03-34.皮算用
「おはようございます。クシャナさん。今朝はお一人でいらしたのですね」
「うむ。パティは所用でな。私は今日も魔物の登録だ」
「そうなんですか? 肝心の魔物が見当たりませんが?」
「ふっふっふ♪ 少し驚かせてやろうと思ってな」
「あらあら♪ 何やら楽しげですね♪ いったいどんな大物を捕まえたのですか?」
「もう良いぞ。出てこい。アウルム」
私の首筋からニュルっと這い出てきたアウルムは私の頭上で丸くなった。
「えっと……スライム……え? これまさか?」
「うむ。ゴルドスライムだ。少々サイズは小さいがな。まあこれも意図的に抑制しているからなのだがな」
うちの子はいくらでも大きくなれるのだ。良い子なのだ。
「いえ、これは……おそらくゴルドスライムの上位種、ゴルドキングスライムです。確かにサイズは小柄なようですが……」
あら? もしかしてナタリアさんって魔物にかなり詳しいのか? と言うかゴルドキングって? なんか大層な名前出てきたなぁ。
「でもそれにしては……突然変異種? 或いは進化の途中? これは大発見です。ゴルドキングスライム自体目撃例は極めて少ない存在です。それが人に従うなど……いえ、人ではありませんでしたね。妖精族とはいったい……」
何やら一人の世界に没入し始めたナタリアさん。
「クシャナさん」
なんか凄い気迫すら感じる静かな声音で名前を呼ばれた。
「その子を調べさせていただけますか?」
問いかけの筈なのに有無を言わさぬ勢いすら感じる。
「だが断る」
「え?」
「すまんな。先約があるのだ」
まだ無いけど。でもまあパティが魔物博士を見つけるという話になっているからな。ギルドに好き勝手こねくり回させるわけにはいかんのだ。
「……そうですよね。わかりました。でしたらその調査結果をお持ちの上で改めてお越しください。現時点でギルド側としては登録する事が出来ません。その魔物の正体が判明しない限り安全の保証は出来ないのです。ご了承ください」
むむ。これは想定外だ。別にナタリアさんも意地悪で言っているわけではないのだろう。言葉通りだ。正体不明の危険な魔物をギルドの所属だから安心安全ですよ、なんて言える筈がない。
オルニスがあっさりと許可されたのは、あの子は誰がどう見てもBランク魔物であるガルーダイーグルだったからなのだろう。しかも私によく懐いている。事前に魔物を支配下における事も伝えていた。その辺りの条件が揃っていたからナタリアさんが先に手を回しておいてくれただけなのだろう。
反してアウルムは元々がSランク認定される程に危険なゴルドスライムだ。しかも通常のゴルドスライムとは何かが違うらしい。ゴルドキングスライムではないかというのもナタリアさんの見解に過ぎない。もっとしっかり調べてみない事には種族の特定すら困難なのだろう。
そもそもギルドとしてはスライムがどうして従っているのかすらもわからないのだ。せめて大人しく調査されるくらいの殊勝な態度を見せねば話にならんだろう。
そんな状況で他所で出た調査結果を持ち込めば許可を出せるというのは、私達の裏にいるのが王家の専門家であるという前提ありきだろう。私達が伝を辿って調べてもらうから特別に許可をくれたのだ。そこらの冒険者が同じ事を口にしても門前払いだった筈だ。
「すまんな。少し調子に乗りすぎた」
「どうぞお気をつけを。その子の制御を誤ればメイガスさんでもただでは済まないでしょう」
「肝に銘じておこう」
パティ自身は言うに及ばず、一般市民に被害が出ればその時責任を取らされるのはパティになってしまうのだろう。この国における私の立場はある意味部外者だ。その私を引き込んだ件も含めて改めて問い詰められる事にもなりかねない。
「邪魔をしたな。後日改めて出直そう」
「当てが外れた際にもどうぞご遠慮なく」
「うむ。その時は素直に頼むとしよう」
「お待ち致しております。どうかお気をつけて」
昨日パティにかけていたのと同じ言葉だが、少しだけ声音が違って聞こえた。私はパティを危険に晒す者として警戒されているのかもしれない。今後はナタリアさんにもあまり心労をかけないように気をつけよう。
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「そう。まあいいわ。アウルムならそもそも登録だって必要無いもの」
それはそう。別に町中で晒すわけでもないし。私の服の中に隠しておけるし。いっそ体内に専用スペースでも作るか?
