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共生を春

 探偵は、警察の次にストーカーに近い仕事だ。ストーカーみたいに調査する対象を追い、あたかも知人のフリ、身内のフリで依頼をするストーカーと対峙して、自分はストーカーをされていると主張する人間の相手をしなければいけない。提携先の芸能事務所関係者のストーカー対策をすることもある。


 自然とストーカーの思考も行動にも詳しくなるし、正直『こうすればバレないだろうな』なんて方法はいくらでも思いつく。


『あ、ああ、やんぞ、やんぞー!』


 昨夜の日付が刻まれたアーカイブライブ配信。方耳だけで聴きながらファイルの空欄を埋めていく。無線イヤホンも便利だけど、有線のイヤホンはこういう時便利だ。デスクトップパソコンのディスプレイには不貞行為の調査報告、傍らのスマホにはビジネスシーンに不釣り合いな3Ⅾキャラクターが映っている。


『おっつー! 要断(いりたち)キンシですっ! 死にたいなら、その前に投げ銭してっ! 何でもっしますからっ!』


 イヤホンから流れる運動部の内輪ノリの凝縮みたいな声の主は、いわゆるバーチャル配信者だ。非実在性の、ネットの中の存在。モデルと呼ばれる3Ⅾ素材を媒体に、生身の声がついている。声音の表情は豊かだけど表情はややぎこちない。安価なモデルだからだ。バーチャル配信者のモデルはピンキリで、いろんな表情や動きが出来るものは50万円以上するらしい。現実に存在する事務所でアイドルみたいにオーディションを受け優れたモデルの争奪戦を行う。無事所属できれば実績のあるイラストレーターさんにデザインを仕立ててもらい、先輩たちのお膳立てのもと手厚いバックアップとブランドを背負いデビューが出来る。


 そういう世界の中で、要断キンシはいわゆるたたき上げの異端児だ。事務所のオーディションを受けたこともあるらしいが最終的にどこにも所属することなく自力でモデルを作成し事務所の手を借りることなく一人で要断キンシを作り上げた。


 見た目はキラキラした金髪で明るいキャラそのものといった感じだし性格も分かりやすく明朗快活。先輩配信者の前では適度な後輩ムーヴが出来るし後輩の前では先輩ムーヴが出来る。過不足のない、いつでも気兼ねなく見れる配信者だ。


『さ、今日は昨日やるって言っていたホラゲするつもりだったんだけどぅ~だけどもだっけどぅ~あ? コメントが流れん?』


 ちょっとしたアクシデントに見舞われたらしい。画面の右下で3Dモデルが困り顔をしていた。キィ、キィ、と不規則な不協和音が響く。劣化したゲーミングチェアの音に自然と口角が上がる。私自身の。


御上(おがみ)くん、ストーカー日報どうしたの? WEBで更新してたやつ、あれ突然消えて驚いたよ」


 ぱっと後ろから声がして、私はすぐに表情を殺した。


 後ろでこの事務所のボスこと鹿治(しかじ)さんがスタスタ歩いていく。


「戦略的撤退っす」


 鹿治さんの問いかけに抑揚のない声で返事をするのは、この事務所で最年少の御上さんだ。合理主義の塊で「面倒くさい」「このほうが早い」と破天荒な潜入調査を繰り返し業績と比例して始末書も多い、問題児。


 そして「ストーカー日報」というのは御上さんが最近WEBで更新していた小説だ。探偵はその収入の不安定さから兼業が当たり前の世界で、御上さんは「独下(どっか)ケイ」というペンネームで本を出している。


「戦略的撤退?」


 鹿治さんが首を傾げた。


「なんか想定以上に天上さんが気にしてくれてて、前提条件が狂ったので」


 御上さんはなんの感情も感じさせず返答する。


 天上さんは御上さんの担当編集者さんだ。一度この事務所にも来たことがある。ビジネスマンっぽい雰囲気で、容姿端麗。御上さんが一番嫌いそうな人種のはずで、もっと言えば御上さんは論理型AIとか機械とかサイボーグとか合理主義の塊なんて言われているのに、天上さんに関することだけは人間っぽい。


