とんでもねぇ事言いやがる
「ああ、清々した! あれであの子はしぶといもの、なんとか生き延びるのじゃないかしらね」
嫉妬の女神が消え去った後に満面の笑みで言い切った炎の女神は、身体を回復しきって大声で吠えながらこちらへ寄ってくるゲマドロースに向けて指先から小さな炎を一つ投げ、にこやかに笑みを浮かべたままこちらへ向いた。
巫女の顔でにこにこ笑う向こう側では、またもやゲマドロースが燃えている。
炎を消そうと激しく動いているが、今までと違い炎は更に激しくなる始末だった。さすが女神、半端ねぇや。
「あれで多少時間は稼げるでしょう」
あいつをどうにも出来ないって言っていたのに、時間稼ぎはいいのか?
「あら、アレ等だって自らの巫覡── 巫覡でもある ── に力を貸しているのだもの。わたくしがわたくしの巫女に力を貸していけない理はないでしょう?」
ふとした俺の疑問が聞こえていたのか、女神は面白そうに笑う。
巫女に宿って直接やっちまわなきゃ大丈夫ってことかな? 屁理屈にも聞こえるけど、規則や規律には隙間や逃げ道があるものだ。って思おう、頭の悪い俺には一生分からない分野だからな。
「とは言え、無制限にとはいかないものね。後は、あなたたちで頑張りなさい」
唐突に表れた炎の女神は去っていくのも唐突で、励ましの言葉が終わるあたりで巫女の表情は巫女のものへと戻っていた。
いろんな書物に書かれていたが、その通り炎の女神はものすごく気さくなお方だった。気色悪さで圧倒される気配が緩和されていたはずの嫉妬の女神でさえ、逃げ出したくなったのに人間ではない威圧感があり畏れはあったが、怖くはなかった。
もちろん、炎の女神が俺たちを認めて気配を緩めてくださったからだって、俺だって理解してるぞ。
「じゃあ、私たちでアレなんとかするからイーも連れて帝国側へ出てくれる?」
何事もなかったように巫女が我が巫覡へとゲマドロースを指さして言うが、どうにも顔色が悪いような気がする。
「承知しました、姉上」
我が巫覡はすぐに返事をしたものの、巫女をじっと見つめて動かない。二人が見つめ合った状態で黙っているので、気まずい雰囲気が漂うんだが。居た堪れない時間はそう長く続かず、軽く首をふった我が巫覡が別れの挨拶を述べる。
「お身体をお厭いください、姉上。帝国を掌握し、ご挨拶に参ります。また私に術や剣のご指導をしていただけますか?」
「ええ、もちろん。また思い切り剣を振り回して、術をぶっ放しましょう。負けないから」
楽しそうに、くすっと笑って我が巫覡に手鏡を握った手を軽く振る巫女が、いま初めて歳相応の少女に見えた。我が巫覡は巫女に一礼すると、俺の横を通り過ぎて背後で待つアラネオの方へとゆっくりと天馬を進めて、巫女を振り向くことはなかった。
通り過ぎる我が巫覡の眉が寄り、泣きそうな目をして口を食縛る姿に驚く。我が巫覡は何かに耐えておられる。
憧れていらした巫女と離れるのが嫌だとか、そんな単純な表情ではない気がするんだが。
「ティー、女神が宿られると疲労するのか? 顔色が悪いし声に力がな… 」
「何事も無く、という訳にはいきませんよ。女神が時間を稼いでくださいましたが、そう余裕はないんです。君も移転の用意をしなさい、ソリスプラ」
悩む俺をよそに二柱の愛し子君が巫女に声をかけるも、イヴセーリスがそれを遮るように止めた。
いや、おい。イヴセーリスの顔色は青いを通り越して真っ白だぞ。後ろのクリュセラも顔色は悪く、意識が朦朧とした様に目線が落ち着かないでいる。なんかフラフラして危ないぞ。