「こっちも話は終わったわ。紹介状も貰ったから屋敷で合流しましょう」
「うむ」
パティ達の方が早く終わったか。向こうは朝一から城に向かったからな。逆に私は朝のピークを避けてギルドを訪れたから結果的に丁度良い感じになったな。
屋敷に戻ると既にパティとレティが門の前で待っていた。
「私達だけで行くのか?」
「ええ。いきなり大勢で押しかけても迷惑でしょうし」
「それもそうだな。では行こうか」
「パティ、私はやっぱり……」
「ダメよ。レティの同級生なんでしょ」
「殆ど知らないんですってばぁ……」
「魔物博士がか?」
「ええ。そうなの。実は私も知らなかったんだけどね」
珍しい。レティはともかくパティが把握していないとは。パティなら学園中の生徒全員と知り合っていそうなものなのに。
「そもそもパティが入学した頃には殆ど学園に来ていなかったんです」
なるへそ。まあおかしな話では無いよな。あの学園は元々そういう場所だ。年齢的にも将来の進路が決まっているなら学園に通うよりもっと他にするべき事もあるからな。元より貴族の子弟は忙しいのだ。一足先に職場で活動する者がおってもなんらおかしな話ではないな。
「だが最初の一、二年目は学友として共に過ごしておったのだろう? どのような人物だったのか覚えておらんのか?」
「お姉ちゃんは何時だってパティの事が一番です♪」
つまり興味が無かったと。
「レティにも困ったものだわ」
「だがレティ達が入学した当時パティは九歳か。まあうむ。それは仕方が無いな。そんなの絶対可愛すぎるものな。他の事に興味を持てなくなるのも当然の話だな」
「でっしょ~♪ エリクちゃんもそう思いますよね♪」
「バカな事言ってないで少しでも思い出しておきなさい。今後とも色々お世話になるかもしれないんだから。くれぐれも失礼が無いようにね」
「そもそも何故そんな若い方を紹介されたのだ? こういうのはベテランの者の方が適任ではないのか?」
レティと同じという事はまだ十九歳だ。言っちゃあなんだが、それだけ若いと経験が足りないのではなかろうか。魔物の研究なんてそう短期間に出来る事でも無いだろう。おそらく財力もそれなり以上に必要だ。貴族の子弟ならばその心配もないやもしれんが。ともかく学生の頃から研究室に入り浸っていたにせよそれでも精々十年にも満たない期間だろう。十分な経験や業績を積んでいるとも思えないのだが。
「さあ? そこまではわからないわ。ジェシー姉様は彼女こそが私達に相応しいって判断したみたい」
「彼女? その者は女性なのだな」
「ええ。名前はファティマ・アンヘル。アンヘル家と言えば代々……あれ? アンヘル家の娘って……」
「なんだ? 何か問題か?」
ジェシー王女に謀られたか? 何か面倒事を押し付けようとしているのか?
「……いえ、その人がそうと決まったわけじゃ……いや、でもこの住所ってそういう……」
「パティ。一人で考え込まんでくれ。不安になるぞ」
「その、えっと、確かアンヘル家の娘さんって一度事件を起こして投獄されているのよ」
「は?」
「町中で魔物を暴れさせちゃってね。幸い怪我人は出なかったんだけど」
「帰ろう。厄介事の匂いがする」
「待って。一応様子を見ておきましょう。ほら。この住所。これ貴族が住むような場所じゃないの。壁際よ。つまり平民として放り出されているのよ。私はてっきり危険だからこっちに研究室があるのかと思っていたのだけど、実は実家からは勘当されていたんじゃないかしら?」
「つまり?」
「本当に優秀な人ならチャンスよ。抱え込んでしまいましょう。魔物の暴走も私達なら抑え込めるじゃない」
「おい」
「いえ、違うのよ?」
「何が違う」
「今後も魔物達を飼育していくなら専門家も必要でしょ? オルニスやこれから迎える飛竜に不調があった時に判断出来る人も必要でしょ?」
「動物医の真似事でもさせるつもりか? そもそも私が居る以上は必要あるまい?」
「エリクでも病気の治療は難しいわ」
「魔物の専門家が見たからって病まで治せるとは限らんだろう」
「食事の問題だってあるわ」
「おい。何故そこまで興味を持っている? まだ本人と会ったことも無いのだろう?」
「ジェシー姉様の紹介だもの。間違いは無いわ」
「絶対あの者は何か企んどるだろう」
「つまり姉様は私がファティマさんを抱え込むと踏んでいるわけよね♪」
「だからパティが気に入る筈だと? そう直感でも囁いたのか?」
「ええ♪ 流石エリクね♪ 私の事をよくわかってくれているのね♪」
「……はぁ……まったく。まあ良い。好きにしろ」
「エリクも協力してね♪」
「まさか私を餌に使うつもりか?」
「アウルムをよ。エリクの体の事は秘密にしておきましょう」
「いっそジュリちゃんに聞いてみれば良かったのではないか?」
ゴルドキングスライムとやらの事もよく知っているかもしれん。
「アウルムが素材にされちゃうわよ?」
気のせいか、私の体に纏わりつくアウルムが少し震えた気がする。
「ジュリちゃんはそんな事せんだろうが」
「ふふ♪ 冗談よ♪」
浮かれてるなぁ。
まあいいか。パティが欲しいと言うなら協力してやるともさ。そもそも会ってみたら何か違うってなるかもだし。
無いか。パティだし。