「前提?」

「こう、天上さん、僕がどうにかなったとて一切の精神ダメージを受けない前提でいたんですけど、思えばあの人、いろんなことに傷ついたりこう、人生で悪戦苦闘してないと絶対出ないような温度感とか言葉を話すから、計画に再考の余地が出て……」

「計画」


 御上さんの言葉に鹿治さんは顔をしかめた。御上さんの計画は、非人道的で道徳が欠落した、でも法的にはセーフという悪質なものしかない。煽って自分を殴らせたり、交渉の場ではどちらを選んでも地獄行き、みたいなことを平気でする。


「人って、こう、目の前の人間が、いつもいると思ってますよね……? 生きてるというか」

「まあね。御上くんと違って刺されたり切られたり三か月に一回血液検査もしてないし小学校半分入院したりしてないからね」

「だからこそ、人の死は金になると思って」


 御上さんは平然と言った。


 事務所の空気が凍る。御上さんは一応、青春文芸や感動小説を書いている。こんなことを言えば普通に炎上するだろう。御上さんは固まる周囲をよそに淡々と言う。


「死って、他人からしたら特別で非日常なぶん、エンターテイメントとして適してないですか? 皆悲劇好きじゃないですか。余命ものの映画とか。だから、売れる。もうこの世界にない人間の痕跡を、手元に残したくなる。特に紙の本が売れる。生前内々に進めている書籍があって、それが最期の原稿だったら良く売れるじゃないですか。色々丁度よくて、マジで今回刺されたのタイミング完璧だったのに生きちゃったと思ったら、天上さん気のせいかもしれないけど、感情が動いてたっぽいというか。合理的に、論理的に、ビジネス的に考えたら確実に死ぬタイミングとしては完璧だったから、失敗したと思ったけど、失敗じゃなかったのかもしれないと思い」


 御上さんは先日クライアントに刺された。


 御上さんが残酷すぎてクライアントを追い詰めたのではなく、別の人間が調査報告をしたクライアントが調査事実を受け入れられず自殺しようとして、御上さんが止めに入り刺された。


 御上さんはクライアントが暴れたり自殺しようとすると一番に止めに入る。そして刺されたり切られたりする。


「天上さんはいつも俺の計画を狂わせてくる」


 御上さんは少し呻くようにして姿勢を曲げる。天上さんの話をするとき、御上さんは嬉しそうで苦しそうだ。以前鹿治さんがそんな御上さんを「人間らしくなってきてる」と言っていた。実際その通りだと思う。御上さんは人間じみている。


「でもいいんじゃない? 合理的すぎたら機械で事足りるし、論理的思考と感情的思考が均等でも機械でいいし、5対5の比率が必ずしもいい塩梅とは限らないから。御上くん言ってたでしょ、黄金比は1対1.1618だから、均等が必ずしも美しいわけじゃないって」

