39 パラボクレアから見た世界
私はこれまで自分は不幸だと思っていた。
失意の中で父は死に、母は奪われ、兄は貧困の中で死んだ。
地獄しか知らない少女と、天国から地獄へ落ちてきた少女はどちらが不幸なのだろうか。
私はそこがどれだけ地獄なのかを知っている後者の方が不幸なのだと思う。
私はパラボクレア・ネイラント。
魔導師の名門ネイラント家の最後の一人だ。
竜を倒した私のご主人は、今は私の後ろにいる。
腰に回された手がすこしくすぐったい。
竜の毒はジョン殿下の魔法によって解毒はされているが、失った体力は少なくないのだろう。
自分で馬に乗る体力も無いようで、ご主人は私の背中に体重を預けていた。
「魔法はすべて必然で成り立っている。神はサイコロを振らない。運命もそうだ、偶然なんてありはしない。すべて必然で結ばれている」
死んだ父の口癖だった。
部下に裏切られ失脚し、失意の中憤死した時もその主義を持てたのかは分からない。
魔道で生きていくほどの才能も研鑽の時間もなく、奴隷に身を落とすほか食べていくことができなかった私の人生、そしてご主人……バロウズと出会えたこと必然だったというのだろうか。
バロウズは天才、というより化物だ。
再び魔法の研鑽を始めてから、あらためてご主人の規格外の才能が理解できた。
自分では欠陥魔導師など自虐しているが、とんでもない。
不幸な事故で魔法の系統が制限されたそうだけれど、私は神様か悪魔がご主人の才能を恐れて、伝説の不死王エカヌス・リッチのような存在へ成長しないように仕組んだのではないかとすら思っている。
魔法も規格外なのは今更言うまでもないが、あの魔法銃の技術もとんでもないものだ。ご主人は簡単に魔法回路を武器に刻んでいるが、普通の魔法剣士は効果1つを1日に数回刻むのがやっとだ。一度に3つの効果を刻めたら凄腕の魔法剣士として名が売れるほどだ。それをご主人は一度に9つの魔法効果を刻む。そんな技術聞いたことが無い。
ちなみに永続的なマジックアイテムはさらに難しく、効果1つが一般的で、2つの能力があったら高級品、3つあれば王家伝来の宝物級だ。簡易とはいえ、ご主人の能力によって作られた武器はそれこそ神話級の武器なのだ。
そんな才能を持っているためか、ご主人の周りも普通ではない。
私もそう色々な家庭を見てきたわけではないが、それでもヒース家は何かがおかしいことくらいは分かる。
バロウズの父親、ハワード・ヒースは人間味の無い人だ。ご主人は、自分が欠陥魔導師だから父親から相手にされていないと思っているようだけれど私は違うと思っている。
あの人は、誰にも興味が無い。興味が無いというより期待していない。
メイドたちを見る目も、自分の妻を見る目すらも自分より劣った人間を見るときのような、金持ちが私たち奴隷を見る時のような侮蔑の感情が見えるのだ。
バロウズの母親、ルイーズは正気を失っているように見えた。メイドたちの話を聞く限り、自分の思い通りになっているうちは強い関心を持つが、少しでも自分の意図からはずれると途端に興味を失うらしい。ルイーズが私に声をかけたことは一度もない。
バロウズの兄弟は長男ブランドン、長女キャサリン、次男ヘンリー、そしてご主人の妹にあたる次女テレーズの四人。今は全員留学に出されており、屋敷にはいない。
となると疑問は、なぜご主人だけ留学に出されていないのかだ。期待されていないからというのが分かりやすい答えだが、そもそも貴族にとって魔法は必須項目ではない。礼儀作法と同じ、使えた方が評価されやすいというだけだ。
規格外の才能を持ったご主人を手元に置きたいからとも考えたが、ご主人に干渉する様子は殆ど無い。ご主人が屋敷を抜けだしても、探そうという気配が無いのだ。
メイド達の何人かは他国の人間だ。巧妙に隠しているようだが、奴隷として色々な国の人間と話した私には、微妙なイントネーションの差でピンときた。彼女たちは表向きは他のメイドと打ち解けているようだが、何か目的があるようにも感じる。
バロウズの乳母である家令のルナは、こんな異質な屋敷の財務を握っているのにも関わらず、どこまでも普通だった。それが逆に不気味に思えるほどに。
奴隷仲間のリアンは私の親友だ。
元々魔導師の娘だったという自負から周りから孤立していた私に声をかけてくれた。
リアンは私が助けてくれたとよく言うが、本当は逆だ。
私がリアンに助けられた。自分の生き方に折り合いをつけることができたのはリアンのおかげ。
だからリアンを助けてくれたご主人には本当に感謝している。
地獄で暮らしていた少女が天国にたどり着いたのなら、その少女はきっと誰よりも幸せになれる。私はそう思う。少なくとも私とリアンはご主人……バズに対して感謝している。
ナヴィについては実はよく知らない。あまり話したこともなかった。
従順で模範的な奴隷。主人に口答えすることなく、言われたことをただ実行する。
たまに私は怖くなる。
ナヴィは主人から死ねと言われたら躊躇なく死ぬのではないのだろうかという恐怖だ。
彼女にとって人生とは何なのだろうか。私にはご主人に話しかけられて笑う彼女の表情が、まるであらかじめ用意された仮面のように見えて、それが怖くて怖くてたまらない。
ご主人は特別な存在だ。そのような人に拾われる可能性というのはどれほどのものだろうか。
これが必然だとしたら、私はご主人のために何かできることがあるのだろうか。
私にとって、ご主人はやはり特別だ。私にもう一度自由な人生を与えてくれた。
だから彼のためにできることがあるなら何でもしたい。
今はただ馬をできるだけ揺らさないように走らせることくらいしかできないけれど……。
いつのまにか背中のご主人は静かに寝息を立てていた。




