白い壁の外
もう間もなく陽が沈み始める頃、二組の人と天馬の姿が天幕へ戻ってきた。ご機嫌な我が巫覡と、やはり機嫌の良さそうな巫女だ。
ゆったりと歩く天馬に騎乗し、にこやかに会話を交わす姿は美しい絵画みたいだ。以前、空の上でお二人が並んでいた時は表情も固く、我が巫覡の口数もすごく少なかった。
まあ、状況が状況だったし楽しく会話をしている場合じゃなくて、仕方ないんだけどさ。
それでも、我が巫覡は会話に慣れてなくて心話での方が口数が多い状態だったなぁ。なんて、眼の前で穏やかに笑い、巫女と途切れることのない会話を続ける姿を見て感動すらする。
巫女が我が巫覡に面会を求めて来た時に、数カ月ぶんの会話をしていると感激したのが、もう遠い過去のように思える。でもあれ、実は数カ月前の出来事だったんだよなぁ。
我が巫覡が無口な方だとグラテアンの愛し子たちは未だに信じてないし、以前の我が巫覡を知る臣下は、あの姿を見てほぼ全員がまず陛下が会話をしている事に絶句して、次いで笑顔を見て固まり我々に「あの方は、本当にプリメトゥス陛下なのですか?」と確認する。
まあ、分かるよ。自分たちは鉄壁の無表情で「うむ」とか「否」とか一言の返事か沈黙しでか対応されないのに、目の前で巫女相手に繰り広げられる『甘酢っぱ空間』ではにかんだり微笑する我が巫覡が、同一人物と言われても困るだろう。
でも聞こえてくる会話が、どうやって神に近いゲマドロースの肉体を木っ端微塵にするかとか、拘束の女神まで顕現した場合はどこまで攻撃しようか、とか笑顔で話す内容じゃないよね?っていうのはどうなのよ。
「お帰りなさい、お姫様。結界の内部付近はどうでしたか?」
「ただいま、イヴ。誰も居なかったし、警戒されてる様子も無かったわ。誰も侵入できないし、しないと高を括ってるみたい。油断しすぎでしょ」
そうイヴに言いおいて、黒炎天から降りながら誰にともなく巫女は呟いた。
「あれじゃ、誰かが結界に触れても気が付かないんじゃないかなぁ」
「今さら王国外へ出るのが難しい国へ侵入する者は居ませんからね。元手のかからない堅固な壁、それの由来がどんなに怪しいものでも利があるだけで絶対の信頼を置くお馬鹿さんですよ。ましてや我々が生きているだなんて思ってもおらず、警戒する必要もないと考えているのでしょう」
「相変わらず、あのじじいの一族は阿呆というか馬鹿じゃないの?」
「己に素晴らしい能力と手腕があるという、謎の自信家一族ですよね」
「持ってるのは自信だけでしょ。何の結果も出せてないのに、なんで自信もてちゃうの」
「さあ? お金を稼ぐ事に長けている一族ですし、得た資産に物を言わせてやりたい事をなしとげてきたからでしょう」
「お金で神の寵愛を授かれるって?」
「いいえ。お金で寵愛を得た者を好きに動かすんです」
「動かせてたっけ?」
イヴは不思議そうにする巫女には答えず、にこりと笑うだけだった。
そんなイヴに小さなため息をこぼし、巫女は我が巫覡と並んで幕屋へと歩きだした。イヴはその後に続き、眼の前の『甘酢っぱ空間』を見学するつもりだろう。
「動かせてたの?」
俺と並び三人に続いて歩く人形に変態したアールテイに聞けば、へっと笑われた。
「動かせてないな。たまたま続けて希望に沿う結果が出ちまったもんだから、勘違いしてんだよアイツ等」
「偶然って怖いんだな」
「そんな訳あるか。たぶん、何某かの神の力が働いてた」
「例えば?」
「姉貴の母親の病は嫉妬の女神の干渉だろうな。その後の姉貴の扱いとか、クソババアがグラテアン家に入り込んできたり、小心者の前国王の変な自信ありげな行動や愛し子を抑えて行動できる神官の存在とかおかしな事ばっかりだった」
「巫女に不利な環境があったから仕方ないんじゃないの?」
「全部、相手の思い通りに行くのはおかしいんだ。姉貴は間違いなく炎の女神に一番愛されている巫女だ。女神の力がいちばん発揮される国に居て、なんで女神に嫌われている奴の思う様にいくんだよ。巫覡は違ったろ?」
言われてみれば、変だな。ゲマドロースはなにかと我が巫覡にちょっかいをかけてきたが、じー様や他からの横やりが入って何事もなく終わる事がほとんどだった。暗殺者を差し向けられても周囲がお護りしたし、俺達が間に合わない場合は父なる神が暗殺者に神罰を与えられ、巫女のように命の危険があった事もない。
「確かに、変だな」
「だろ? 巫女やグラテアン一族を煙たがってた王宮でも最低限の礼儀は守ってたし、神殿も本気でグラテアン一族を敵に回したら拙いってことは弁えてた。それが、いきなり炎の女神の国で女神に敵対しだして、無事で居るんだ。おかしいだろ」
「また自覚のない、何かの神の巫女だか巫覡がフロラリア一族に居る、とか」
「三柱もの神がニィねぇちゃんを拘束する為に動いてたからな、無いとは言えない。機構規約の隙間とか裏を突いての行動だと、おばあ様と言えども対処仕切れなかっただろう。規約って面倒な条件ばっかりみたいだし」
「まさか、見も知らぬ神々の相手までするとか言わないよな?」
「言いたくないが、あるかもしれない。でも、神を相手にするなんて無理だろ。神々がお出ましなら、親父かおばあ様たちでなければ対処できないと思うぞ。躊躇しないで親父を呼んどけ」
「……じー様に頼むことにする」
「ルペトゥスが近くに居なかったらどうすんだよ。四の五の言わずに、呼べ」
「あ、ハイ」
「変な心配しなくとも、オマエは親父に気に入られてると思うぞ。ちゃんと助けてくれるさ」
さらっと言いおいて颯爽と去るアールテイの後ろ姿を、なんとも言えない思いで見ていた。
俺は父なる神をお慕いしている。だが、最近のアグメサーケル陛下との交流と、じー様の目を見ていると何かもやもやするというか、あの戦闘力に憧れめいた思いが生まれてくるんだよなぁ。
簡単に助けを求めていいのかなぁ、でもアールテイがいいって言うから良いのか?とかぐるぐる考え続けていた。
明日に備えて早め夕食にするぞ、と声をかけられる頃には悩み続けて頭が痛くなっていた。
まあ、一晩寝れば治るだろうと悩みそのものを頭から追い出したおかげで、気持ちよく熟睡できて翌朝の体調は最高だった。
その時になればなんとかなるだろ、といつもの結論に至って、なんで俺はあんなに悩んだんだろう?と不思議に思った。
それが何故なのか思い至るのは、もう少し先の話だ。