「記憶ないです」

「独下ケイのあとがきにあったよ」

「人を陥れたり交渉したり戦略のカードに出来ないものは覚えない主義なので」

「でも天上さんのことは全部覚えてるんでしょ。利用する気もないのに」


 鹿治さんの指摘で、御上さんは眉間にシワを寄せた。ぐうの音も出ない顔をしている。御上さんにこんな顔をさせるのは、きっと天上さんだけだろう。


「天上さんの言葉は、覚えていたい。あの人の言葉を忘れるくらいなら忘れる前に死にます」

「ストーカー日報で記憶喪失あったけど」

「だから死んだんですよ。ストーカー日報の独下ケイくんは。天上さんの言葉を忘れる人間なんて生きてる価値がない」

「御上くんみたいな人をヤンデレっていうらしいよ」

「AIでは違うって出ました」

「え? やってるの?」


 鹿治さんは意外そうな顔をした。私も意外だ。御上さんはAIを心の底から嫌っているのに。


「クライアントがAIで判断して依頼してくるとか、対象が不貞調査をされていないかAIに診断させたりとか、悪い使い方なんて一杯ありますからね。対策立てないと」


「そ、そっか。吉丸(よしまる)くんのことあったから、てっきりAI触ってないと思って」


 吉丸さんは御上さんより年上の、御上さんの後輩だ。吉丸さんは先日御上さんに善意で「天上さんのAIを作れば天上さんがいなくなっても安心」と言い御上さんに暴言で心を折られていた。内容は「飲みサーの左から三番目みてえな奴に発言権なんかねえぞ」「てめえ自分は女の扱い上手いと思ってんだろうけど女はお前みたいな勘違い野郎が一番嫌いだからな。相手してんのはただの女子会のネタ集めだよ」だ。


「天上さんの言葉をAIになんか喰わせられないですけど、俺は別にいいので」

「執筆業でAIの運用とかはあるのかな」

「さあ。俺は俺の心理解析に使って、それを天上さんに渡して、後は終わりですね」

「そんなの渡しちゃっていいの?」


 鹿治さんは目を丸くした。私もびっくりだ。御上さんは自分の手の内を誰かに伝えたり、心の中を探られることを最も嫌うのに。


「だって自分の心理解析見たって使いようなくないですか? 天上さんに渡せば、こいつはこういう風にAI解析される奴なんだって思って、天上さんの解析材料になる。数えてなかったんですけど天上さんいわく100ページとかあったらしいので、俺への対抗手段とか、俺への対策にはなるはずです。俺はあの人を守るけど、俺は、俺からあの人を守ることは出来ないから」


 アニメとか小説みたいな台詞だ。作家らしいと言えばそれまでだけど、この仕事をしていたら「守る」とか「裏切らない」とか「助ける」とかそういう発想にどうしても至る。


 だって世界はずっと汚いし醜いしどうしようもないのだ。大切だと感じる存在を見つけたら極論を選びたくなる。


「あの人、無防備なんですよ。きちんと社会を歩いているはずなのに、いろんな経験してるはずなのに、根はとんでもなく澄んでる。すれてないっていうか、だから、絶対守るし怖いことしないけど、隣にいるのがバケモノだって、きちんと自覚持ってもらわないと」


 御上さんは冷ややかに言う。否定を欲してではなく、本気で言っている。


 好意はふとした拍子で歪む。尊敬も慈しみもふわりと消えてしまうのならいいけど人間はエスカレートする。美しいままでいることはできない。花は枯れるし実は腐る。


「天上さんがバケモノだったらどうするの」

「どんな天上さんも天上さんだ。すべて好きだ。あの人が僕のすべてだ」


 御上さんは言う。職場で言うべきことではない。でも誰も茶化さなかった。


◆◆◆


 事務所は観光都市のそばにある。最寄り駅を目指すにあたりすれ違うのは、観光客か観光都市に住む権利を獲得した健康志向の富裕層ランナーしかいない。探偵の仕事は非日常感の塊だけど景色もそうだから、電車に乗ってお年寄りと高校生の二極化を感じると「戻ってきた感」がある。要断キンシの動画を見たいけどあれは職場での特権だ。万が一があってはならない。代わりに音楽を聴き、快特では止まらない駅で下りて、イヤホンを外して鞄にしまった。


 そうしてどこにも寄らず一人暮らしのアパートを目指す。なんの耐久性もないアパート、ホラー映画の導入でしか見ないような一軒家、そのうち死体でも発見されそうな公園、写真でも撮れば「なにか」が映りそうな団地。


 要断キンシのやろうとしていたホラーゲームみたいな景色だ。しばらくすると、ザッザッと聞き馴染んだ音がした。職業病どうしても歩く音を殺してしまうし他人の歩く音は気になる。気になるけどこの音は嫌いじゃない。でも、すぐに耳障りな靴音が混じった。


