、好きにしてくれて良いと返したのだが、切れると思った関係は曖昧に続いている。人の家に厄介になるのは気詰まりでもあったから、専ら地下街の倉庫に篭って、職場の人間がくれた林檎なぞを齧りつつ、白壁を背にそれを写生したりしていた。


 深夜、勤務中に啓三がやって来た。彼はカウンターに程近い座席を指定した。他に客もなく、店内は閑散としている。カウンター横のウィンドウからは、地下街の行人が一望できるようになっている。今は人気もない地下街からは、遠くスケートボードの滑る音が反響している。


「それで、妥協せざるを得なかったって訳だよ。どうやったって、おれの頭じゃあNASAになんて行けないんだから。自分がどう逆立ちしたって無理だってことに気が付いて、おれは男泣きに泣いたよ。それでも諦めきれないから、せめて関係する仕事に就きたいと思ってさ、今度は専門学校を受けることにしたんだわ」


「おれだってそういう次第だけどさ、思い切り良くもなれないんだ」


「だって、無理じゃないか」


 啓三の注文したフライドポテトをレンジに入れて、暫く宗助は口篭った。


「なんにしても今年の受験が分水嶺だ。おれは絶対に合格する。宗ちゃん、おれがもし落ちたら、思いっきり虚仮にしてくれ。容赦なく馬鹿にしてやってくれ。もしお前が落ちたら、おれもそうするよ」


 それに応じる宗助の声は、携帯電話の着信音に掻き消された。啓三に目配せをして、店内を確認した後、カウンターの奥に引っ込んで通話ボタンを押した。


「もしもし、宗助?」


「ああ、どうしたの」


「もしもし、宗助だよな? お前今そこにいるんだよな? 働いているんだよな」


 父親の口調には尋常ではない気配があった。なにか家に事件でもあったかと、宗助は腹を括った。


「いるよ。今日は夕方から朝まで入ってる。なにかあったの」


「ああ、いや、お前、家に電話してないよな?」


「電話? してないよ。ずっと働いているんだって」動悸が激しくなってきた。


「いや、お前から電話があったんだよ。本当に電話していないのか」


「くどいな。電話なんてしてないよ。どんな電話があったんだ」


 悪戯電話でも掛かったのだろうか。自家の電話は旧弊なプッシュフォンで、番号表示がされない機種であり、リダイヤル機能もなかった。機能があったところで、恐らくは公衆電話から掛けられたものに違いない。相手は判らない。


「お前から電話があってね、いや、声がそっくりなんだよ。なんだか酔っ払ったみたいでね、おれはもう駄目だ、死ぬしかない、なんてことを言うんだよ。それで、頼むから瑛子さんに代わってくれって言うもんだからね、電話を代わったんだけんね。ああ、瑛子さんに代わるね」


 直ぐに継母が電話に出た。父に比べれば落ち着いたものだが、やはり声の調子は硬い。


「お兄ちゃん? お父さんから話は聞いたでしょう。それで私ね、お兄ちゃんになにかあったのかと思ってね、話を聞いたんだけどね。お父さんに話を聞かれたくないから、おれの部屋に場所を移してくれって言うのね。それでお兄ちゃんの部屋に行ったんだけど、妙な感じでね、座る場所とかを指定してくるの。それでベッドに座って、話を聞いていたんだけどね、やっぱりもう駄目だ、なんてことを言うのね。それでお酒を飲んで、今は繁華街にいるって。もう死ぬしかないから、瑛子さん、一晩だけおれの恋人になってくれって言うのね。私、それを聞いたら怖くなっちゃって」


 心臓が破裂しそうだった。誰がそうしたのだ。番号表示されない電話。家族構成。部屋の間取り。声質と性質。相手は自分を良く見知った人間なのだ。恐らくは数え上げられる位に数少ない人間のなかの一人なのだ。近々に再婚した継母の名前を知っている人間など、そう多くはない。友人の誰かが、これをしたのだ。頭が割れるような眩暈がする。


「それはおれじゃない。大丈夫だよ。どれぐらい前の話だい」


「直ぐにお父さんが電話したから、ほんの十分くらい前だと思う」


「この手のは時間を置いてまた掛かって来るよ。レコーダーがあったろう。録音できるように電話の横に置いておいてくれ。出来れば電話も買い換えた方が良い。とにかく、おれは大丈夫だから」


 ――誰がやった。探し出して、瑛子さんの元に引き摺って行かなければ申し訳が立たない。


 善後策を講じて、電話を切った。冷や汗がシャツをべっとりと濡らしていた。咽喉奥と眼底に圧痛がある。頭は鉄の輪に締め付けられるようだった。


「電話、もういいのか」


「ああ、家に悪戯電話が掛かったみたいだ」


 宗助は細部を話して聞かせた。啓三は宗助の只ならぬ様子に言いあぐねているようだった。


「つまりは、おれを良く知る人間がやりやがったんだ。おれを攻撃するならまだしも、家族を狙って。こともあろうに継母を嘲弄しやがったんだ。恐らくおれが今ここで働いていることも知っている奴なんだ」


「まあ、落ち着けよ」


 こいつは本当に、人でも殺しそうな顔付きだな。啓三は気を落ち着かせようと、ドリンクバーから新しい飲み物を作って、宗助に手渡した。それを一息に飲み干して、宗助は言う。


「しかし、なあ、おれはここに居たよな」


「何言ってるんだ。居たよ。おれと話をしていたじゃないか」


「そうか。おれはなんだか自分があちらこちらに居るような気がするんだ。悪戯電話を掛けた人間がおれではないと、おれが言い切ることは難しいんだ。それでお前が保障してくれても、信じきることは難しいんだ」


 宗助の濁った目を見て、啓三は息を呑んだ。掛ける言葉は見つからなかった。


 その夜から数ヶ月が経ち、啓三は専門学校の入学試験に合格し、宗助はまたも失敗した。地下倉庫で宗助はつぶさに苦渋を嘗めた。後日、早朝にヘルメットを小脇に抱えた啓三が宗助の元を訪れた。


「荷物は送ってあるからな。これからバイクで発つよ」


「そうか」


「ああ、今日は絶好のツーリング日和だぜ。じゃあ、あばよ」


 啓三はそう言い残して、右手を振り上げながらドアを潜り、地下街を後にした。カウンターの壁に身を預けながら、啓三の去ってゆく姿を目で追った。そうか、外は晴れているのだな。物思いに沈んでいると、ドアベルが鳴って、常連客が入って来る。宗助はその右足を常に引き摺っている、気の小さそうな男性客に応対した。



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