もう珍しくもなんともない
じー様が神託を受けたと恭しく言うのを見て、巫女の目がすっと細まった。
だが、巫女が口を開くより早く隣に座る我が巫覡が発言なさった。
「ルペトゥス、私は何も聞いていない」
「左様にございますか。今ここでお伝え出来れば良し、との事ではありませぬか?」
「いいや。我が父なる神は宣下した内容を、どんなに細かくとも私に教えて下さる。ルペトゥスに姉上と同行せよという大事な事ならば、間違いなく私も聞いているはずだ」
「そう仰られましても、確かにお受けした言葉でありますしのぉ」
向かい合った席から睨むよう己を見る我が巫覡の視線など物ともせず、シレっと答えるじー様。
我が巫覡の視線が剣呑になりつつある。しかし、我が巫覡を育てたじー様は慣れたもので、ずっと変わらずにこにこしていた。
「ああ、そうか。そういう事ね」
部屋の温度が下がりそうな程の我が巫覡の不機嫌な表情と物騒な気配が、横に座る巫女の声で霧散した。
何のことだろう、と少し首を傾けて巫女を見る我が巫覡と、唇の片方だけを上げて笑うじー様。
じー様がああいう笑い方をする時はイタズラが成功したり相手が自分の罠にかかった時だったりで、ろくな事がない。
うへぇ、と内心だけで溜息をついて俺も巫女を見る。
「どちらも事実を言っているのね」
「?」
続く巫女の言葉の意味をはかりかねたのか、我が巫覡の首の傾きが深くなった。俺も全然分からない。
「だから、メトゥスが氷の男神から何も聞いていないという事と、神殿長が神託を受けたという事、どちらも事実なの」
「姉上、どういう事です?」
巫女は我が巫覡には答えず、じー様を見て言う。
「神殿長、その私に付いて行けって神託、どの神からのものなの?」
「秘密ですじゃ」
出たよ、じー様の得意技『秘密』。
しかもいかにも悪戯っ子って表情で言うあれ、本当に腹立つんだよなぁ。巫女は怒っていないのだろうか、と巫女に視線を戻すと物凄く真面目な顔で思案している様だった。
「いくら考えていたって埒が明かないわ。祈祷所を貸していただくわね」
と、巫女が勢いよく立ち上がり、誰にともなく宣言した。なんで祈祷所が出てくるんだ?
そして、我が巫覡へ向き直り言う。
「神殿長に神託を与えた神は氷の男神じゃない。とりあえず、これは間違いないわ、メトゥス」
「しかし、どなたがルペトゥスに神託までして、姉上と行動を共にさせようとするのでしょう?」
「そんなの、プロエリディニタス帝国に御座す破天荒なお方しか居ないわよ」
あちこちからどよめきが起こり、さすがの我が巫覡とイヴも驚いた表情が出ていた。俺はもう驚いて表情すら変わってない気がするわ。
おいおい、まさかアグメサーケル陛下がじー様にわざわざ神託したって?
我が巫覡も不審そうな表情になり、眉が少し寄ってしまっている。
アラネオもじー様の後ろにたって固まっている。アラネオの隣に立つじっ様は、あいかわらずの笑顔でよく分かんねぇ。だが、じっ様の事だからな、知ってたんじゃないかって思う。
苦笑するように言った巫女は、じー様をじっと見て続けていた。
「ああ、やっぱり。神殿長、戦の男神の愛し子でもあるのね。氷の男神の気配が強くて、そこまで気が付かなかったわ」
「ほほっ、それを看破されたのは初めてですじゃ。さすがは我が荒ぶる神の御息女でございますなぁ」
楽しそうに笑うじー様を、巫女はしぶい顔で見ている。
そんな事より、まさかのじー様も二柱の愛し子だって?
