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「あ、アキちゃんが起きたよ」


 目覚めたとき、アキが見たのは弟のフユの顔だった。


 ぼんやりした頭で思う。さっき隼人の夢を見た気がする。白い翼を生やした隼人の姿に、ああ、隼人は 天国で天使になったんだ、と思った。自分に向かって微笑んでくれた。

 幸せな気分でゆっくりと体を起こしたアキは、自分を取り囲む家族の中の、ひとり異質な存在に目をみはった。

 

「あ、アキが固まった」


 ナツの顔つきは面白がっているときのソレだ。


「お前だってさっき固まったろうが!」


 ナツに軽くデコピンをお見舞いし、ハルが頭をぐしゃぐしゃと掻きながら言う。


「……まぁ、俺も縁側でアキを抱きかかえてる天使を見たときは、さすがにびびったが」


「ハルちゃんが大声で叫んだから、ぼくびっくりして起きたんだよ! お父さんも慌てて起きたんだよね?」


 アキを覗き込んでいたフユは、笑いながら父親を見た。


「早朝から騒々しすぎる……。誰のせいかってハルのせいだけどな」


 無精ひげを生やしたままの寝起き顔で、あくびをしながら栄は眠そうに呟く。


「あはは、ハルさんのせいっていうより、元はといえば僕のせいなんで。すみません、おじさん」



 会話の流れにすんなりと入り込んだ天使……もとい隼人になんの違和感もない。更に言うなら、一切の動揺を見せずにすでに馴染んでいる自分の家族に、アキは驚きを通り越して呆れた。


 隼人は死んだ。間違いなく。


 それは曲げようのない事実であり、認めなければならない現実のはずだ。それなのになぜ、隼人はここにいるのだ? 背中に翼を背負い、まるで天使そのものになっているが、その顔も体も、声も、なにもかもが自分の知っている隼人なのだ。


 心が、痛い。


 なぜ今、こんな形で隼人が目の前にいるのか、理解できない。目の前の“隼人の姿をした天使”を直視できずに、アキは俯いた。

 そんなアキの様子を見て、ハルは隼人に向かって言った。


「……そろそろ、話してくれるか? 一体どういうことなのか」


「はい、では、アキも目を覚ましたところで、説明させていただきますね」


 その場に集まった五人を見回した隼人は、きちんと正座をして、にっこりと笑顔を浮かべて言った。


「アキ」


 名前を呼ばれたアキは、ぴくりと肩を動かした。


「ごめんね、死んだのにこうして現れて」


 その言葉にがばっと顔を上げたアキは、動揺を隠せない瞳を彷徨わせ、そして首を振った。そんなアキの様子に、隼人は少し目を細めて、口を開いた。


「僕は確かに死んでいます。みなさんが見送ってくれたあのときに」


 日向家の五人は一斉に顔を曇らせた。葬式の時の悲しい想いが脳裏によみがえる。


「死んだあと、僕の魂は、天国へ向かいました。というか、僕の場合交通事故だったので、死んだとか良く分からないまま、気がついたら白くて大きな門の前にいたわけなんですが」


 通夜の時の暗い雰囲気を思い出した一瞬前の自分たちがバカみたいな、あっけらかんとした隼人の物言いに、一同は唖然とする。まるで現実味のない話の内容以上に、にこやかに話す隼人の態度は不自然なほど明るい。フユだけは話を理解できているのかいないのか、にこにことしていたが。


「その門をくぐると、そこはまぁ、いわゆる天国で、死んだ人たちの魂が暮らしていました。僕は祖父母に再会しまして、しばらくは一緒に天国で暮らしました。祖父母に会ったことで、自分が死んだという事実を再確認したんですけどね。自分の葬式の様子も見ちゃいました。みんながあんまり泣くんで、それで僕ももらい泣きしちゃって」


 苦笑しつつ頭を掻く隼人に、誰一人声をかけられるものはいない。呆気に取られて口を開いたままのギャラリーを意に介さず、隼人は話し始めた。






 天国で暮らし始めてからしばらく経った頃、隼人のもとにひとりの正天使(せいてんし)がやってきた。

 通常、いわゆる“亡くなった人”は<天国>と呼ばれる世界に存在し、そこで暮らしている。天国とは、そこに存在する住人たち―一度その命を終えたものたち―が、次の生を受けるまでその魂を癒す場所として創生の神が創った場所であり、住人たちはいずれ訪れる転生の時を“待つ”ことだけを目的とし、存在している。

