今は違うかもしれない
「甘酸っぱい……ですか? ティーは絶対に陛下に聞かせられないことを心のうちで叫んでると思うんですが」
「叫んでるでしょうねぇ。なんせお姫様だから」
そこで二人は黙りこんだ。良かった、具体的な内容は絶対に知りたくない。そろそろお二人の甘酸っぱい世界を終わらせて、巫女殿に逗留いただくべく説得に行った方がいいかもしれない。
しかし、イーサニテル様はあの幸せそうな陛下の時間が少しでも長く続く事を望まれるだろうと思うと、なかなか一歩が踏み出せない。
「さて、インフィダシウム・スラーソリス元少年。イーサニテル・フィデースという方は、『何枠』に入ると思いますか?」
「間違いなく『残念枠』です、テネブラ副官…じゃない…イヴさん」
「今の私は貴方の上司ではなくただの侍従ですよ、畏まる必要はありません。むしろ私が畏まる立場でしょうに」
「無理ですって、イヴ先輩。道理でスペイフィキィスにちくちく嫌がらせを受けた訳だって、やっと理解出来たところなんです」
「そうだね。キミ、護衛騎士としてもお姫様付の筆頭侍従としても役立たずどころか、裏切者でしたものね」
「うっ…… その節は大変申し訳ありませんでした」
「まあ、そこは白状したとき皆にど突かれて許されたし、あの最後の日に役立たずだったと思ってるのは貴方だけですよ」
イヴ・ルースに優しく微笑まれて、驚き固まったスラーソリス。彼がこんな状態になるなんて珍しいですね。
「フランマテルム王国に残っているドゥオフレックシーズ副団長には、貴方を無事に帝国へ送り届けたとガウディムが報告しています。そして『インフィダシウム・スラーソリス』の評判は、副団長の耳にも届いているそうですよ。グラテアンの生き残りが自分一人ではなかった、と笑っていらしたとか」
泣きそうに「ありがとうございます」と小さく言って笑うスラーソリス。彼も陛下と同じ様に普段と違った様子を見せていたが、あれがグラテアン騎士団での彼だったのかもしれない。
どこかしらすっきりした様子の彼は、イーサニテル様の言う『誰にも見せない後悔』が解消されたのだろう。
「しかし、アウローラ妃に対してだけおかしいアグメサーケル陛下は『美しい人』なのに、何故彼は違うんでしょうね」
「イーサニテル筆頭はプリメトゥス陛下の為なら躊躇いなく自分の命を投げ出すし、陛下の望みなら後先を考えずに叶えようとするので」
「ああ、成程。それは確かに残念ですねぇ」
イーサニテル様の事を余すことなく表現したスラーソリスの言葉に納得したらしい。しかし、私にはどこが残念なのか分からない。
あれこれ考えている私を見たイヴ・ルースが、ふと笑いをこぼし説明を始めた。
「命を投げ出せる覚悟を持って行動し、主の願いを叶えた先に何があるかを想像して動ける人物だったなら、お姫様は彼を『美しい人』と言うでしょうね」
「ああ、そういうことですか。ではイーサニテル様は残念どころか『馬鹿』と評されるでしょう。あのひと、プリメトゥス陛下の為なら何も考えずに死のうとしますからね」
有り得ない命令だが、もし陛下に私や神殿長、そして巫女を殺せと命じられたとしても、イーサニテル様は一瞬の躊躇も迷いもなく行動に移すだろう。
とはいえ、我々は割と気に入られているので、命令を遂行した後に後悔するだろうが。
「自分を大事にしない人みたいですね。残された巫覡殿や貴方がどう思うかなんて、考えた事も無さそうですねぇ、あの方」
「考えてませんよ、本当に。我々がどれだけ言っても、言葉だけが耳を通過して理解できないんです。だから天馬にすら意志疎通を諦められてしまう。本当に馬鹿な人です」
イーサニテル様を選んだ天馬は、どれだけ主を守ろうとしても守らせない事に憤っている。だからと言って主が自分を無視して好きにするのだから己も好きにするのだ、と私に宣言するのはどうかと思うが。
それとなく伝えてみても、やはりイーサニテル様には通じなかった。困った方だと思う。
「それでも、貴方がたは彼が好きなのですね。分かりますよ、その気持ち」
くすくすと面白そうに笑い、陛下と巫女殿に向ける視線はとても穏やかだ。
「貴方が巫女殿に向ける感情は、妹だとか主へとかでは無いのでは?」
「そうですねぇ、子供の身体に戻るまではそうだと思ってました。この数年はそれとなくお姫様に意思表示をしてみたんですよ」
「巫女殿の反応はどうでした?」
「フランマテルム王国に居た頃から、全く変わりません」
「つまり?」
「私は兄や仲間以外の何者でもない、ですね。残念な事です」
「では、今の陛下と巫女殿を見て心穏やかでは居られないのではありませんか?」
氷りついた無表情を溶かし巫女殿を留めるのに必死な陛下と、困っている様だが嫌がっては見えない巫女殿。陛下はまだお若いし、あの二人の様子をを甘酸っぱいなどと表現するのだ。
巫女殿に家族愛でなく異性に向ける愛情を持っているなら、あんな視線にはならないとも思うが。
「それが不思議な程に凪いでいるんです。お姫様が幸せそうで良かったと、心から思いますね」
そんな簡単に感情は変化するものだろうか。訝しく思うものの、彼の口調や表情が本音を隠していたり我慢している風には見えないが。
「イヴセーリスは恋していたはずなんですが、今の私は恋しているとは違うのかもしれないですね」
今までは笑顔でも目は笑っていなかったイヴ・ルースが、甘酸っぱいお二人を見る視線は穏やかで本当に笑っている。
陛下をお助けするといって余計な事しかしないイーサニテル様に、イヴ・ルースの協力を仰げと釘をさしておかなければ。恐らく小躍りしながら部屋の用意を指示するイーサニテル様の所へ行くためにも、巫女殿を説得しましょうか。
そして、嬉しそうに笑う上司の顔を想像しつつ陛下へと足を踏み出すのだった。