義母じゃない、そして父でもない?
部屋の明かりは長椅子に座る人物から遠い所、しかも低い位置にひっそりと灯っていて、俺に見えるのは足元から首辺りまで。
長椅子に深く座り、ゆったりと組まれた長い脚の上にゆるく手を組んで置いて、かろうじて見える口元は上向きの弧を描き微笑している用様にも見える。
「お姉さま、あの物体がお義母様……デフォラピス様、ですか?」
「うん」
「床に縫い付けられていますれけれど、お父様がなさってますの?」
「たぶん」
「たぶん、ですか?」
「うーん」
珍しく曖昧な言葉だ。巫女らしくないな、と蠢く塊にしっかりと目をやる。
丸まった何かに拘束の女神が使っていたみたいな帯が巻き付き、その物体から伸びた帯は床にしっかりと固定されていた。妹君の言葉通り、床に縫い付けられている状態だ。
帯の色は青みを帯びた灰色で、緑の女神みたいな不気味さは感じられない。いつからこの状態なのかは知らないが、部屋の周囲に結界を張った上にこんな状態で拘束し続けている。
前グラテアン公爵が優秀な術師というのは有名だが、これだけの術を行使しているのにまだ余裕がありそうだ。これは巫女や我が巫覡並みの術力量を持っているということだろうが、グラテアン当主になる愛し子とはいえ、規格外の巫女と同等なんてことがあるのか?
「ねえ、ヴァニ」
「はい、お姉さま」
「あの物体から生えてるアレ、ヴァニにお父様に渡してって言ったペーパーナイフじゃない?」
「そうですね。お姉さまが必要なのに、わたくしにって渡してくださった手鏡と一緒に預かったものですわね」
「ごめんって。あ、そういえば、あの手鏡に追加の祈りをありがとう。あれで強欲の男神を宿したゲマドロースを封じられたわ。どうやって封じようかと悩んでたら、手元に手鏡が飛んできてびっくりした。あれ、ヴァニが母なる女神に頼んでくれたんだよね」
「ええ、お姉さまにこそ必要なものなのに、と女神も呆れておられましたけれど。でも、わたくしを心配してくださったのだ、と嬉しかったですわ」
「私も、ヴァニの気配がしてほっとしたよ」
うふふ、と微笑みあう愛らしい姉妹。よくよく蠢く塊を見ると、側面に何か小剣っぽいものが刺さっている。
「あれ、お父様が刺したんですか?」
「そう、だな」
巫女の問いに言葉少なく答える声は、思ったよりも若く感じられた。
妹君がかすかに首を傾げ、アールテイが妹君の横へ並び寄り添う。
「やっぱり。お義母様は、もう人間じゃないのね。そして、貴方もお父様じゃない」
ちょっと待って! そんな簡単に人間って辞められるもんなんですかね?
そんで、長椅子の人物が前グラテアン公爵じゃなかったら、誰なんでしょう?
「では、私は誰だと?」
少し楽しそうに唇を上げて問う人物に、巫女は呆れた表情であっさりと返答を返した。
「エゥヴェ兄さまでしょ。何時からお父様は兄さまだったの?」
「!」
「え、兄上?」
エゥヴェ。確か巫女が言っていた最初の生での次兄と言っていたか。こうやって最初の親兄弟が出会えているのに、次兄が居たって不思議でもないか。
なんて思っていたら、妹君の悲鳴じみた言葉が飛び出す。
「ありえませんわ! エゥヴェお兄様は消滅したと、誰もが言っていたではありませんか。お姉さま……」
「うん。エゥヴェ兄さまが消えていったの、確かに見た。けど、このひとは間違いなくエゥヴェ兄さまだよ」
「兄上、どうやって復活したんだ?」
「思った以上にあっけなくバレたな。鋭いな、お前たち」
部屋に居る全員の注目を集めたその人は、動じることなく小さく笑いを漏らして組んでいた手を解き指を鳴らした。すると薄暗かった部屋が、明るく照らし出される。
消滅したとはどういうことだ、とかの疑問が吹っ飛んだ。
蠢く塊が前グラテアン公爵夫人と聞いていなければ、絶対に驚きの声を上げていたと思う。
