攻める理由
森の端ちかくまで来たところで姉上は足を止め、じっと白い壁を見つめる。
真正面を見据え壁の向こうを見通しているような真紅の瞳には、なんの感情も浮かんでいない。その真紅の瞳は、徐々に上へと移動していく。
私も姉上から目を離し、同じように雲に隠れる白い壁を見上げた。
白く大きな壁は途切れることなく雲の中へと姿を隠しているが、たとえ雲がなくても壁が途切れることは無い。
調査の為に派遣した者の報告では、天馬が行ける限界まで上昇したがその終わりは見えず、人の肉体を纏っていては壁を上部から超えることは不可能である、と記載されていた。
全く神の気配のない物や人間と、炎の女神の気配のみが出入りが可能なのだが、どれだけ厳重に封じようとも内部に他の神の気配のあるものが有れば、壁はそれの侵入を拒んだ。
内容は知らされず、私の気配をまとった書面を胸元に抱えた者は書面を残し内部へと消えてゆき、私の伝言を記憶する者は侵入を拒まれたらしい。
そうなると外部から入出国できるのは敬虔な炎の女神の信徒か、神を信じないプロエリディニタス帝国のごく一部の商人のみ。
しかし、苦労してフランマテルム王国に入国したは良いが、王国の、特に神殿の情報を得てしまうと神殿側の妨害が入り出国しにくくなる。多くの王国の情報には女神の気配が宿り、簡単に国外へ出られてしまうからだ。
得られた情報が古くなる、あるいは大したものではないと判断された者から解放されるのだが、商人たちは煩わしさと身の危険を感じ、次第に入国せずにやり取りするようになっていった。
王国内部の情報は全くと言っていいほど得られないが、あちらもそれは同じだと思っていた。
炎の女神が仰るには、王国の神殿側はわりと正確にこちらの情報を得ている様だ。
文書にしてしまったり、他の神々の情報を得た人物は壁を越えられない。だが、神殿に忠誠を誓う者が壁の外へ出て、情報を心話で伝えるのは可能らしい。
そして、その記憶を忘れてしまえば、また王国への帰還が可能なのだそうだ。記憶の消去は当人に悪影響を与えるのだが、狂信者ともいえる彼等はまったく意に介しておらず、神殿の手足となって働いているのだとか。
何度かそういった信者を捕獲したが情報を得ようとすると自殺してしまうので、やむなく出来るだけ当人に気が付かれず情報を得た後、全ての記憶を消して記憶喪失者として我が国で監視することになった。
王国の間諜からの情報はずっと以前から収集しており、グラキエス・ランケア帝国を攻めるというフラエティア神殿側の言い分がおかしい。間諜から得た炎の女神からの情報とすり合わせ、フラエティア神殿からの神殿騎士団を迎え討つのではなく、侵攻する方が良いだろうと判断した。
『我らが女神を攻めた愚か者に、今度は我らが神罰を下すのだ』
捕えたフラエティア神殿からの間諜や、王国の狂信者は必ずこう言う。
しかし、侵攻軍の先頭に立った私を討つわけでもなく、エイディー神殿をはじめとする父なる神の神殿や愛し子たちに害を加えるわけでもなかった。
だが、ここ数年で帝国内で王国の間諜たちが起こしたとしか思えない誘拐事件が、度々起きている。7歳以上で老若男女の区別なく、突然姿を消してしまうというのだ。
養子に迎えた少女が帰らないと訴える養親、外出している間に足が悪く歩けない伴侶が自宅から居なくなったと皇宮へ駆け込む老婦人、同級生が忽然と姿を消したと訴える学生。
消えた彼等の共通点が見当たらず、事件の担当は困惑し捜索するにもしらみつぶしに聞き込みをし、彼等を探して歩き回るしかなかった。
そこで、行方不明になる直前に見慣れぬ風体の人物が、彼等の回りに姿を現していたとの情報が入る。纏う外套や容姿などから、王国からの間諜や狂信者たちだと判明した。
共通点が無いと思っていたが、間者から見たらどうか。
ルペトゥスとアラネオに依頼して調べてみると、行方不明になった者たち全員が炎の女神の愛し子だった。帝国内で愛し子の立場が改善されて以降こっそりと申告した者、公表せずに黙っていた者と様々ではあったが。
我々がフランマテルム王国へ侵攻した戦闘で、王国では姉上やグラテアンの騎士を含めて相当数の愛し子が失われている。
フラエティア神殿での神官の地位は本来の形と違って、愛し子を凌ぐ程高い。
だが、愛し子が居なければ神殿の維持も難しいうえに、女神の恩恵を受け取ることもできないのだ。
現在のフラエティア神殿代表は、グラテアン公爵夫人の兄フォッサイネル・フロラリア。前神官長であった叔父は失脚し一族の勢いは衰えたはずだったが、ずっと成り上がる機会を窺っていたようだ。
このフォッサイネルは正確にフララリア一族であり、炎の女神どころかどんな神の愛し子にすらなれない者だった。
いくら敬虔な神官であっても、神々の寵愛を受け取る事は難しい。ましてや、フォッサイネルのように神から見放された者は、寵愛の方が避けて通る。
神殿の威光を示すには、絶対に多くの愛し子が必要だ。
しかし、寵愛を受ける王族を幽閉し、姉上に次いで女神からの寵愛を受けるヴァニトゥーナ・グラテアンを悪女として貶めてしまった。
対外的に清く正しい神殿を謳っているというのに、彼らを盾に王国の意のままに操ろうとしたフラエティア神殿だが、このままでは神殿どころか王国自体が危うい。
愛し子の絶対数が激減した上に、姉上やグラテアンの騎士が亡くなって以降は愛し子の誕生までもが激減してしまう。しかも、炎の女神の愛し子は今まで一人として誕生していないのだ。
炎の国とも言われるフランマテルム王国には、炎の女神の愛し子が必要だというのに。
そこで改心すればいいものを、『無いのならば奪えばいい』と思いついてししまう。
当初はこっそりと細々と浚っていたが、追いつかなかったのだろう。
とうとう焦ったのか、フォッサイネルはラキエス・ランケア帝国に天誅を下す事を名目に軍を動かし、我が帝国内で増え続ける炎の女神の愛し子をごっそりと奪うことにしたらしい。