あちらから来たモノ、こちらから行くモノ
「アグメサーケル兄上には良くしていただいております、慈愛の女神」
「それは重畳。アレを最大限に利用して、健やかにお育ちなさい」
我が巫覡の返事に朗らかに笑う女神は年若い巫女の姿なのに、穏やかな『母なる君』だ。宿る神によってこうも気配や雰囲気が違うものなのか。
視界に入れないようにしている雄叫びを上げているむさ苦しいおっさんとか、奇声しか出なくなった無気味なおっさんとは違いすぎる。
じゃなくて、騒がしい男って戦の男神サルアガッカの事だったのか。プロエリディニタス帝国の皇帝として、静かに堂々と立たれた姿しか見たことがないから全然想像できないが、アグメサーケル陛下はそんなに騒がしいのだろうか。
「わたくしはあそこで欲に溺れ吠えている男と姑息な女には手出しできぬが、そこの惨めで馬鹿な女はどうにでも出来よう。下がっていなさい」
まだ燃えては復活して謎発言を叫び続けるゲマドロースをちらっと見て、イーネルトを指差して我が巫覡へ優しく下がるように炎の女神は言う。
「我を滅ぼせるとでも? 人間の心から嫉妬心は無くならぬ、いくら我を消そうと無駄なことよ」
イーネルトの姿で嫉妬の女神は得意げに言い、土気色の唇がニチャリと弧を描いたのが心底気持ち悪かった。アレが永遠に存在するなんて、冗談でも考えたくないわ。
「そうね、人間の感情から嫉妬心は無くならない。しかし、神は永遠ではないわ。お前が消えても新しく嫉妬心を司る者が生まれるだけよ。ここはわたくしの領域、お前の存在を消すなど造作ない事よ」
勝ち誇ったように気味悪く笑う顔が、炎の女神の言葉に凍った。
「けれど、お前を消して楽にしてやるのは業腹というもの。お前は消さずに、強欲な恥知らずと姑息な女の故郷へ送ってあげる。あちらが送り込んできたアレ等のせいでわたくし達は迷惑を被ったのですもの、あちらにもお返しをしなくてはね」
「あちら? 奴らの故郷?」
「ええ、強欲な恥知らずはあちらで好き放題暴れて、こちらへ姑息な馬鹿女と共に放逐された神よ。アレ等が来たためにこちらの強欲の女神は消されてしまったでしょう?」
「なんじゃと?」
「あら、知らなかったの。我ら神と呼ばれる者は人間や生ける者たちに認識されたり敬われたりして、生まれて存在が強化されるモノ。神々はどこにだって存在するし、遠く離れた土地にはわたくしの他にも炎を司る者だって存在するわ。同じ物を司るモノが相対すると干渉しあって消滅する事もあるから、離れているだけ」
嫉妬の女神は本当に知らなかったのか、驚きのあまり(たぶん)黙ってしまった。俺? もちろん、知らなかったよ。
「まだ騒がしい男の作った機構がない頃、お前は生まれていなかったわね。原初に存在した我々と違い、人間に余裕が出来て生まれたお前が知らないのも無理はないか。あの頃は神も人間もあまりにも混沌として、どちらも行き着く先は滅びしかなかった時代だった。そこで、わたくし達は我々の存在を強くするための機構を作り上げたの」
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まだ確固たる『神』として生きる前の神々は、混沌とした時代を曖昧な不文律で生きていた。司る物は強力でもそれを司る者は弱く脆い神々も多かった時代。その頃の脆弱な神々は、人間と変わらぬ間隔で生まれては消えていた。それでは土地も生ける者たちも安定しない。
そこで戦の男神と炎の女神が中心となり、脆弱な神々を力は弱くとも人間より強力な存在として安定させる機構を作り上げたのだ。
人間に、動物に、植物に『認識』され存在を強くし、持てる能力を分け与え敬われて更に強くなる。人間の想像する我々の姿に変化する者も居れば、人間に姿を見せて想像の方を自分に近づける者も様々であった。
大陸に存在するほぼ全ての神がその機構に参加し、神々が安定すると小さな諍いは起きたが概ね大陸は神々も人間も増えて平和になった。