「おい! 二人ともその腹は…… 」
二人の顔から下を見ていって、つい声が出た。
イヴセーリスとクリュセラの団服腹部に大きな穴が開いて、肌が見えている。グラテアン騎士団の制服は赤銅色で目立たないが、穴の回りの色が濃い。かなり出血したと、簡単に想像がつく。
炎の女神が全てを癒せなかったと仰っていたし、相当に酷い怪我だったんじゃないだろうか。
既視感のある二人の様子に、二柱の愛し子君が息を呑んで手綱を握りしめた。先日は彼らの立場に自分が立っていたんだ、あまり楽観視できない状態なんだろう。
「ええ、嫉妬の女神からの心からの贈り物のせいで、見事に腹に穴が開きました。それでも、これからグラテアンの団員総出でゲマドロースだった者を封印せねばならないんです。移動を急いでいただけますか?」
イヴセーリスは俺の言葉に溜息を吐いて答え、そっと制服の穴に手を当てて覆い隠してしまった。
頷いたアラネオが神編術師とタキトゥースに指示を出しながら、慌ただしく移転の為の振り分けを始める。
それでも二柱の愛し子君は、巫女を見つめたまま動かない。
「ティー。脇腹を押さえている手を見せてくれ」
そう言えば、両手で手鏡を持っていたはずが今は片手で持っているし、空いた手はこちらから見えない向こう側の脇へと回っている。
「あーあ、ばれてた?」
苦笑して、脇を押さえていた手をヒラヒラと振る巫女。その手の平は、巫女の炎や制服に負けない紅い色がべっとりと張り付いている。
「ティー! 俺も、俺も残って… 」
「だぁーめ。駄目だよ、イー」
「何で! いくらティーと皆でも、要のティーがその状態じゃ無理があるだろ!」
二柱の愛し子君が怒鳴るが、巫女はもう一度「駄目だよ」と言ってニッっと笑う。
「イーへの罰は、いちど帝国へ帰ることでしょう。そしてゆっくり考えてグラテアンに復帰するかを決めなさいって言ったじゃない」
「そうだが、今はそんな場合じゃないだろ」
「それでも。今、イーがグラテアンに協力したくても出来ないのがイーへの罰だもの。フランマテルム王国に居ちゃいけないんだよ」
「そうですよ。仲間を騙した罰は、一時の仲間外れなのだから。それに、ゲマドロースがそろそろ復活しますよ。段々と神の宿りが深くなっているみたいですね」
「本当だ。母なる女神が燃やしたのに、もう炎が弱くなってる。あまり時間が無いし、予想以上に神の気配が強いなぁ」
うろたえる二柱の愛し子君を説得していた二人は、動けないでいる俺をそっちのけに炎の女神の巫女とその侍従 はゲマドロースだった者について話し始めてしまった。
やべぇ、二柱の愛し子君を連れてさっさと俺も去った方がいいんだが。チラっと二柱の愛し子の様子を窺うと、動く気はなさそう。どうすりゃいいんだ、俺。
平然とした表情を保てていたと思うが内心は焦りまくりの俺の目の前で、巫女がとんでもない事を言いやがった。
「あれ、絶対この国にも両帝国にもいい影響は与えないじゃない。アイツを結界で厳重に閉じ込めるのは当然だけど、外部から当の強欲の男神と嫉妬の女神ですら干渉できないようにしなくちゃいけないね」
悩んだ風に目を閉じて、うーんと可愛らしく唸っていたがすぐに目を開けて続けた。
「うん。王国の国境の結界を、炎の女神のお力しか通さないように書き換えよう。氷の男神や戦の男神なんかのお力も通さなくなっちゃうけれど。王国内の食糧自給自足は出来てるし、神々の影響のない無機物は通すようにすれば食糧とかの流通は可能だもんね! よし、たぶん問題ない」
本当にとんでもねぇ発言だ。
問題しかねーよ。