やっぱり化け物。そしてそれ以上に……
「神殿長、なんともありませんか?」
「すこぶる調子が良いですぞ、ご息女」
「とうとうそっち呼びになっちゃったか……」
「お姫様。お約束ですが、どういう事かお聞きしても?」
「神殿長は戦の男神の侍従でもあるでしょう?」
「そう仰ってましたね」
「だから、主が喜ぶだろうなぁって呼び方をしてるんじゃないかな」
イヴの質問に疲れたようで答え、じー様を見る巫女。じー様は満面の笑みだ。
「あの、巫女姫。我らが父なる神は、こういう神殿長の事はなんと思われているのでしょう」
アラネオの問いには巫女でなく、我が巫覡があっさりと答えをくださった。
「全く気になさらない。父なる神は戦の男神を兄とも思い、ほぼ全てを優先なさる。例外はこのグラキエス・ランケア帝国の事や、炎の女神に対しての事だけだろう」
「とても潔いですね」
「拘りのない事柄には、わりと何も気にしない御方だ。戦の男神からの直々のご依頼とあれば、ルペトゥスを姉上に同行させる事くらい、なんという事もないだろうな」
「最早、神殿長が陛下とご同行なさるのは決定なのですね」
「我々がどうこう言ったところで、戦の男神からのご指名だ。姉上以外が断る事はできないだろう」
放心したように呟くアラネオへ、気の毒そうに言う我が巫覡だった。
そしてちらりと苦笑している巫女へ視線を向け、首を傾けていた。
小さく「はわっ、無表情美形が可愛く首を傾けてる。うう、綺麗ぃ~」という巫女の呟きだけが部屋に広がる。
やっと巫女の思った事が垂れ流される、この異様な状況に慣れてきた。内容には同意しかないが、冷徹そうな美少女が口にするもんじゃないだろう。
フィダに聞いたが、この人フランマテルム王国でも同じように呟きを垂れ流して、公式の場で第二王子殿下の腹筋を鍛えていたって言うんだからなぁ。仕える女神に良く似て、かなり開けっ広げな性格をしている。
「母なる女神と氷の男神がお認めになってるし、私が何を言ってもアグメン父さまは神託を覆さないと思うわ。副神殿長、頑張ってくださいませ」
しかし、本人は周囲から思考がだだ漏れしていると何度言われても自覚が持てない様で、我が巫覡の花の顔を褒め称える言葉がひっきりなしに聞こえてくる。
それを真正面から受け、後からひっそりと喜ぶ我が巫覡がとてもお可愛らし……げふんげふん。我が巫覡が嬉しそうにしているのは良いことだ、俺も嬉しい。
今だって周囲には分かりにくいが、我が巫覡の口角がほんの少しよりも少しという、微妙な差で上がっている。
「そうだの。儂の不在中にどこまで神殿を掌握できるか、見せてもらおう。そして、早い所儂を引退させて欲しいものだの」
「承りました。全力で取り組ませていただきましょう」
普段は見せない、人を食ったような笑い顔でアラネオを煽るじー様。
アラネオも俺たちに付いて行けない不満や不満を飲み込み、あえて煽られたように見せて覚悟を決めたみたいだな。神殿を任せるって事は、じー様がアラネオを後継者候補として認めてるって、あいつは気が付いてないみたいだけど。
「そうと決まったら、本気で手合せしましょう。ね、神殿長?」
「嬉しゅうございます、ご息女。では鍛錬場へとご案内しましょう」
両手を胸の前で打ち合わせて巫女が言えば、じー様が嬉しそうに席を立って歩き出してしまう。
「ちょ、本気でって正気ですか巫女! じー様が好き勝手暴れたら、鍛錬場が破壊されてしまいます」
俺が慌てて言えば、俺を振り返りはするが歩みを止めずに歩く二人が口々に言う。
「儂ゃそこまで乱暴者じゃないぞ、イーサニテル」
「大丈夫よ、保護結界を張るもの」
「巫女が戦闘しながらですか? それじゃ本気の勝負は無理でしょう」
「結界を張るのは私でも、私以外のここの人でもないよ」
「私は保護結界を展開できませんので当然ですが、術具を使用するのですか?」
しっかり巫女の隣を歩く我が巫覡が巫女を見つめて聞くと、「あぅ、顔が良いぃ」と巫女が呟いた。巫女が心の内を呟くとき、どんなおかしな内容でも真顔が崩れない。例え「なにその表情、ずるいぃ」とか「やだちょっと拗ね顔、見たことない表情だよ! 転げまわって悶えそう」とか声は小さいが感情豊かなのに、我が巫覡も負けそうな鉄壁の真顔。表情管理がすげぇ、と素直に尊敬する位に真顔だ。
「術具も使わない。神殿長を担ぎ出した方に担当していただくの」
「アグメン兄上にですか」
なんて?
