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 まだ陽がのぼり切っていくらも経たない早朝。歩いてもそう遠くない場所にある墓苑に、連れ立って墓参りにやってきた栄とアキの手には線香と向日葵の花。「向日葵ばっかりでお母さん飽きないかな?」とアキが言うと、栄は困ったように笑った。


 墓は掃除の必要がないほどにキレイな状態で、アキは首を傾げたが、あまり気にせず花を活けた。線香を燃やし、二人揃って手を合わせる。


 隼人やアレックスに聞いた話の限りでは、母はすごく元気に過ごしているようだ。十歳のときに亡くなってしまったけれども、いつもキラキラ輝いている、エネルギーに満ち溢れた人だった。料理が上手で、でも掃除はあまり得意じゃなかった。いつだって笑っていて、あの頃は父さんもよく笑ってた……。



 アキが思い出に浸っている時、不意に栄が立ち上がった。どうしたのか、と顔を上げると、じゃりじゃりと小石を踏んで近づいてくる足音が聞こえ、人影が見えた。


「吉川さん」


「あ……、日向さん、どうも」


 栄の呼んだ人物と、聞き覚えのあるその人の声は、アキを一瞬硬直させた。アキはぎくしゃくと立ち上がり、声のした方へ体を向ける。そしておずおずと顔を上げれば、そこには予想したとおりの人物―隼人の両親が立っていた。


「あら、アキちゃん。久しぶりね」


 隼人の母親に話しかけられ、アキは搾り出すように返事をした。


「お、お久しぶりです……」


 何をどういったらいいのか分からなかった。別に怖がる必要もないのに。


 隼人の両親に、アキは以前から怯えていた。隼人の家に遊びに行った数回、その言葉の端々や、視線に何かのプレッシャーを感じていたのだ。


 じゃりじゃりという小石を踏む音と共に、隼人の両親が近づいてきた。墓参りの帰りなのだろう、隼人の父親が手に持った水桶をアキは眺めた。その水桶を見て、アキはここに隼人のお墓があるのだと、ぼんやり思った。

 隼人の墓が同じ墓苑にあることを、アキは知らなかった。葬儀の後、気を失うようにして倒れ、その後三日ほど眠り続けていた。その後も学校が続いているにも関わらず家に引きこもり続けてきたのだ。墓がどこにあるのかなんて、今まで考えもしなかった。


「……すっかり痩せてしまったのね、アキちゃん。ダメよ、ちゃんと食べないと」


 か細く儚げに、そして優しく響いた言葉に、アキは目を丸くした。そして気づく。彼女もまた、ひどく痩せてしまったことに。


「おばさんも……」


 よく見れば、顔には濃いくまが出来ており、疲労の様がありありと見て取れる。父親を見れば同じように、疲れきった顔で、少し目が充血しているようだ。


「日向さん、隼人が死んでからご挨拶にも伺わず、失礼しました。……あの子が、だいぶお世話になったというのに」


 隼人の父が丁寧に頭を下げた。栄は慌てて自分も頭を下げた。


「いえいえ、そんな……いいんですよ、うちのことなど気になさらず。……御辛かったでしょうに」


 そんなやり取りを、アキは呆けた様子で見つめた。このふたりは、隼人の両親は、こんな人たちだっただろうか?


「ねえ、アキちゃん。もし時間があったらでいいのだけれど、また家へ遊びにいらっしゃいね。ナツくんと一緒に」


「ああ、そうだ、それがいい。きっと隼人も喜ぶだろう。……では、日向さん、失礼させていただきます。アキさん、また」




 じゃり、と小石を踏み、帰っていく二人を、栄とアキはお辞儀をして見送った。遠ざかっていく二人の姿を眺め、アキはまた首を傾げ、ぼんやりと呟いた。


「おじさんに名前呼ばれたの、初めてだ……」


「吉川さん達は、前はあんな風じゃなかったろう?」


 墓の隅に見つけた雑草を取り除こうとしゃがみこんだ栄が呟いた。まるで隼人と両親を前から知っていたかのような口ぶりに、アキは驚いた。


「え、お父さん、隼人のおじさんとおばさんに会ったことあるの?」


「いや、葬式のときが初めてだ」


 アキは瞬きをして更に首を傾げた。アキの疑問を正確に読み取ったかのように栄は言葉を続ける。


「あの二人、隼人の葬儀が終わって、墓に納骨が済んでからずっと墓参りを欠かさなかった。毎日、来ては泣いていたよ」


「え……?」


「隼人に聞いた限りでは、冷徹で全くあいつに興味がないっていう話だったからな。よく似た他人かと最初は思った」


 元々少ししか生えていなかった雑草は、すぐに抜き終わってしまった。栄はよいしょ、と立ち上がり、アキを振り返った。普段は饒舌ではない父が、こんな風に話をするのは珍しい。アキは少しぼんやりしながら父を見つめた。


「毎日毎日、来ては墓を眺め、泣いては隼人の名を呼ぶだろう? まさか他人がそこまでするはずない。……あの人たちは、自分らのそれまでを悔やんでいた。息子を、大事にしてやれなかったってな」


