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じゅわーという音と共に、卵のいい匂いが台所に立ち込める。
よくこの短時間でと自分でも驚愕するほどに立派な朝ごはんが出来上がり、ナツは鼻歌を歌いながら居間に運ぶ。
「おーい、みんな、朝飯できたぞ~」
と、上機嫌で呼ぶと、お腹を空かせていたのかフユが一番に跳んできた。焼き魚、茹でたウインナー、玉子焼き、温野菜に漬物……と、テーブルに並べられたおかずに、大きな瞳を輝かせる。
「わあい、ナッちゃんの玉子焼きだ! ぼく大好き!」
そんなフユにナツは破顔して答える。
「玉子焼きくらいでそんな喜ばれるとな~。はははっ。……ところでアキと隼人は?」
一転、真面目な表情に戻って尋ねたナツの疑問に答えたのは、フユではなかった。
「ああ、ナツ、相変わらず料理上手だね。おいしそう」
障子の向こうからひょいっと首を出したのは、他でもない隼人で、その後ろにアキもいた。
「隼人、お前も食うだろ? 久々のナツ様の手料理をご堪能あれってやつだな! たいしたもんじゃないけど。アキ、お前もそんなとこにいないで、早く座れよ」
嬉しそうなナツの言葉に、隼人は、複雑な表情で返した。
「ああ、ごめん、ナツ……。僕は食べられないんだ。せっかくだけど、残念だな」
苦笑いを顔に浮かべた隼人に、ひげを剃ったばかりのほおを撫でながらやってきたハルは不思議そうに問う。
「……? なんでだ? お前食わなくて動けんのか? はっ、まさか、天使は霞を食うとか! 仙人みたいに!」
自分で勝手に答えを探し興奮するハルを横に、隼人はひどく落ち着いた声で話す。
「うーん、ハルさん。仙人の食生活は知らないけど、天使はね、基本的に食事は摂るけど天界の食べ物しか食べられないんだ」
優しげな声音でそういった隼人に、ナツは首をかしげた。
「なんでだ? まさか地上の食べ物は汚れてて食べられないとか、そーゆー理由か?」
隼人は「ううん」と首を横に振る。
「違うよ、そうじゃない。もっと、別の理由。……触れられないんだ、天界の住人は。……地上のものには」
そして自身の手をみつめ、一瞬にして固い表情になった隼人に、ナツもハルも思わず真剣な表情になる。
「死んだ人や天使はね、実体を持たないんだ。……よく考えたらそうだよね。体は死んだときに焼かれちゃってるんだもの。魂って言われるものが、記憶や想いを留めて、そして天国でその意識を取り戻す……そういうことだと思うんだけど。だからね、体のない僕たちは、たとえ地上に降りてこられたとしても、触れることはできないんだ。何にも。だから食べることだってできない」
「だ、だけどよ……、お前、今、体あるじゃねーか。それってどーいうことだ?」
どもりながらも、もっともな疑問を口にしたハルに、隼人は端正な表情を崩さずに言った。
「ほら、僕って仕事しにきたでしょう? だから今回は特別に、肉体を貸してもらってるんだ。……“天使の器”って呼ばれてる。要するに人形みたいなものなんだ。そこに魂が一時的に融合して、その人が生きてたときの体になる。でも、あくまで器だから、本物じゃないんだ」
隼人の背後で、黙って説明を聞いていたアキは少しだけびくっと身を震わせ、先ほどから青くなっていた顔を更に蒼白にした。そんなアキに隼人は少しだけ振り向き、すまなそうに笑った。
「アキはもう気付いたよね。……僕の手、冷たいから。体だって冷たいもんね。血が通ってないんだもの」
そうして再び自身の手を見つめた隼人は、自分を取り囲むようにして黙ってしまった日向家の四兄弟に気付き、その空気を吹き飛ばそうとするように殊更明るく言った。
「もう、みんなったら。僕が死んだ人間だってとっくにわかってるでしょ。ほら、さっさとご飯食べなきゃ。フユくんはお腹空いてるんじゃなかった? あ、あとそこにいるおじさんも! 仕事遅れますよ!」
その瞬間、くるる~と鳴ったお腹の音にフユは赤面し、ハルとナツは吹き出した。廊下の影からのそりと顔を出した栄は、少しバツの悪そうな顔をしつつも、食卓についた。
笑いながらナツは味噌汁を取りに台所へ引っ込み、ハルはフユを促して食卓につき、ご飯をよそうべくしゃもじを取った。
全員が何事もなかったかのように振舞う中、アキだけがやはり、その場から動けずにいた。
「アキ、ほら、ご飯だよ。ちゃんと食べなきゃね」
隼人はそんなアキに優しく声をかけ、アキの背中に腕をまわす。ふわりと微かに感じた匂いに、アキは思わず声を出した。
「……じゃあ匂いは」
驚きのかたちに目を見開いた隼人に、アキは気色ばんで続ける。
「体が、隼人のじゃないなら、じゃあどうして」
どうして、隼人の匂いがするの? 匂いは体から発せられるものでしょう?
その先の言葉を口を押さえて噤んだアキは、隼人から視線を逸らし、家族に向かって必死になって言い繕った。
「ごめん、みんな。ご飯食べよっ」
そうしてそのまま食卓についたアキに集中していた視線は、ぎこちなくも逸らされ、一瞬の喧騒に乱された食卓の気配は、その場の人たちの努力によって、見た目穏やかなものへと変わっていった。
隼人はご飯を食べだしたアキを静かに見守って、自分は居間の隅に腰を下ろした。
むぐむぐとナツの作ってくれた朝ごはんを咀嚼しながら、アキは必死で自分の中の感情と闘っていた。
―聞いちゃダメだ。だめ。
体が人形なのに、隼人の匂いがするはずない。きっと自分が作り出した幻覚ならぬ幻臭なんだ。だけど……。
ごくり、と甘い玉子焼きを飲み下し、アキはちらりと隼人を盗み見た。隼人はその視線に気付き、にっこり笑う。あわててご飯に視線を戻す。
……聞きたくなかった。『匂い? 気のせいだよ』なんて。
そうしてきっと悲しそうに微笑むだろう隼人を見たくはなかった。
自分の嫌な想像で頭をいっぱいにしながら、アキは必死で箸を動かし続けた。……久しぶりに量を食べたご飯が、ほんの少しの後にすべてもどされてしまうのも知らずに。




