平常運転
「わたくしを睨みつける真紅の瞳と、エイデアリーシェの炎みたいに揺れる頭髪の素敵なこと! 良く通る声はちょっと低いのに澄んでいて、いつまでも聞いていられるわ」
緑の瞳がキラッキラ輝き、低く落ち着いていた声が低いままだが可愛らしく弾む口調へと変化ているし、だらりと下がった手は胸元で交錯されて絵画だか小説だかの乙女のような悶え方をしている。
つい先程までの殺気とか殺伐とした気配はどこいった?
「わたくしを見る目は塵芥どころか汚物を見下げる様でゾクゾクするほどすてき! 苛烈な気性に似合う能力を余すことなく使いこなしているし、サルアガッカと同等の戦闘力でしょう? わたくしと思いきり闘ったというのにエイデアリーシェもサルアガッカも汗の一筋もかかずにケロッとしているのよ。あんな体験は初めてだったわ。ああ、今でもあの歓喜は忘れられない…」
ねえ、会話というか一人語りの間は? どこで息継ぎしてんの? そもそも、神々って呼吸するんだろうか…
なんかキラキラだった瞳がギラギラしてんのは気の所為じゃないと思うんだ、俺。
*** なあ、今すごいこと言ってなかった? ***
*** 言っていましたね。母なる女神と戦の男神と思いきり闘った、と。強欲の男神と共にいらっしゃるのだから強いお方だとは思っていましたが、またもや私たちは思い違いしていたのかもしれませんね ***
*** そうね、俺たち強欲の男神の方が強いって思ってたもんな ***
*** お姫様はご存知だったんですよね ***
*** 知ってたよ。だからアグメン父さまが厳しかったんだもの ***
*** 油断するな、というのはこういう事でしたか ***
そりゃ拘束の女神に恐怖を抱くはずだわ。
「姉上、拘束の女神の最も欲しかった子というのは姉上なのですか?」
「そうだね。順番に私、カルゥ兄さま、エゥヴェ兄さま、アーフのことを言ってると思う」
「まさか、今までにも直接手を出されたことがあるのですか」
「カリタの今生では無いよ。カーリィだったときにね『炎の女神といちばん似ているあなたが気に入ったから、一緒に過ごしましょう?』って、侍従くんを追いかけ回してた触手に囲まれた記憶があるわ」
「よくぞご無事で…」
「アグメン父さまやアウラ母さまが、過剰なくらい守護だの祝福だのを与えてくれていたから助かったみたいよ。カーリィは母なる女神と見た目も性格もよく似ているって言われていたもの」
「なるほど。姉上はその頃の記憶がおありなのですか?」
「カーリィの時の記憶ってあまり無いというか、偏った記憶しかなくて。そこの所は全然覚えていないし、思い出せてないかな。何年か前にね、今の私がいちばんカーリィに容姿・性格とも近いから色々気をつけろ、ってアグメン父さまに忠告されたから知ってるだけ」
「これからは私も全力でお守りします」
「今もいろんな人にたくさん守られてるけどね、もちろんメトゥスにもだよ。それでも…うん、ありがとう。気持ちは嬉しい」
苦笑いする巫女を見つめる我が巫覡の目に、愛おしいという感情だけでなくて父なる神のように怒りがある。たぶん。
炎の女神やアグメサーケル陛下もとい戦の男神、そして父なる神にもがっちり護られて拘束の女神には手が出なかったんだろうが、一つ間違えば妹君の立場にあったのは巫女だったかもしれない。
それに対しての怒りや、巫女を守る手立てのないご自分に対する怒りなんだろうなぁ…
「だから、ここで甘酢っぱ空間はいらない」
イヴが目を座らせて言う。
「ちょっとくらい大目にみろよ。我が巫覡の情緒がものすごく育ったんだ、喜ばしい事なんだって」
「いくら私でも、そこは理解しますよ。でも今じゃないでしょうに」
「いいじゃないか、今だって。あっちはあっちで、もっとすごい状態だぞ」