 手桶を掴み、ふらりと歩き出した栄に、アキは無言で従った。じわじわと照り付けてくる太陽に、蝉の声が響く。足元の小石も盛大に音を立てる。だが栄の声は、不思議と耳によく届いた。


「あの人たちは、ほら、大会社を経営しているんだろう? とてもじゃないが忙しかったらしい。息子も真面目に賢く育ったもんだから、つい放っておいてしまったって言ってたな。そんな風にしているうちに……亡くなってしまった」


 隼人の大きな家に遊びに行くのは正直少し怖かった。お手伝いさんが何人もいて、何だか空気が張り詰めていた。おばさんは上品に笑っていたけれども、本当は目が笑ってないのを知っていた。おじさんは挨拶したってこちらを見ようとはしない、そんな人だった。だから隼人もあまり家に居たがらなかった。しょっちゅう家に遊びに来ていた。放課後も、休みの日も。


 大きな木の日陰に入ったところで、栄は足を止めた。考え込んでいたアキは、栄にぶつかるようにして止まった。


「わ、何、急に止まらないでよ、お父さん」


「あの二人は息子に嫌われたままで、亡くしてしまったと、たいそう嘆いてる。……なあ、アキ。隼人は両親を嫌っていたのか? 憎んでいたのか?」


 栄が止まった場所。それはある墓石の前だった。色とりどりの花に埋め尽くされるように、その名前は刻まれていた。

 

 ―HAYATO YOSHIKAWA―


 清められた白い墓石。たった一人の息子を亡くした両親の悲しみが、溢れんばかりの花の形をとってそこに現れているかのような。


 アキは言葉を失った。

 蝉の声がうるさいほど響いているのに、逆に無音の中にいるような、そんな不思議な感覚。


 長い沈黙のあと、するり、と抜けるように言葉が口をついて出た。


「……そんなこと、ないよ。隼人はおじさんのこともおばさんのことも嫌ってないし、憎んでもいない。隼人は……二人が自分のことを嫌ってると、思ってた……」


 アキは、答えをひとつ、持っていた。

 アキ自身も驚いた。ああ、そうだ。隼人はそんな話もしてくれた。


「おじさんもおばさんも、子供がキライだって……。自分は望まれて生まれた子供じゃないって、そう言ってた……」


 ああ、どうして。どうして今まで忘れていたの、気づかなかったの?


 アキは思わず顔を覆った。栄はアキの突然の変化に動揺もせず、愛おしそうにまた頭を撫でた。


「隼人、ごめんね、ごめんなさい……!」

 

 ずっと、自分のことばかり考えていた。

 隼人が死んで、悲しかった。とてもやりきれなかった。自分も死んでしまいたかった。そうすれば、すべて終われると思ったから。


 全部、自分勝手に思い込んで。

 ああ、隼人



「隼人は私達の家族だって、勝手に決め付けてた……隼人にはちゃんとお父さんもお母さんもいたのに……」


 隼人とは、家で家族と共に過ごす時間が長かったため、隼人が亡くなったショック状態の中で、アキは彼の両親、家のことをすっかり頭の中から消し去っていた。隼人もあまり家のことを話さなかったため、印象に残りにくかった。


 天使になった隼人が日向家に来た事にも、全く違和感を覚えなかった。隼人がいる、それだけで頭がいっぱいになってしまい、隼人が日々何を思って過ごしているのかや、隼人の心のうちを全く考えようとしないまま、ただ隼人がいなくならなければいいと自分勝手に思っていた。


 隼人が何故正天使になることに固執したのかもようやく分かった。アキの想いを信じていなかったわけでも、日向家の面々の気持ちを受け入れていなかったわけでもない。ただ、気にかかっていたのだ、自分が両親から愛されなかったことを。両親に愛されないようなちっぽけな自分が、アキに愛されるはずもないと、無意識に思っていたのかもしれない。死んだ自分をアキが想い続けることがどれだけ不毛なことであるか、それを知っていて受け入れる自信が持てなかったのかもしれない。正天使になってしまえば、いつかは自我が消えるとしても、誰かに頼った不安定さ、その絶望的な不安からは逃れられる、だから。そう考えれば、隼人の行動の理由の辻褄が合う……。


「ごめんね……隼人、気づいてあげられなくて、ごめん……!」


 アキは大声を出して泣いた。後から後から溢れる涙を、止めようともしなかった。栄がその大きな体で、アキを支えていたから、アキは余計に安心して泣いた。

 早朝の墓苑。誰もそんなふたりの姿を見る物はいない。いたとしてもお墓の前で、大泣きする姿の、何がおかしいというのだろう?


「伝えておいで、アキ。……本人に」


 不意に頭の上から響いた低音に、アキは顔を上げた。


「まだ、チャンスがある。そうだろう?」


 何もかもを知ったような父の優しい顔に、アキは目を丸くした。そして走り出した。賑やかに音を立てる小石を蹴って。




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