今すぐ帰りたい
アールテイに押されるように、決意新たに再度戦場へと踏み入った。そして、絶えず俺たちの周りを通り過ぎる炎と氷と風に、ただただ恐れおののいている。
俺とイヴは、さらっと我が巫覡へと近寄って強欲の男神に風の術を放ち切り込んでいったアールテイと同じ事は出来ない。
とりあえず強欲の男神の周りをウロチョロ走って邪魔をしよう、と意見が一致した。二人で並んで走れば、見落とした危険な攻撃もきっと避けられると思ったからだ。
しかし今現在、進行中で恐れおののいている。大事なことだからな、何回でも言うぞ。
こ・わ・い!!!
容赦なく降り注ぐ氷と炎は、風にあおられて不規則・無軌道な動きで結界内を縦横無尽に駆け回る。それらは微妙に角度や威力を下げて俺をつるっと避けていくのだが、ごく稀に『このまま当たったら、かなりヤバイい』と思われる炎が掠めていくのだ。
不思議なことに氷は表面の皮膚を舐めるように滑りまた乱反射するし、風はぶつかる直前にそよ風程度に威力が弱り、通り過ぎるとまた音がする程の威力に育つ。
ただ、炎だけが不可解な動きをするのだ。
さっき横を通り過ぎた錐状の炎はゆらゆら揺れる程に緩やかでほんのり暖かいものだったのに、真横に来たとたんに炎の勢いが増して皮膚を焼きそうになった。
炎の球は拳大から顔くらいまで大きくなって絶対頭で跳ねて行くし、前回の炎の輪みたいなのが、やっぱり『ちゅんっ』って音を残して俺の身体のどこかを掠っていく。
護りのおかげで熱いんだろうな、っていう認識だけで皮膚はなんともないのが幸いだ。
火傷はしないが、一瞬だけものすごく熱い。それにアールテイの護りも削れている気がして心配になる。
不思議すぎる。
「もう今すぐ帰りたい。おかしいだろ、この状態!」
「それは母なる女神の感情が乗っているからだと思いますよ、イーサニテル様」
俺のすぐ側で平行して走っているイヴが言う。かなりの速度で走っているが、息が上がる様子もない。
訓練の成果でもあるが、イヴも元々は神殿騎士で体力があるし、イヴセーリスとして生きていた頃はグラキエス・ランケア帝国にまで名前が届く程に、炎の女神の寵愛と戦闘力を持っていたからな。
だが、イヴには炎も氷も風もなんの変化もなく、ただ通り過ぎるだけ。
何でだよ、不公平だと思ったが、炎の女神の感情が乗っていたからなのかー。って。
「何でだよ! しぶしぶとはいえ、俺にも祝福をくださったんじゃないの?!」
「理屈じゃないんですって。貴方の寵愛が慈悲の君、氷の男神だけなら私と同じ状態だったでしょうね」
「戦の男神……」
「そう。母なる女神と戦の男神は、お互いを嫌いあい慈悲の君を愛しむというあたりで気は合うのでしょうが、相性はとっても悪いですから」
「だから、じー様は炎を撃ち落としたり、巫女へ打ち返したりしてんのか」
「でしょうね。つい先ほどは、神殿長の側で勢いを増した炎を強欲の男神へと誘導してましたよ」
「さすが、じー様だわ。俺も同じ事した方が避けるよりはいい気がしてきたな」
本気でやんのか? みたいな目で見られたが、イヴは何も言わなかった。
「貴方はまだいいんですよ」
イヴが前を向いたまま、ため息をこぼしてぽつりと言う。
「何が?」
「貴方は向かってくるのが、炎の塊でしょう?」
「俺はって、お前もなんか向かって来るって?」
「ええ。見えていないみたいですけれど、私には風の威力が増して向かって来るんですよ」
「もしかして、たまに走りながら変な跳躍してるのって」
「風の塊を避けてるんですよ。私のど真ん中を狙って来るので、ヒヤヒヤして仕方ない」
なんか、途中からめっちゃ重低音の声音になってんだけど。
「風の塊なんか当たったら、立ち止まるもんな」
「いいえ。あの風が当たったらアールテイ様の守護でも、上下に真っ二つか左右に真っ二つになりますね」
「風の塊って、拳大とかの球みたいなもんじゃないの?!」
「最初に貴方の頬を掠めた炎の輪みたいなものですよ、特大のね」
「特大? 大きくても顔くらいのしか飛んでないだろ」
「ええ、そこらを飛んでるのはね。私のすぐ前で、いきなり大きく鋭くなるんですよ、っと……」
話しながら突然横へと飛び、また戻ってくる。なんか『しゅん』って聞こえた気がする。
ついさっき強欲の男神の前を突っ切って、今はそのまま大きく回り込んで背後に向っている途中で少しは余裕がある。イヴだけに集中するのは危険なので、短時間だけイヴを集中して見てみようと思う。
イヴが目を見張るのと同時にそよっと風が吹いてきて、イヴは舌打ちをしつつものすごい速度で俺に寄ってくる。そのまま俺の真後ろへと並んだとこで、横を突風が後ろへと飛んでいった。
俺の身長くらいの風の輪が、高速で振動しながらこれまた高速で回転している。
「待って。アールテイが来る前に俺を掠めた炎の輪ですら、指で輪にした程度だったんだが。アールテイの護りが無かったら、あの輪が振動しながら回転することで起きてる衝撃派だけでみじん切りになるんじゃね?」
「だから言ったでしょう、真っ二つになるって」
「しかも、あれ透明じゃねぇか」
「視覚で捉えてからでは間に合わないんですよね」
「炎は熱と色があるからな」
すまん、俺の方が恵まれてたかもしれない。風が何事もなく通り過ぎてるなんて言って、悪かった。
強欲の男神に向うだけで神経を使うってのに、何時飛んでくるかも分からない風の刃に警戒しつつ、強欲の男神を攪乱しなくちゃならない。
横に戻ってきたイヴの顔には、既に疲れが浮かんでいる。ついさっきここに来たばっかなんだよな、俺たち。溜息をぐっと堪えて前を向けば、イヴのずっと前で小さな風の球が大きくなり始めるのが『視え』た。
イヴの前に進み霧状化していた剣を呼べば、俺の手の中で一瞬に満たない時間で実体化する。下がった剣を持ち上げ、剣の横腹で大きくなりつつある風球を後方へと跳ね飛ばす。イヴの前に出た時から、ほぼ無意識で行動していて、変な感じがする。
目で追っていた後ろへと飛んだ風球は、大きな風の輪へと成長し強欲の男神へと向かって行った。
なんだ、俺にもじー様みたいな事ができるんだな。なんて意識のどこか遠くで思う。
「ありがとうございます、イーサニテル様」
「いや、ほぼ無意識でやってた。なんか、風が視えた気がするんだよな」
「分かります。私も、生まれる前の炎が視えることがあるので」
と、今度はイヴが俺の顔の前で腕を上から下へと大きく振った。
膝あたりが温かいなと思ったら、手のひら大の炎の球が大きくなりながら床で跳ね、俺をまたいで後ろへと飛んでいった。
その大きな火球は強欲の男神の付近で爆発し、纏う服を焦がすのだった。
「なあ」
危険極まりないが、思わず立ち止まった俺たちは見つめ合い、同時に口を開いていた。
「協力しあおうぜ」
「協力しあいましょう」
うん、まだ俺たち気が合ってるみたいだな。