うひぃ
「ダメかぁ。お前ら、ゲマドロースの背後?周囲?に纏わりついてる気配の視線、どう思う? 俺、気持ち悪くてゾクゾクすんだけど……」
「視線、ですか? 禍々しい気配は感じられますが、私にはあれに視線は感じられません」
「俺には禍々しい気配というのも分からないな。何か靄のようなものが漂ってるみたいに、ゲマドロースの姿が歪んで見えるだけなんだが」
個人差ありすぎだ。どういう事なんだろう、と首を傾げる俺の後ろでクアーケルのノンビリとした声がする。
「ピスティアブは見える? 僕はゲマドロースの姿っぽいのしか見えなくて、気配とか全然わかんないよ」
「俺に見えると思うか? 同じく、ゲマドロースに纏わりつく気配とやらだって感じられないっての。タキトゥースは?」
「俺にはフィダ様と同じく、靄とか霧みたいなものが漂ってる様に見えるな」
野生児組は神々のお姿を捉える視力や感覚が鈍い。フィダやタキトゥースは視る目はまあまあだが、感覚は鈍い部類に入る。
俺も野生児たちと同じく視力も感覚も鈍いはずなんだが。黒い靄の合間から、目の部分だけが浮いていて俺の動きに合わせて眼球が追ってくる…気がする。現実に映像として見えないのに、充分怖いわ。
本気で近づきたくない俺の感情を受け止めたのか、リムスの足も心なし緩い。リムスの足が止まりそうになると、両隣のイヴとフィダの天馬に促されて走る、を繰り返している状態だ。
俺たちの様子にイヴも何かあるのを察したのか、文句が飛んでくることは無かった。むしろイヴから「大丈夫か?」と心配されている気がする。
大丈夫じゃねぇよ、お前鋭いんだから代わってくれよ。
「私に感知できないということは、拘束の女神が意図的に貴方だけを見ているのでしょうね。代わる事など不可能なのだから、頑張ってください。衝立の代わりにはなるでしょうから、私の後ろに付いていいですよ」
「すまん、助かる」
返事と同時に躊躇なくイヴの後ろへと退がった俺に、野生児組も異常さを悟ったようで軽口を止めて表情を引き締めていた。
そんな俺たちとは違い、いつも通りの巫女と我が巫覡は涼しい顔で先を駆けている。頼もしくて有難てぇ。一生ついていきます、我が巫覡。
「おじいちゃん達でなくて、侍従くんを見てるっていうのが不思議よね。強欲の男神はおじいちゃんに注目してるのだから、彼を助ける拘束の女神も同じ所を見そうなものなのに」
「強欲の男神の方はルペトゥスとオリカルに、拘束の女神はイーサニテルに気を取られているのか、姉上と私を全く気にしていませんね。フィダ達愛し子を、イーサニテルの護衛にまわしますか?」
なんでだろうねぇ、とのんびりと言う巫女に、我が巫覡が答える。
俺に護衛を回すよりも、お二人を守らせた方がいいと思います。
「そうすると、侍従くんが動きにくいわね。侍従くんはひとりで頑張ってもらうことにして、イー達にイヴを守ってもらいましょう」
「ということだ、イーサニテル。私たちの補助は気にせず、好きに動け」
「はい、我が巫覡。俺はここに残るより、じー様と共にあちらへ切り込んだ方がいいと思いますので、あちらへ行きます」
「任せた」
「はい!」
感情的には進んで行きたくないのだが、我が巫覡のご命令は絶対。俺の嫌悪感なぞ、ささいな事だ。
じー様たちへ近づくために腹に力を入れて、気の休まるイヴの後ろから鳥肌のたつ気配の充満する空間へと進み出た。足先と手先から絡みつくような気配が張り付くように上ってきて、体毛のすべてが逆立った気がした。
「うひぃ… ぞわぞわする。何だこれ」
思わず口から洩れていた情けない言葉だったが、誰もが気の毒な目をするだけで何も言わなかった。
なんとかじー様とじっ様に近寄った時には、かなり情けない顔をしていたのだろう。じー様にまで「大丈夫か?」と労われてしまった。床に伸びてたときは大笑いしてたってのに。
あれ? もしかして、かなり深刻な状況なんじゃないのか、俺。
「今のお前は我らが父なる神と慈愛の女神の寵愛を授かり、さらに我が君からの祝福を纏う稀なる愛し子じゃからの。珍しのだろうて」
「それはイヴも同じだろ?」
「言葉の上では同じだがの、我が君の気配はお前の方がより濃いのだよ。イヴは慈愛の女神の気配が強すぎて、父なる神の寵愛も控えめというか…」
「イヴは母なる女神の侍従のなかでも相当な寵愛を頂いてるから、氷の男神からの寵愛は守護する方向になるの。同じ様に、侍従くんは母なる女神の寵愛が守護する方向になってるのね。そして、アグメン父さまは『さっさと斬り倒しとけば、守るのと同じだろう』って真面目くさって言っちゃう人だからね。侍従くんに与えた祝福も物理攻撃に有利になる系だから、他者の攻撃から護る祝福のイヴとは違った感じになってるのよ」
「ご息女の仰る通りじゃ。そして、お前の方が我が君の気配が強くて目立つのだよ、イーサニテル」
「それで、興味を引いちゃってるわけかぁ。我が巫覡に視線が行かなくて良かった、と思う事にするよ」
「それが良い。儂らが滅そうとしているのは、強欲の男神を宿したゲマドロースじゃ。付き従っている拘束の女神には手出しせんのだし、何もないと思って行動するのが良い。女神の視線が気に障るからと、手出ししなければ問題ないわい」
「……うっかり手が出ない様に気をつけるわ」
ちょっと変わった気配がするからと注目されているだけだ、という巫女とじー様の言葉を信じて、視線の主は無視することにしよう。
と、決意する俺だったんだが、鳥肌が収まるどころか激しくなるし、呼吸が荒くなる程に息苦しくて圧力が増している気がする。
我が巫覡や巫女、フィダ達にこの視線が行くよりはいいと思っているが、戦闘が始まる前にかなり消耗している。訓練後みたいな疲労感があるんだが、どうしたらいいんだこれ。
ねえ、じー様やじっ様はなんともないの? 眼球に穴が空いても睨んでくる強欲の男神に注視されなくて良かったと思ったけど、まだあっちの方がマシだったんじゃないだろうか。
絡みつく視線を意識しないように努め、もうしっかり人影はゲマドロースだと目視出来る程に迫った眩しい結界を見ているのだが、距離を縮める程にうねる黒い靄と絡みつく視線が色濃く強くなってくる。
俺は無視したいの。
腕の鳥肌は止まらず、明らかに熱光線が原因じゃなくて皮膚がちりちりと痛む。
我が巫覡の為なら俺の嫌悪感なぞ、ささいな事なんだ。ああ、太ももがぞわぞわする。
いや、だから。
我が巫覡の命令は絶対で、じー様の言うように強欲の男神以外は無視だ。無視するんだ、俺。
うひぃ、うなじから背中にかけて、ぞくぞくするぅ……
……ねえ、無視したいんだけど!