91 vsザ・ハーク師父
ガキィン!
ぶつかり合った二つの爪から火花が発した。
「あっ!」
鉄をも切り裂く硬度を持っているにもかかわらず、片方の爪が柔らかく絡めとるように蠢きもう一方の爪を挟みこむようにして抑えこんだ。
爪に引きずられて……私、ナヴァ・ザ・ハークの身体が傾く。
師父の左手は鍛えぬかれ、鋼のように堅い拳タコのできた拳だ。一撃で人の臓腑を破壊する恐るべき凶器なのだ。
私は下手に避けようとせず、地面を蹴って床に身体を投げ出すように飛び込んだ。
そのまま左手で受け身を取りながら地面を転がり、勢いを利用して即座に立ち上がる。
「腕を上げたなナヴァ」
表情を変えずに師父がつぶやいた。
「師父に鍛えられましたから」
私がご主人様と肩を並べて戦えるのも、師父から戦い方を叩きこまれたからだ。
師父の教えは容赦がなく、無慈悲だったが、流した涙と汗は命の危機に陥っても私を支える背骨となっている。
だからこそ……私は師父に知ってほしい。今度は私が師父に、新しい生き方があるのだと教えたかった。
「師父、おかしいとは思わないんですか? アーリマンの目的は人間という種族の理解だったはず。私達はそのために人に混じって生きていくことが望まれていた。なのに私達は堕慧児同士で固まって、望まれない信仰のために意図されない戦いを続けている。師父も一度外から戦竜教団を見てみれば分かるはずです。そのあり方がどれだけ矛盾に満ちているか」
「…………」
師父の動きが止まった。
「師父」
私は師父に手を差し伸べようと一歩近づいた。
「寄るな裏切り者が!」
だがその返答は拒絶の怒声だった。
「なぜです師父! 師父ほど聡明な方なら私が考えていることが分かるのではないですか!?」
「黙れ!!」
それは初めて見せる師父の表情だった。
私を叱るときも冷静に怒りをコントロールしていた師父が、顔を赤くし目を見開きながら怒声を上げる。私の知っている師父のイメージからすれば大きく逸脱していた。
「師父!」
私へ荒々しく爪が叩きつけられる。
こんな一撃、受け切れるものではない!
私は素早く側面に回り込んで回避する。
恐ろしい一撃だったが、師父にしてはあまりに大雑把な一撃だった。
その証拠に私はこうして楽に側面に回避できている。
「お前に何が分かる!」
私が叩きつけた爪を師父の爪が受けた。
「お前に! お前みたいな小娘に何が分かるか!」
「師父! 一体どうされたのです!?」
一体何が師父をここまで怒り狂わせているのか。私にはすぐにはわからなかった。
今の師父の攻撃は、炎のように激しいものだったが、いつもの水のように無形で絡め取られるような底知れぬ恐ろしさが無かった。
それでも師父の技量と肉体は私の能力を上回っている。
お互いに戦術を理解しあっていたからこそ生じていた均衡が崩れ、能力の差によって次第に私は追いつめられていく。
「愚か者が!!」
師父のつま先が私の鳩尾を蹴り上げた。
「かっ……」
肺の中の空気が強制的に吐き出され、メキメキと内臓と骨格が悲鳴を上げる。
「かふ……ひゅぅひゅぅ」
肺が痙攣し、内臓が沸騰しているかのような痛みと熱さが私を苛んだ。
うずくまった私を見下ろすように師父が立っている。
「教団の矛盾など、とうの昔に気がついておるわ」
「だ、だったら……」
「だったら何だというのだ。間違っているから今更教団を捨てろというのか」
「し、師父……」
「だとしたら私の人生はなんだったのだ。私が死地に送っていった|我が名を受け付く子(ザ・ハーク達)が流した血は無意味だったというのか」
師父は爪を振り上げる。私にとどめを刺すために。
「今更……今更生き方を変えられるものか……私の人生が、何の意味もなく、何も成し得なかったなど……どうして認められる!!」
師父は咆哮しながら私へと爪を振り下ろした。
ズドン!
爪は私にまで振り下ろされることはなかった。
信じられない面持ちで師父はよろめいて後ずさる。
師父の胸にじわりと赤い染みが広がっていった。
「それは……」
「バロウズ様からお借りした拳銃です」
ご主人様は私の戦いが始まる前、私の肩を叩いた時に左の銃を私の懐に滑り込ませたのだ。
銃口から白い煙が立ち上り、師父の胸を貫いたのがこの拳銃から放たれた弾丸だと語っていた。
「知らぬ、お前がそんな戦い方をするなど……知らぬ」
「師父」
「……お前はもう私の知っているナヴァ・ザ・ハークではないのだな」
「私は私の人生を見つけました」
「そうか」
師父が膝から崩れ落ちた。
「師父!」
「なるほど悪くないものだ、弟子に越えられるというものは」
「あなたがいなければ、今の私はありませんでした。なのにこのような形で……」
「気にするな。立場が違っただけのこと……ナヴァはナヴァの人生がある。分かっていたさ、分かって……だが」
「師父」
「お前を育てられたのだから……お前は教団のありかたに良くも悪くも大きな変化をもたらすだろう……それは……私の無意味だった人生の中でも……それだけは意味があったと……誇って……いいだろう……なぁ私の小さなナヴィ」
私がまだ幼かった頃の呼び方で私の名を呼ぶと、ザ・ハーク師父は、満足気に目をつむった。さっきまでの激昂はそこにはなく、とても穏やかな表情だった。
その表情は幼い私の成長を見守っていた、あの時の師父のものだった。
「……もったいないお言葉です」
斃れた師父を前にして、私はようやくそれだけを吐き出すように言うことができたのだった。