 よく物語に登場する、いわゆる神や天使などという存在はそこにはいない。神やら天使やらが存在するのは<天界(てんかい)>と呼ばれる場所で、<天国>とはまた違った世界であり、天国の住人がそれらの存在に遭遇することは滅多にない。


 その滅多に会うはずのない存在が、隼人のもとへやってきた。翼を持った人型をとる“正天使”は、神の仕事を補佐する為に働いているというだけあって神々しいオーラを纏い、隼人にある誘いを持ちかけた。それは 天使になる誘い、だった。

 いわく、隼人のように若くして死んだものは、生きているうちに経験できなかった“仕事”を体験できるよう、“準天使(じゅんてんし)”として力を与えられ、神や正天使の下で働くことができるのだという。

 あれこれあってその誘いを受けた隼人は、仮初めながらも天使としての力を得、神や天使たちの住む天界へと渡り、天候を司る神の元へ配属された。隼人の直属の神様は、雲を司る通称“(くも)じい”と呼ばれる、ちいさくてよぼよぼの爺さんであった。

 なにはともあれ、雲じいの下で働き始めた隼人は、他の準天使や正天使とともに、雲に関する仕事をするようになったのであった。





「雲じいってちっちゃくって可愛いんだよ。頭なんかふわっふわの白髪でさ。羊みたいなの。ひげもふわっふわで……」


 自分の上司であるおじいちゃん神様に思考を飛ばして遠い眼をした隼人に、ナツは割って入った。


「ちょ、ちょっと待て、隼人。雲じいはわかったけど、雲に関する仕事って何なの? それと今の隼人と何か関係あるの?」


 的を射た質問に、隼人は瞬きをして、またにっこり笑った。


「あ、ごめんね。つい……。えっと、雲じいと僕たちのやってる仕事って言うのは、雲を“描く”ことなんだ」


「……描く?」


「自然発生ではなくて?」


 ナツとハルはそれぞれに疑問を口にした。アキと栄は黙ったまま、フユはにこにこしたままだ。


「うん、もちろん大部分は自然発生なんだけど、時々必要に応じて雲を作り出すんだよ。僕はよく知らないけど、神様会議で決めてるみたいなんだ。」


 一旦言葉を区切って一同を見渡し、またしても口をぽかんと開けた三人を見遣って苦笑する。


「雲じいが雲を描いて、その雲から雨じいが雨を降らすんだ。雨を降らさない雲もあるんだけどね。それから描かれた雲は、風ばあが適当に吹き散らすって寸法なんだ」


「ちょ、ちょっと待て」


 頭脳派のナツが、またも懸命にストップをかける。


「お前“描く”って言ったよな? 絵みたいに雲を描くと、そこから雨が降るのか? 一体どうやって? でもって結局お前の役割は?」


 眉をしかめつつ矢継ぎ早に質問したナツに、隼人はその答えを用意していた。


「これを使うんだ」


 詰襟のようなチャイナ服のようなデザインの、丈の長い上着のポケットから、おもむろに取り出したのは、蓋付きの缶のようなものだった。


「<神様の絵の具>って呼ばれてる」


 その缶の蓋を開けると、絵の具とは言い難い、首を傾げたくなるような無色透明の液体が入っていた。


「絵筆は、僕らの指。描きたい雲を頭の中に浮かべて絵の具をつけて、それを空に走らせるだけ。そうすると雲ができて、あとは雨が降ったり風に散ったり。簡単でしょ?」


 一同は、缶の中身を覗きこみ、そして一様に言葉を失った。……ちょっと理解の及ぶ範疇ではない。そんな日向家の面々を見渡し、隼人は少し嬉しそうに言った。


「僕は元々なりたての準天使だし、地上に降りてくる予定はなかったんだ。でも雲じいが、急にぎっくり腰になっちゃって。動けなくなっちゃった雲じいの仕事の穴を埋めるために、僕たち天使がそれぞれ地上に派遣されて、仕事することになったんだ。これが僕がここに来た理由。」