後ろ手に腕を拘束され、そのまま体ごと帯でぐるぐる巻かれている人物は、乱れた頭部から伸びる頭髪とが無ければ女性とは分からなかっただろう。足首から先は見えるが、男性でも踵の高い靴を履く奴も居るもんな。
驚くところはそこじゃなくて、うごうごとちょっとずつ前進しているんだよ。皆が驚いて黙って見ている間にも蠢いて、今や前グラテアン公爵の足に触れそうな所まで来ていた。
巫女姉妹を見ていた彼は、静かに冷たく怒る我が巫覡と同じくらいの無表情で足元を見ると、蠢く塊を蹴った。何の感情も乗らない動作に驚いた。丸めた紙屑を遠くにやる、みたいな感じ。
身体を折り曲げた形で拘束されている塊は、清々しいほど大胆に転がって巫女と妹君の間を抜け、我が巫覡の横を通り過ぎて俺とイヴの前で止まる。
頭を俺たちに向けて仰向けで止まったそれを、目で追っていた俺とイヴとばっちり目が合った。
「ひょっ……」
「っ!!」
俺は変な声が出るし、イヴも声にならない悲鳴がうっかり出た感じだった。
同じくこの塊を目で追った巫女や妹君とフィダから気の毒そうな視線が、アールテイと我が巫覡からは何を驚くのか?みたいな視線が飛んでくる。いつもなら反射的に言い訳をしていたと思う。
しかし、俺は今それどころじゃないんです。
すっげぇ怖いの。
俺を見上げる虚ろだけど血走っている瞳は、俺を見ている様で何も見ていない。綺麗な白目を濁った赤色が彩る中心に、底なしの沼みたいに淀んだ黒に近いが灰色の瞳だぞ。
半開きの口からは呟きが絶えない。ど、ふ、ぎ、という一部の言葉は聞こえるが何を言っているのかは、全然わからん。
俺とイヴと見て「ちがう」と今度ははっきり言って、左右に激しく揺れ出す。食いしばる勢いで口を結んで激しく頭を振る姿に、狂気を見た。
「怖えぇ……!」
うっかり言った俺を、誰も咎めなかった。
「うん、そのひと怖いよね。でもまだ今日はいい方はじゃない? ねえ、イー」
「ああ、いや。ティーからは見えないかもしれないが、顔は今日の方が怖い。まあ、叫ばないだけいいのか?」
「何それ! 多少ましとはいえ、この顔で叫ぶの!?」
「ああ。俺とティーが見たときは、もうちょっと目に光が有る状態で絶叫してた」
「ひ、ひぇ」
「筆頭は目が合っただけだ、まだいい。俺は絶叫したままで服を締め上げられたうえに壁に押し付けられて、どこに公爵を隠した!って責められたんだぞ」
「お、おおぅ。大変だったな……」
「そう仰いますけれどね、インフィウム様? 表情は笑いを形作っているのに、こちらを思い通りにしたいーっていう目と遠回しな言葉ですり寄ってくる状態で、食事やら礼儀指導を受けるわたくしに比べたら短時間なだけ楽じゃないですか」
「あ、はい。ごもっともです、侍女ヴァニトゥーナ。弱音を吐き、申し訳ありません」
「ヴァニはずっと義母の相手をしてくれてたものね。ごめんね」
「いいえ、お姉さま。わたくしが望んだことですので。彼らの今が一番怖いみたいな言い方に、ちょっとむっとしただけですわ。コレを目の前に十数年も絶えたエゥヴェお兄様比べたら、大したことじゃありませんわね」
「俺は視界に入れなかったし、相手もしなかったぞ」
「それでも、とても主張なさいますでしょう? その方」
「まあな」
妹君の冷静な反応に苦笑する兄君だった。
「それで、お父様はいつからお兄様だったのです?」
「フラメンギリスの妻が死んだあたりから、だな」
「その話も詳しく聞きたいですけれど、先にもうひとつ。ソレは何時からデフォラピスではなくなったのでしょう」
「カリタリスティーシアとヴァニトゥーナが出て行って、段々と人間離れはしていたんだよ。確実に人間ではなくなったのは、フランマテルム王国が結界に閉ざされたあの時だな」




