荒ぶる巫覡からの使者
神殿に連れて来られてからほぼ一年経った頃にはまともに食事と睡眠が出来なくなり、とうとう何を言われても寝具の上に座り込み動かなくなった私を、神官たちが交代で食堂へ連れて行き強制的に口に食べ物を突っ込む事態になっていた。
今日も子供には大きすぎる椅子に座らせ、咀嚼する力も嚥下する気力もない私の口に食べ物が残っているというのに、次々と容赦なく口に繰り出される匙。
食べ物で溺れることってあるんだっけ、このままだと確実に喉が詰まる。これはそう遠くない未来に死ぬな、兄さまが迎えに来るまで耐えられないかもしれない。
感情の起伏が無くなり覚悟するというより思いついたとき、食堂の入り口あたりが騒がしくなった。
神官長の次に偉そうな態度の糸目神官が、なにか小走りに入り口からこちらへ向かってきて「お待ちください!」と叫んでいる。けっこう必死に言い募っているのだけれど、彼の前には誰も居ないように見える。
とりあえず匙が突っ込まれるのは止まったが、口に入れらた食糧はそのままま残っている。口を動かして噛み砕き飲み込むのも面倒で、残り少なくなった皿へと吐き出す。それに匙を持っていた神官が気が付いて、怒りに満ちた顔で怒鳴ろうと口を開けたところで周りに居た神官たちの壁が割れた。
「女神の巫女はそこですか?」
すぐ近くで神殿は大人たちばかりで、ずっと聞いていなかった声変わり前の高い少年の声が聞こえた。その声の持ち主らしき少年が近寄ってきて、匙を持った神官と並び立ちこちらを見ていた。
少年の頭は背の低い神官の胸あたりにあり、黒い髪に鋭い目つきの瞳は深い青色をしていて、口を引き結んでいるために機嫌が悪そうに見える。
「こんなに顔色の悪い子に、消化の悪い食事を無理やり摂らせているのですか?」
横目で睨みつけるような視線で問われた神官は、むっとして答える。
「神官長が用意なさった、女神よりの食事を摂ろうとしないのは彼女なのですよ。女神より与えられた恵みは残さないのがこの神殿の鉄則。私は神官長の命を遂行しているまでで…」
「こんな小さな子に無理やり食事をさせるって、正気か?」
と、話をさえぎって真正面から見上げられた神官は迫力に負け、黙る。
庇ってくれてるのは嬉しいけれど、そういう彼もそんなに年上じゃないと思うんだ。そんなひとに小さな子って言われたよ、とぼんやりとした思考で思った。
今思えば、突っ込むところが違うよね。
「しかも、こんなに痩せこけているのに。今にも倒れそうな様子なのに、こんな所に座らせて強引に普通の食事をさせるとは。無理やり食べさせても、身体が受け付ずに吐き戻してしまうと想像もできないのか。普通の神経をしていたらやらないことだ」
座る私の椅子の側に膝をついてしゃがみ、外套を脱いで椅子と背中の間に優しく挟みながらも神官を睨み言い募る少年。
たぶん私の上にいらっしゃるだろう女神が、なにかものすごく興奮してちょっと聞き取れない早口でなにか叫んでいる。
背の君、コレはわたくしへの贈り物、これでカーリが救われる
女神の怒涛のお話で聞き取れたのはこのみっつ。元気だったらもう少し聞き取れたと思うけれど、常に耳鳴りがするのもあって無理だった。ただ、いまだかつてないほどに喜んでいらっしゃるのは分かった。
「水は飲めるか?」
背もたれに頭を置くように促されてもたれかかる私に、水の入ったコップを片手に持ち心配そうに見上げながら聞いてくれる。
「水も食べ物も砂みたいに感じるから、飲みたくない」
ぼそぼそと言う私にちょっとだけ眉を寄せた彼は、腰に下げていた水筒の蓋を開けて私の口元にもってくると、匂いを嗅がせてこの匂いは嫌い?と聞く。
ふわっと鼻をくすぐる湯気は、小兄さまの髪と同じ色の果物の香りがした。
「好きなにおい」
