ひとりで行けるもん
晴れて澄んだ空気の空を天馬たちが思い切り滑走する光景は、そこに参加している俺でも壮観だと毎度感動すらする。
これが今までのグラキエス・ランケア帝国の空だったら恐ろしく寒くて、防寒対策をしていても指先が痺れる程だというのに、今はきっちり着込んだ皇帝近衛連隊の制服だけで充分なのが嬉しい。
しかし、だ。さっきから容赦ない風に晒されて体温が下がってきた気がする。いくら冷たくないとはいえ、風は体温を奪うんだぞ。
ほとんどの天馬が、こういった長時間の遠征では疾走時の副産物─── えげつない風圧とも言う ───から主を守り快適に乗せるために、結界もどきの膜のようなものを主と自分にまとわせて、風の衝撃を相殺もしくは受け流す。
もちろんリムスもずっとそうだったんだが、今日に限って風がバシバシ当たるんですが?
「お前、何が気にいらんの。がんがん風が当たるから目が乾くんだけどさぁ」
ぼそっと言う俺をちらっと振り仰いだと思えば、うろんな視線を投げ「へっ」っと鼻息を吹いて向き直るリムス。
どゆこと!?
今までも良いとは言えなかった態度が悪化してるじゃねぇか。
*** ねえ。侍従くんってば、本当に分かってないの? ***
*** もちろん、大真面目に天馬の態度が悪いと思っていますよ。気の毒ですよね、彼の天馬…… ***
*** 申し訳ありません、姉上。私は上手く説明できず、ルペトゥスやアラネオがいくら説明しても自分の事だと理解しないのです ***
*** あー。自分は他者から好かれるはずが無い、って思いこんでるってことなのかしら ***
*** はい。かろうじて、ルペトゥスに可愛がられており部下からは慕われている、という事だけは理解しているという状態です ***
*** 拗らせてますねぇ。自分が粗野で乱暴者だと信じている程、乱暴者でもないというのに。まあ、 粗忽ものではありますが***
あはははは~、と明るい少女と少年の笑い声が俺の頭の中で踊り狂っている。
我が巫覡と巫女、イヴとの同調は、今や同調始めの違和感や調整の時間すら必要が無い程に馴染んでいる。ただ、俺が不器用すぎるのか、俺だけ思考が他の三人へだだ漏れという残念さは残っているのだが。
それも、細々した思考遮断が苦手でいっこうに上達しない俺をよそに、三人の方が俺の思考を受け流しているし、戦闘になればだだ漏れする思考はあちら側で遮断するという離れ業を身に着けてくれたおかげで、何の問題も無くなってしまった。
……みんな、器用すぎんか?
さっきの心話はリムスの態度に関することで、とても重要な事だったと思う。思うが、本当に意味が分からない。
いや、だってさぁ。あの会話からいくと、リムスは俺の事嫌っているわけじゃないって事だろ?
俺を乗せるのもしぶしぶといった態度が出まくってるし、何よりいつも半眼で冷めたというか物言いたげな視線で見つめるんだぞ?
騎乗しての戦闘でも高確率で言う事を聞かないし、指示のない行動をする。今日なんて俺を睨みつけて仁王立ちしてたぞ。
あれで嫌ってないって、本当?
*** 可哀想、リムス。指示のない行動って、あれだよね。侍従くんが危ないことするのを避けて、とかじゃない? ***
*** そうですよね。やらなくてもいい危険な行動を取ろうとしたのを止めて、なんじゃないですかね。誰よりも自分を蔑ろにする、彼らしいというか ***
*** 申し訳ありません。イーサニテルを止められない自分が不甲斐ない…… ***
*** あれじゃ仕方ないと思うよ、メトゥス。それにリムスに睨まれたのって、霧状化した剣の方でしょ ***
*** そう思います。どうも、イーサニテル様はまだ剣の存在を感じられないそうで。あちらもピリピリしているみたいですね ***
*** 侍従くん、鈍すぎ 。天馬と剣が主を巡ってバチバチしてるってのに、天馬には嫌われてると思い込んでるし、剣は存在すら感知されないとかさぁ。なんて可哀想なリムスと剣……***
今度は大きなため息が頭を巡ったが、疑問符が飛び交う俺の思考のせいで、巫女とイヴの会話と共に唯の音として流れて消えて行った。
やがて俺の眼球以外はなんの支障もなく、フランマテルム王国を囲う白い結界より少し離れた場所に、各部隊が陣地を構える事ができたと報告があった。
前回のフランマテルム侵攻もそうだったが、国境付近から王国首都付近へは術具と複数の神編術師とで集団移転をさせる事になる。
もともと王国の国境には大規模結界が展開されているため、外部からの侵攻は防御できると高をくくっている傾向にある、とは巫女からだけでなく以前より言われていた情報だ。
しかも、今回は巫女が展開した、壁と言って間違いない結界のおかげで、王国内──殊に神殿は外部からの侵攻は不可能と警戒すらしていない有り様だとか。
その上、今回はフラエティア神殿が帝国を攻めるつもりでいることから、周囲を警戒するつもりすらないと断言されてしまった。世の中、舐めすぎじゃねぇかな。
まあ、展開した術者が一人でも居れば簡単に解除することが出来るのは誰でも知る事だが、展開した巫女とグラテアンの愛し子たちは死亡した事になっているからなぁ。まだン十年はしっかり展開されるって予想される結界が、まさか当の巫女に解除されるなんて思ってもないんだろう。
ほぼ一日かけて慣れない天馬に騎乗して陣地まで駆けた神編術師を休ませるためと移転用の術具の設置のため、フランマテルム侵攻は二日後になる。
前回よりも、もっと多い人数を一度に転移させるためには複数の術具を、細かい条件で設置する必要があるからだ。
巫女とグラテアンの愛し子たちも結界全体をいっぺんに解除するために、一部のグラテアンの愛し子は展開した場所に近い陣地へ皇帝宮騎士団と行動を共にしている。
解除後は神編術師がこちらへ移転させることなっている。
人間をやめたゲマドロースを初めて見る愛し子のなかには、驚いて思うように動けない者が居るのかもしれないと思ったが、ガウディムが情報共有をしていたそうで、なんとかなるだろうと愛し子たちは語っていた。
「何とかなるだろうが、行かなくてもいいなら行きたくない」、と素直に述べたスキエンテはクアンドに頭を叩かれていたが。
「じゃあ、こっそり結界の様子を見てくるね」
ほどよく密集した木々が茂る森へ陣地を展開することにし、全員で幕屋を設置したり食事の支度をする。
幕屋を設置し終え、一息つく間もなく巫女は黒炎天に跨り言う。
「姉上、私もお供します」
慌てたように我が巫覡が巫女へ近寄るが、巫女の表情は渋い。
「ひとりで大丈夫だよ?」
「お邪魔はしません。ご一緒させてください」
「うーん、でもなぁ」
「お姫様。様子見はいいですが、あまり近づくと王国内の敏い神殿関係者に気が付かれますよ」
「直接触れられるまでは近づかないよ、この森からも出ない。ただ見てくるだけ」
「仕方ありませんね。では、巫覡殿とご一緒に行ってらっしゃい」
「ひとりじゃ駄目なの?」
「お姫様が暴走するかもしれませんからね。そうなると、アールテイ様だけでは止められませんし」
しれっと言うイヴを巫女は睨むが、我が巫覡は感謝を込めて見つめていた。
我が巫覡、頑張ってください。