お前知ってた? と視線でアラネオに聞いてみたが、知る訳ないだろって顔で睨まれた。そうだよなぁ。
ねえねえ、そんな簡単に複数の神の寵愛って授かるもんなの? 相性だの司る力の性質で無理って通説は何なの?
答えてくれる者など居ないと分かっていても、問わずにはいられない。
「戦の男神の気配が、強烈な氷の男神の気配で隠されているもの。それに、神に対して興味の薄いこのグラキエス・ランケア帝国で、神殿長の纏う神の気配を探ろうなんて人は居ないでしょうしね」
確かに。じー様が氷の男神の愛し子であることも間違いはないし、まとう神の気配は俺たちと同じだったから、俺もそれ以上深く考えた事もないな。
しかし戦の神の愛し子かぁ、そりゃ『狂戦士』なんて二つ名が付くほど強いはずだ。
「左様でございますし、儂を探ろうと周辺をうろつく虫は排除しておりますしの」
物騒な事を軽やかに言ってのけてるよ、この爺。
「ちょっと思いついたからって他神の中央神殿の神殿長を動かすとか、アグメン父さまは何を考えているのかしら…… 真意も分からないし、ちょっと問い詰めてくるわ」
「ティー……巫女、どうやって問い詰めると?」
「祈祷所で直接」
「そんな事できるのか?」
「祈祷所には神のお力が満ちているし、近くには母なる女神も慈愛の君、偉大なる氷の男神も御座しますでしょ? アグメサーケル陛下に繋いでくださるわよ」
フィダの疑問に答えると、こちらに背を向けて歩き出す巫女。
神ってそんな簡単に会話できるもんだっけ?
やっぱりこの巫女、桁違いの規格外巫女だ。
「お姫様、おひとりで動いてはいけません」
「神殿内だし、行き先は祈祷所だもの。大丈夫」
我が巫覡と巫女、そしてじー様が座る席の後ろに俺とフィダとイヴは立っていたのだが、引き留めるイヴの声を無視してさっさと歩きだす巫女。
じー様が付いて行こうとする我が巫覡を腕を上げて止め、イヴが視線を後ろに控えていた愛し子の集団に投げると、少年二人が頷いて静かに巫女の後を追って行った。
「俺も行きましょうか、イヴさん」
「いいえ、クアンドとスキエンテが付いてます。貴方はここで話を聞いた方がいい」
なんでイヴが行かないのかと疑問に思ったが、ここで話を聞くためだったのか。
「では、お二人ともこちらの席に座られるとよい」
「いえ、私はお姫様付の侍従です。尊き方々と同じ所に座るのは遠慮いたします」
「筆頭とイヴさんが座らないのに、俺が座る事はできません」
じー様の誘いに真面目くさってイヴが断り、それにフィダが続く。
フィダは次席とはいえ皇帝側近武官だろ? なんでイヴの部下みたいな事言ってんだか。
じー様が、お前座る? みたいな視線を寄越したので、黙って首を横に振って断っておく。
「ルペトゥスに神託をしたのは、アグメン兄上なのか?」
「はい、左様にございます」
「そうか。しかし、なぜ戦の男神の愛し子が我が父なる神の神殿、それも中央神殿の神殿長になれるのだ」
あ、それはすげぇ気になる。
神殿長になるには特等の資格が必要だ。間違いなく、じー様は氷の男神の特等位の侍従だ。その上、神託を言葉として理解出来ていることから、戦の男神の侍従としても一等以上の資格があるだろう。
もう、この爺なんでもありだな。こっちも規格外の侍従だった。
「それは、この爺が荒ぶる男神の愛し子でありながらも我らが父なる神、氷の男神の愛し子でもあるからでございますよ。拙官は荒ぶる神サルアガッカ様と父なる神エイディンカ様、どちらのお方も心より崇敬しております。そして、どちらのお方も拙官の信仰にお応えくださったからでしょう」
それ、どんな奇跡だよ。
俺が授かった二柱の寵愛なんて、もう珍しくもなんともないんじゃないの?