にへっと笑って言えば、ほっとしたように彼も笑った。細長い筒を私の両手に持たせ、水筒の底を彼が支えながら「一口でいいから飲んで」と口元に寄せてくる。
いらないんだけどなぁと思うものの、そういえば久しぶりに匂いがすると思って一口だけ口に含んでみる。
口にするのに丁度いいくらいに温くなったその液体は、大好きなオレンジの絞り汁とお湯にちょっとだけ密が入っているみたいだった。
おいしい、と続けてちびちび飲んで、はっと気が付いた。
「これ、私がこんなに飲んで大丈夫? お兄さんのじゃないの?」
水筒から顔を上げて聞く私にきょとんと効果音の聞こえそうな顔をした直後、破顔一笑して「君に用意したものだから、全部飲んでいいよ」と、さらに水筒を口に寄せてくれた。
ありがとうとお礼を言い、またちびちび無心で飲んで一息ついたときに、そういえば味がしていると気が付いて泣きそうになった。
しばらく経ってもう満足かな、と口元を拭いてくれている彼の背後に息を切らせた軟体じじいが怒り顔で迫ってきていた。
「巫女には誰も近づくことが禁じられている。お前は何をしているのだ!」
偉そうに怒鳴る軟体じじいに驚くこともなく水筒を机に置いて立ちあがった少年が、黙って軟体じじいに封筒を差し出した。
何だこれは、とひったくるように受け取り封蝋を見て、ぎょっとしたように目を見開く。
「巫覡アグメサーケル様よりの書状です。僕はアグメサーケル様からの使者、インフィウム・ソリスプラと申します」
戦の男神サルアガッカの巫覡アグメサーケルと言えば、プロエリディニタス帝国の皇太子にして全世界の巫覡・巫女の代表のような存在である。
もともと戦の男神の巫覡じたいが、世界の神殿に対して神の次に絶対的な支配力を持つ、特殊な巫覡なのだ。
数多の神がひしめくプロエリディニタス帝国は主神が戦の男神なだけで、どんな神を信仰しても問題の無い国なのだが、その力の差ははてしなく広い。
他の神々の巫覡・巫女と違い、戦の男神の巫覡はほぼ一定の間隔で必ずプロエリディニタス帝国の皇室血統に生まれるのだ。
明言されていないが、どうやら先代までの巫覡の記憶を持っているような言動もある。
各国の愛し子たちの集会を定期的に開いている特殊な国であり、巫覡・巫女を国の好きにさせないために、世界神典条約の遵守をさせる世界の神殿の代表でもある。もうなんでも有りな帝国だわと感心するくらいに、特殊だと思う。
彼に逆らって争うにしても相手は戦の神の化身、戦場を掌握されてしまい勝負にすらならないがため、どこの神殿も『プロエリディニタス帝国の巫覡』には逆らわなくなった。
戦の男神の巫覡の立場で帝国への侵略に対して過激な反撃をして相手国を潰した事はあれど、他国に攻め入った事は歴史上無いのと、愛し子たちの安寧が守られていれば基本的に他神の神殿には関与しない姿勢が評価され、世界中が帝国の皇室の一員ではなく、戦の男神の巫覡としての彼を敬い従う。
突然のアグメサーケルの使者に驚き、声の出ない軟体じじいに畳み掛けるように続ける彼。
「即刻、巫女姫カリタリスティーシア様をグラテアン家へ帰し回復させ、二か月後にプロエリディニタス帝国で開かれる『神問い』へ参加させよと命じられました」
よく見れば、彼の服装は神官たちが儀式で着ている式典服にに良く似た、神職の正装だ。彼が仕える神がどなたかははっきり分からないけれど、彼の瞳は青。おそらく氷の男神だろう。
「『神問い』は我が神殿でも出来る事、わざわざ外国ですることではない。私は許可しない!」
何事が起きたのかと神官たちが見守っていた静かな食堂が、軟体じじいの一言でざわざわと煩くなった。
「フランマテルム王国での『神問い』は神殿ではなく、王宮の祈祷所でなされるもの。その『神問い』も生まれた国でしてはならない。世界神典条約で定められている事なのに、神官長である貴殿は知らないのか?」