ねえ、何言ってんの? と思って、いつの間にか俺の隣を歩くイヴを見た。
「お姫様は相談もなしに決められたことに怒っているので、プロエリディニタス皇帝陛下に出来る限り便宜を図るように要求なさるつもりなんですよ」
「え、そんな事できんの? というか、していいのか?」
「出来るからお姫様がああ言っているのだし、陛下は喜んであれこれ手を回すと思いますよ」
「むしろ、ティーの望まない事や物まで寄越しそうですよね」
俺の心の声を受け止めたイヴが呆れたように答えると、フィダが真面目に続けて言う。フィダは巫覡の使者になった事もあるから、そう言うんだろうが。巫覡って、ものすごく巫女に甘い。そして、その巫覡を利用することに躊躇のない巫女がすげぇわ。
すこし早歩きで向かった鍛錬場は、神殿騎士団の団員が訓練する大鍛錬場ではなく、我が巫覡や上位騎士が使用する耐術力に優れた鍛錬場の方だった。
じー様とじっ様が我が巫覡や俺、俺の部下たちをボコボコに鍛える時に使う場所だ。
朝じー様が使用した後は誰も使用していないのだろう。
いつものようにひんやりとした空気が満ち、天窓から穏やかな陽光が床を照らしていた。
じー様と我が巫覡、巫女に続いて、巫女に同行する愛し子たちも辺りを珍しそうに見ながら入ってくる。そういえば、クアーケルやピスティアブなんかも、ここには入った事が無かったな。
中央付近で立ち止まった巫女が、目を閉じて口の中でなにかを呟いたとたんに鍛錬場の空気が一変した。
初めに少しだけ温度が下がり、次に高い音が響き鋭い尖ったような気配が満ちて、最期にそれをかき消すように熱気が中央から部屋を囲む壁へと広がった。
後には、以前に感じたあの異様な神の気配の満ちる鍛錬場が残った。
「これで、どれだけ本気で術を撃っても鍛錬場は壊れなくなったわね」
巫女は笑顔で言う。
「いや、鍛錬場は壊れなくても俺たちは怪我するじゃないか」
「そこはホラ、いつもの様に自分で自分を守らなきゃね?」
フィダの大真面目なつっこみを、さらっと返す巫女。
気になった一言があったので、隣のイヴにそっと聞いてみた。
「なあ、『いつもの様に』って聞こえたんだけど、巫女っていつも本気で術を撃つの?」
「本気ではないでしょうが、手加減はしないですね。お陰でグラテアンの団員たちは身を守るのが上手くなりましたよ。大丈夫、貴方がたも上手くなれますよ」
全然大丈夫じゃない返事が返ってきて、冷や汗がとまらないんだが。
「まずは儂と手合せですな、ご息女」
「ええ、神殿長。手加減は無用です、お互いに全力で参りましょう」
嬉しさを隠せずに弾んだ声でじー様が言えば、巫女も楽しそうにじー様に答える。
さらに声を弾ませてじー様は言った。
「おお、それは嬉しゅうございます。手合せ後まで、五体満足で耐えて見せましょうぞ!」
うん?
巫女が味方ごと敵をなぎ倒す狂戦士のじー様の攻撃を耐えるんじゃなくて、じー様が巫女の攻撃を耐えるの?
五体満足でって、今でも我が巫覡ですら本気のじー様を相手にすると満身創痍なんだが?
じー様は化け物じみている。というか、やっぱり化け物だと思う。
そんなじー様が『耐える』って気合を入れる、相手役の巫女って。じー様以上の…… 考えるのも怖くなったわ!