しかし、何時からか突然に同じモノを司る新たな神が、それまで大陸に存在した神と取って変わる事変が頻繁に起きた。しかも、ほとんどの新たな神は幾度となく問題を起こすのだ。
能力ある強力な神が彼らと接触して、厄介な事が判明する。この大陸の外に存在する神々の集団がいくつもあり、彼らはそこから追放され大陸に送られてきたと言う。そんな神々は外の世界で大勢の神々と問題を起こしたり、馴染めずに諍いを繰り返したりと、あちらの神々が持て余した存在だった。
彼等を放逐したあちらは平和になるのだろうが、厄介払いされた彼等に好き勝手され滅ぼされるこちらの神はたまったものではない。
辛うじて早急に異端なる侵入者を拒む障壁を構築してあちらからの神々の移転を拒み、すでに送り込まれてしまった神々をこちらの機構に組み込む事で、こちらの弱き神を守る事に成功した。
それでも問題しか起こさない者や機構に参加しない者たちは、戦の男神や炎の女神がこっそりと彼らを滅ぼしていたのだが。
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「こちらの機構に組み込まれていれば規定に則って処断できる。お前は死人に宿り、背の君の巫覡と我が巫女を殺そうとした。死人に宿るのは禁忌であり、私情により他神の化身たる巫覡や巫女を殺害するのは最上位で禁止されている行為。知らないとは言わせないわ、ラエティルミス」
「なぜ我だけがっ。ネウティーナもクピフィーニートだって好きに行動しているではないか!」
唾を飛ばす勢いで嫉妬の女神が怒鳴るが、炎の女神は無表情とも言える冷徹な視線を向けるだけだった。
「アレ等は規定違反になるギリギリ寸前で留まっているの。姑息な女の違反すれすれの祝福であろうと、あの人間は『生きて』いる。人間の魂を縛る事はしてはならないが、ニィは正確に人間とは言い切れないのよね」
お前もアレ等もちゃんと確認していないのは同じだけれど、お前は運が無かったわね。と、炎の女神はそっけなく言い放ち手に炎を生み出しイーネルトの身体へと投げると、勢い良くイーネルトの身体を中心に炎が青く燃え上がった。
ほぼ同時に思い出すだけで呪われそうな悲鳴が、イーネルトの姿をした女神の口から迸った。俺は絵面の気色悪さのあまり耳を押さえてしまったが、我が巫覡は平然となさっている。
ちらっと後ろを確認すると、アラネオも顔をしかめているが耐えているようだった。ピスティアブとクアーケル? あいつ等は俺の仲間だった。奴らと同じは少し悲しいから、次は頑張って耐えよう。
なんてちょっと目を離した隙に、消え行く炎の中にはイーネルトの姿の代わりに薄緑の長い髪を振り乱して苦しんでいる美しい女性が居る。乱れたの隙間から、巫女に宿った炎の女神を睨んでいた。
「なぜ、我はここで実体化しているのだ… 本体はここより離れて眠っておったのに」
「もちろん、わたくしが呼び寄せたのよ。確実にお前があちらへ行けたと確認したくて」
うふふ、と笑う巫女に宿る炎の女神の目は全く笑っていないが、どこか楽しそうでもあった。
炎は完全に消えることなく、女性── 嫉妬の女神 ──を包むと白く薄い膜へと変化した。膜はどんどん赤い色へと変化して透明から不透明になり中の様子が分かりにくくなると、嫉妬の女神は焦ったように膜を叩きだした。叫んでいるようだが、あれだけ煩かった嫉妬の女神の声は全く聞こえてこない。
「そうそう、ひとつ忠告してあげる。あちらはここより暴力的で好戦的なモノが多いから、思いっきり暴れて居場所を確保しないとあちらの嫉妬を司るモノに消されてしまうわよ。頑張ってね」
炎の女神の言葉に嫉妬の女神は驚愕した様子だった。こちらの声は通るがあちらの声は遮断する、とても手間のかかっている膜みたいだ。さすが神、必死で術を練ってなんとかする人間とは格が違う。
「あちらからこちらへの移転もしくは移動手段は封じてあるのよ、ラエティルミス。こちらに帰る手段は無いから、もう二度とお前に会うことはないでしょう」
炎の女神は晴れやかな笑みを浮かべて、絶望の表情で固まった嫉妬の女神が膜ごと消えていくのを見送っていた。