17
風呂から上がったアキは、急に疲れを感じ、早々にベッドに潜り込んだ。うとうとと眠りに入ろうとする時、コンコン、と控えめなノックの音が響き、ドアが開いた。真っ暗な部屋の中に、廊下からの明かりが差し込む。
「アキ? 寝ちゃったか?」
ハルがドアから室内を覗き込んでいた。アキは半開きの目を擦り、身を起こした。
「……どしたの? ハル兄」
ハルはアキの返事を聞いてほっとした様子で、明かりをつけないまま部屋に入ってきた。そしてベッドの前に来て、胡坐をかいて座りこんだ。
廊下から差し込む光だけでは、ハルの表情は読み取れない。アキは訝しげにハルの言葉を待った。
「フユがな、アキちゃんと一緒に寝たいって聞かなくてな。こうして俺の背中に張りついて駄々捏ねるんで、仕方なく連れて来たんだ。もしアキが大丈夫なら、一緒に寝てやってくれないか?」
ハルの背中の影から、フユが顔を覗かせてアキの様子を伺っていた。普段は聞き分けのいい子だ、こんなに我侭にものをいうことなんて滅多にない。
「……いいよ、おいで、フユ」
アキの差し出した手に、フユはその小さな手を重ねて、にっこりと微笑んだ。そしてハルの背中を下りて、アキの隣に寝転がった。
「じゃ、大人しく寝るんだぞ、フユ」
やれやれ、と立ち上がったハルは、フユに一言言ってから、アキのほうへ向き直った。
ハルは手を伸ばして、アキのほおに触れた。思うことはたくさんあったが、あえて押し殺して口を開いた。
「……なあ、アキ。俺達がついてるからな。」
にかっと笑ったハルに、アキもくすりと笑みをこぼした。
「そうだ、笑顔だぞ、笑顔。……じゃ、おやすみ」
そう言って、ハルは静かにドアを閉めた。
ドアの向こうではナツが待っていて、ハルとアイコンタクトを交わした。任務完了、といった様子のハルの視線をナツは半笑いで受け流し、それぞれ静かに自室に引き上げていった。
ごそごそとアキのベッドに潜り込んだフユは、すぐに寝てしまうのかと思いきや、小さな声でアキを呼んだ。
「ねえ、アキちゃん」
「ん、なに? フユ」
並んで横になった二人は、揃って天井を見上げる格好で会話を始めた。真っ暗な部屋、何も見えない。
「隼人兄ちゃん、どこ行っちゃったの?」
フユの可愛らしい声。昼間はただどこかへ出かけたのだろうと思っていたらしい。しかし夜になって、プチ家出をしたアキが帰ってきても一緒に戻らなかったのを、不審に感じたようだ。
「……隼人兄ちゃんはね、天国へ帰ったんだよ……。ほら、言ってたでしょ? 死んだ人はみんな天国へ行くって」
「でも天使は天国じゃなくて、他のところにいるって言ってたよ。……隼人兄ちゃん、寂しくないかなあ? だってママは天国にいるんでしょう? ママは天使じゃないもん」
開け放したままの窓から、ぬるい風が吹き込んできた。ああ、何日か前にもこうしてフユと一緒に寝たっけ。アキはフユのお腹の上に、薄い布団をしっかりと掛けてやる。
「あのねえ、ぼく、いつか死んじゃったらね、ボクも天使になって隼人兄ちゃんと一緒に暮らすの。だってママのところにはパパが行くでしょ? ハルちゃんもナッちゃんも。でも隼人兄ちゃん、天使だったらひとりだから。寂しいからぼくが行ってあげるの。ねえ、アキちゃんはどうする? ぼくと一緒に隼人兄ちゃんのとこ行く?」
暗いからきっとフユにだって見えない。けれどもアキは両手で顔を覆っていた。フユの素直な愛情が、アキの胸の中にすとん、と落ちて、染みるように溶けていった。
「……うん、そうする。ありがと、フユ」
くぐもった声に、フユは笑った。
「どうしてありがとなの? 変なアキちゃん」
そして擦り寄ってきたフユを軽く抱きしめた。隣に寄り添う自分より高い体温。とくん、と小さな心音が耳に心地いい。
―そうだね、フユ。きっと寂しい思いなんかさせない。ひとりになんてしてやらないの。
安らかなフユの寝息を聞いているうち、アキはいつの間にか眠りに落ちていた。
窓から薄っすらと滲んできた朝日に、アキはゆっくりと意識を浮上させた。すっきりとした目覚め。
くすりと笑って、アキは隣でまだ寝息を立てるフユの髪をそっと撫でた。
「ほんとにありがと」
起こさないように慎重にベッドを降りると、まだ暗い部屋をしのび足で後にした。
一階へ下りると、縁側の方が明るいのに気づいた。変だな、と思ってそちらへ行くと、まだ暗い早朝であるのに雨戸が開け放されている。そこには柱に寄りかかって座る父の姿があった。
「お父さん……?」
眠っているかもしれないと、アキは静かに声を掛けた。
「ん……、アキか。……大丈夫なのか」
寝てはいなかったようだが、栄は眠そうに目を擦った。やはり昨日ずっと心配を掛けてしまったようだ。アキは素直に謝った。
「うん、大丈夫……。ごめんね、心配掛けて。でもお父さんどうしたの? 今日は日曜日だから仕事じゃないよね?」
アキは栄の隣に腰を下ろした。栄が無言のままでいるのに、アキも合わせるようにして、何も言わず待った。
薄暗い空の下、朝日がだんだん強さを増し、向日葵の黄色を濃くしていくのをふたりで眺める。さわさわと向日葵を揺らす、南からの風を受ける。陽が出たばかりだから、まだ暑くはない。
「なあ、アキ。墓参りに行かないか?」
唐突に栄が切り出した。
「……墓参り?」
「……母さんの、だ。今日は月命日だから」
栄の低音の声が、やけに静かに響いた。アキは思ったことを口にした。
「お墓には、お母さんいないよ……。天国にいるんだもん」
すねたように口を尖らせて言うアキに、栄は苦笑した。そして大きな手でアキの頭を撫でる。まるで小さな子供をあやすように。
「……そうだな。でも、思い出すことが大事なんだ。墓の前で、母さんを想うことが」
「うん……行くよ」
素直に返事をしたアキに、栄は家族にしか見せない優しい笑顔で笑った。




