神殿長
氷の男神を祀るエイディ神殿は、皇宮から遠くもなく近くもない程ほどの距離に建っている。
俺一人ならば天馬に乗ってぱぱっと移動したり、のんびり徒歩で行ったりと好きにできるのだが、今日は我が巫覡と巫女をお連れするため獣車での移動だ。
左にアラネオ、中央に俺、右にイヴと並んで座っている俺たちの前で繰り広げられる、イヴとアラネオの命名『甘酸っぱ空間』に決して突っ込んではいけない。我が巫覡の幸せが全てだからな。
アラネオは遠い目をしているが、俺とイヴは温かく見守っている。
左側からの視線と圧が凄い。我が巫覡だけじゃなくて、巫女だって楽しそうなんだからいいじゃないか。
しかし、中央神殿の神殿長というけっこうな立場のじー様は、このお二人に対して突っ込みまくりイジりまくる。
『儂ゃ寂しいんじゃ!』って可愛らしく悶えるが、じじいがやったら気持ち悪いだけだっつーの。じー様の言葉に大笑いした巫女が『じゃあ、わたくしとお喋りしましょう。おじいさま』と乗るもんだから、じー様が付け上がってしょっちゅう巫女を呼び出す。
巫女が呼び出されれば必ず我が巫覡もご一緒するため、じー様の呼び出しは留まる事を知らない。
巫女はもうエイディ神殿にも所属しているからって、好き勝手しすぎだ。あのじじいめ。でもまあ、ここ数年はせっかく帰ってきた愛し子三人が神殿に寄りつかなかったんだ、寂しかったのは理解する。
皇宮専用の獣車は、アラネオに居心地の悪い甘酸っぱ空間を邪魔することなく、かなりの速度で進んでゆく。
幼いころずっと生活していた神殿が遠目に見えるようになって、ふと思う。神殿の外観は変わらなくても、内部の設備も人も劇的に変わったよなぁ、と。
神殿の立場は、皇室から直系の血統が失われて以降、急速に良くない方向へと進んで行った。予算や特権、立場といったあらゆるものが削られたが、中央神殿であるエイディ神殿は移設されず建国から変わらない位置に健在である。
あらゆる予算はゴリゴリ削られても、愛し子の祈りが氷の帝国を人の住める土地として維持しているが故に、神殿施設だけは維持できる予算が与えられたからだ。
つまり、見てくれを整える予算はくれてやるが生活費には使うな、衣食は寄付か自力で調達せよという嫌がらせだな。
実際に、当時は愛し子に理解ある貴族やら裕福層の寄付で充分に賄えてた。しかし年月が過ぎると、愛し子への理解は無くなり寄付も減っていった。
愛し子を輩出した貴族家や裕福層からの寄付で、かろうじて生きていける程度の厳しいものだったと記録が残っている。俺が神殿に身を寄せたとき神官も同じことをこぼしていたな。
そこで、歴代の神殿長は建設用の予算をちょろまか…… こっそり愛し子たちへの食事代としていた。
結果、外装は荘厳だが内装はそれはもう廃墟かな? と思う程に酷い、落差のある神殿が出来上がったのだった。唯一、来客を通す回廊と客間だけが煌びやかだった為、違和感が半端なかった覚えがある。
グラキエス・ランケア帝国では、始祖の血統が途絶える少し前から氷の男神の愛し子だけでなく、神々の愛し子の立場が微妙なものになっていた。
神々の恩恵を一番に受ける血統であるにも関わらず、神への尊敬や感謝を忘れ、関心すらも失っていたからだ。例え皇子たちの争いがなくとも、皇子の次の代には我らが父なる神の寵愛は皇室から無くなっていただろうと思う。
それは俺だけが考えていることじゃなくて神殿に残された記録にもそう記されていたし、神殿長であるじー様も歴代の神殿長には伝えられてきた事だと聞いた。
巫女の立場が微妙なだけで、神殿は強力な権力と軍事力を持つフランマテルム王国とは環境が違うくせに、よくもまあここまで神殿の立場と戦力を掴んできたもんだと思う。
じー様だけでなく、歴代の神殿長って恐ろしい存在だよ。
何とも言えない不快な気分になったので、目の前の甘酸っぱくてほわほわした我が巫覡を見つめる。
今日も我が巫覡は嬉しそうに笑っておられる。うん、俺も幸せだ。
文官たちには違いが分からないらしいが、最近の我が巫覡は常に微笑を浮かべているんだぞ。
ちゃんと我が巫覡のお顔を見れば、ちょっと首を傾け唇の両端を上げて目が少しだけ細まっているのが分かるというのに。臣下には「陛下は常に周囲の気温を下げている」と言われていたのだが、最近の我が巫覡の周囲は温かいと思う。
巫女が我が巫覡のお傍に居る時、お二人の周囲が少し明るい気もするんだよ。俺の気のせいかもしれないが。
巫女はフランマテルム王国第二王子のアルドール殿下は発光している、とよく言われる。
だが、あんたも発光してるんですよ、と言いたい。
フィダから美形を見ると巫女が興奮すると聞いていたし、実際に目の前で我が巫覡の容姿を興奮して絶賛するのを聞いた。そういった巫女が興奮するときは、たいてい巫女を中心に周囲が明るくなるんだよ。
ゲマドロース配下の守護衛士兵団を壊滅させたので、皇宮を制圧した後に神殿騎士団から人員を選出し、新たに我が巫覡のための皇帝宮騎士団を設立した。
更に皇帝宮騎士団の精鋭を揃え、皇帝側近武官として皇帝近衛連隊を結成した。俺が筆頭でフィダが次席として就任し、信頼のおける古株の部下を皇帝宮騎士団の団長にした。
そいつを巫女に紹介した時『イケおじだわ! 色っぽい!!』と興奮し、神殿長のじー様を紹介した時には『やだ、イケじじ!! すっごい筋肉かっこいいおじい様じゃないの……』なんて興奮していた。
もちろん、巫女の周囲は明るくなっていたさ。
我が巫覡の眉が寂しそうに下がり、フィダが頭を抱えて、アラネオが固まり、イヴは大笑いしていた。
あんな混沌とした場面で、嬉しそうに笑って力瘤を巫女に見せたじー様ってどうなんだろうな。そして巫女が大喜びして、我が巫覡はこっそりご自分の腕を見ていた。我が巫覡……
しょうもない事を考えてしまい、真顔でもやっとした頃に獣車はエイディ神殿の正面に到着したのだった。
獣車の窓から門を確認すると、灰色の豊かな頭髪をしたやたらと健康そうな老人が、満面の笑みをたたえて立ってる。
エイディ神殿の神殿長であるじー様、ルペトゥス・マレフィだ。