我が巫覡と巫女の甘酢っぱい─── かどうかは微妙だと俺は思う ───会話の間も、拘束の女神はずーっと喋ってたからな。
「……のときのあの悍ましい物を見るような目と手つきといったら! ほら、今もとってもすてきな目をしているわ、エイデアリーシェ。貴方のその………」
炎の女神は父なる神と寄り添って拘束の女神の怒涛の褒め言葉(なのか?)を聞かずに、彼女の背後で結界を叩き続ける強欲の男神を見据えていた。
あ、無くなった腕がいつのまにか再生している。けど、結界を叩きまくっているせいか血まみれじゃねぇか。飛び散った血が結界にこびりついて、凄惨な絵面になってんだけど……
「ネウティーナ」
炎の女神に名前を呼ばれた拘束の女神はピタッと話をやめて、ギラギラした目のまま満面の笑みで首を傾けて答えた。
「なぁに? エイデアリーシェ」
「お前の後ろでみっともない事になっている、欲に溺れた男はどうするのかしら」
「どうもしないわ。わたくしはお手伝いをするだけ」
「ならば、お前ごとアレを消さなくてはいけないわね。お前はアレを庇って、わたくしたちと闘う?」
今までの冷笑ではなく、花が咲くような笑顔で物騒なことをのたまう。穏やかな笑顔と口調ですが、言葉と気配が全然穏やかでないんだ。父なる神からも戦の男神からも、敵意というか殺意が拘束の女神へと向かっている。
もっと殺気が強まったら視覚化しそうなくらいに濃い気配だよ。あらやだ、足が勝手にガクガクしてるわ。
*** タスケテ、イヴさん。怖くて体が震えるんだけど ***
*** 何を言ってるんです、私こそ助けてくださいと言いたい。冷や汗が止まらなくて困ってるんですよ ***
油断すると歯が小刻みに打ち合わされそうなのを我慢しながらイヴを見ると、俺と同じく震えないように気合を入れ、腕に力を込めているようだ。しかし、隊服の裾が小さく揺れている。お互いもう一回頑張ろうな、同志よ。
去っていた寒気が全力疾走して戻ってきたんだが、そのまま走り去ってくれないかなぁと寒気を擬人化して脳内で走り去ってもらったが、冷や汗は止まらなかった。奮闘むなしく、足元に滴が水玉模様を作っている。
「大丈夫だよ。もしあの方々が戦闘されても、私たちは母なる女神と氷の男神の結界でがっちり護られているから」
のんびりとした巫女の言葉に、身体の強張りが少しだけゆるむ。この人、ずっと落ち着いてて安心する。
「それは理解しているのですが、身体が意志に反抗するんですよ」
「それに神々との約束的にも、もし戦闘になったら我々も参加は絶対でしょ。やっぱビビりますって」
「戦闘は参加すればいいだけだから生き残ればいいんだし、訓練でアグメン父さまの殺気に耐えられたんだだもの、大丈夫でしょ」
少し持ち直したイヴの言い訳と俺が反論するも、厳しい巫女のお言葉。
「いや、巫女サマ。訓練は陛下お一人だったじゃないですか。陛下を心酔する爺ですら逃げてんのに、この状態は俺たちにはきついっす」
「そうかなぁ。こっちに向けられた殺気じゃないんだから、そうピリピリしなくてもいいじゃない。ねえ? メトゥス」
「そうですね、姉上。もしこちらに殺気が向かってきても、必ずお守りします」
「ふぉおおお、満面の笑みってこういうヤツ!! やだ、今日何回目かのキラッキラ輝く笑顔じゃないの。うう、眼福ぅ~」
ああ、気の緩んだときに出てくる、欲にまみれた巫女の心の言葉が飛び出してきた。
待って。こんなに殺気にまみれた空間なのに、巫女サマってば平常運転どころか気を緩めてんの?
どこにそんなに安心できるところがあるの? ねえ、教えてイヴさん!
「だから、ここで甘酸っぱ空間はいらないと言っているでしょうが」
確かに我が巫覡もほわほわした笑顔だが、お前の発言もなんか違うんじゃねぇの?
いつも誤字報告ありがとうございます。