 笑顔を更に深めてにっこりと笑った隼人は、そう言って話を締め括った。




 とりあえず隼人の一連の説明を聞き、今の状況と、隼人がここに来た理由は分かった。……分かったが……、内容があまりにファンタジーだ。

 絶句したままのアキを横目に、一番早くこの状況に適応したのは、ナツだった。


「うーん、まぁ、そっか。いろいろ信じがたいことも多いけど、それより俺は、お前とまた会えて嬉しいよ。元気そうだし、安心した。もう、それでいいよ」


 苦笑いとため息とともに言い切ったナツに、隼人も口元をゆがめる。もともとふたりは、高校のクラスメートで、アキと隼人が付き合いだす前からの親友だ。その辺の気安い関係がふたりにはある。


 普段は現実的なことばかりを口にして、ちょっと空想癖のあるアキを窘めるナツが、いち早くこの状況を受け入れたことに、アキは内心で驚いていた。それとともに、すんなり受け入れることの出来ない自分に、戸惑っていた。

 失ってからもずっと心の中に想い続けてきた人だ。奇跡のように再び逢えたのに、なぜ素直に喜べないのだろう?


……コワイ


 怖い? 一瞬心の中をよぎった言葉に、アキは首を傾げて自分の心に問いかけた。

 怖い、何が? 死んだ人とは言え透けてる幽霊でもないし、他でもない隼人なのだ、怖いことなど何もないはずなのに。

 アキが悶々としているあいだに、長兄のハルも心の整理を付けたようだ。


「まぁ、小難しいことはいいや。こうして目の前にいること、それが全てだよな。隼人」


 弟の親友として、その後妹の恋人として日向家にしょっちゅう出入りしていた隼人は、ハルにとって三人目の弟のようなものだ。流石にアキと付き合いだしたときはぶん殴ってやろうと思ったが、アキの幸せそうな顔を見て踏みとどまったことは、ナツにも隼人にも筒抜けであった。

 そんなこんなで結局仲良くなった、血のつながらない弟のような存在の隼人の肩に手を置いたハルがにこにこ笑うのを、アキは呆然とみつめる。


 なんで

 私は


 呼吸すら忘れたかのように、目を見開いたまま固まってしまったアキに、隼人は優しく声をかけた。


「アキ」


 はっと顔を上げたアキに向けられた微笑は、ひどく優しかった。


「無理……しなくていいからね。ごめんね、混乱させちゃって。でもね」


 一旦言葉を止め、目線を落とした隼人は、再び顔を上げ、笑みを更に深くして告げた。


「僕は、またアキに逢えてうれしいんだ。……雲じいに感謝しなくっちゃ」


 それは、アキの大好きな。大好きな隼人の大好きな笑顔で。

 失ってしまって、二度と目にすることは出来ないはずの、大切な。

 


 胸が詰まって苦しくて、声が出せそうにない。代わりに目からは涙がぼろぼろ落ちてどうにもならない。


 ―逢いたかった逢いたかった逢いたかった。

 私も、逢いたかった、隼人。


 その気持ちをぶつけるように、アキは隼人に抱きついた。悶々と考え続けていた思考の塊はどこかへ投げ打って。

 いつかぎゅっと抱きしめあった時のように、隼人も抱きしめ返してくれた。かすかに香る隼人の匂いに安心して更に擦り寄る。

 だが隼人が苦笑して、アキの髪を撫でたとき、アキはぴくりと身を震わせた。

 

 隼人に抱きついたアキを見たナツは、ほっとした笑いを浮かべながら大きく伸びをして、少し寝癖のついた髪を梳きながら言った。


「さーってと、落ち着いたところで、朝飯でも作りますかぁ。父さん今日仕事だろ? すぐ準備するから!」


 そのナツの言葉に、栄は「ああ、そうだった」と洗面所のほうへ歩き出し、ハルも抱き合うふたりを少しだけ複雑そうな表情で見遣って肩をすくめ、フユを促してその場を去った。

 こうしてひとまずその場はお開きになり、一同は散会した。


 ただ、アキと隼人だけはその場から動かず、じっとしていた。自身の腕の中に納まったアキが、固く体を強張らせたのを、隼人はわかっていながらもそのまま抱きしめ続けた。愛おしそうに髪を撫で、離れていた時間を埋めるようにしっかりと強く。

 だがそんな隼人の顔に、幸せとは程遠い苦悶の表情が浮かんでいることを誰も知らなかった。腕の中のアキだけがただならぬ気配を察し、沈黙が流れるのをやり過ごすかのようにじっと息を潜めていた。



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