「あ、いた! もう探したよ、何処に行ってたの?」


 後ろから声をかけられ嫌な予感がしながら振り返る。知らない女だ。女は勝手に私の手を取り強引に歩いていく。


「変な男につけられてる」


 女は鹿治さんみたいなスピードで「行きたいところあったんだよー!」とはしゃぐ。仕方がないので私も女の調子に合わせた。聴き馴染んだ靴音はどんどん遠ざかる。私はやむを得ず女と共に進み、コンビニが見えてきたところで立ち止まった。


「ここで大丈夫です。そこのコンビニの中で彼氏に連絡するので」

「そっか、良かった……気を付けてね」

「ありがとうございました。助かりました」


 私は手短に済ませ女を見送る。いい人なんだろうけど私には必要のない善意だ。もっとほかに助けを求めている人がいるだろうから、その優しさはそちらに回してほしい。


 私は適当にコンビニを見て回り、新発売のお菓子と夕食を買って出た。今日は自炊の予定だったけど気が削がれた。もうメロンパンでいい。なにも考えたくない。丸かったら何でも栄養になる。


 そのまま遠回りをしてアパートに到着すると、ゴミ捨て場のそばで亡霊のように男が立っていた。隣人だ。


「こんばんは」


 声をかけると隣人はびくりと身体をはねさせ、慌てたように会釈をしてからザッザッと聴き馴染んだ靴音で自分の部屋に戻っていく。


 ゴミ捨て場には朝私が捨てたはずのゴミが、隣人の明日の回収物に隠すように押し込まれていた。収集業者には申し訳ないが、隣人のゴミを開封するわけにもいかない。


 まぁ、隣人のゴミ袋の中に私のゴミが入っているわけだから、元はと言えば誰の状態だけど。


 私は何も気付かないふりで自分の部屋の玄関を開く。そのまま隣人がうっすらと扉を開いてこちらの様子を窺っていることも知らないふりをする。


 鍵を開けたままにしてみようか。なんて考えつつ鍵の開け閉め音が露骨に響く最悪防音設定なのできちんと施錠し、手を洗って部屋のクッションの上に座った。ややあって、キィ、キィ、と不規則な不協和音が響く。


 私は要断キンシの隣室に住んでいる。


 そして彼にストーカーをされている。


 簡単に言えばストーカーが隣に越してきて、なんだこいつと調べてみたらバーチャル配信者だった。


 元々よく電車が一緒になると思っていたけど家に来るまでになり泳がせていたら隣に越してきた。元々老人が多い限界地域で度々孤独死が起き事故物件化、事故物件サイトで『ここで人が死にましたよピン』がマップに刺さりまくり真っ赤になっている悪しき土地だ。挙句の果てに壁が薄く防音に向いてない。バーチャル配信者なんて一番住んじゃいけないのに、彼は隣に越してきた。


 そして私が静かすぎるせいで防音について過信しており普通に配信している。防音室を増設したらしいけど普通に聞こえる。私はスマホを開き、要断キンシの呟きを見た。『宝探しした!』とある。ゴミ漁りを宝探しと呼ぶセンスに笑う。


 ファンは多分、ゲームのことか、なにかのテーマパークのアトラクションを想像しているのだろう。実際は普通に犯罪だ。その前の呟きには『最近カメラハマってるんだけど良さげプリンターない?』だ。ファンは無邪気に写真見たいと言っているが、要断キンシのメディア欄に実写画像は一向にアップされない。


 出せないからだ。彼の写真は、人間の女の後ろ姿とか横顔とかになる。盗撮の。出せるわけがない。ファンを裏切るとかのレベルではない。逮捕に繋がる。


 私は何気なく、隣の壁に手を伸ばす。壁の向こうは私の写真で埋まっている。


 はじめは普通に得体が知れないから調べた。素人は絶対だめだけど私は本職だ。自分で証拠を集めて警察に被害届を出したほうが早い。


 ただ、私に挨拶すらしない目も合わさない、ろくにしゃべれない彼と要断キンシの二面性に心惹かれた。一生懸命キャラを作り必死に生きていそうだなと思うと、可愛いと感じた。上から目線だと思われても仕方ない感情だけど何となく愛おしくなった。


 探偵の仕事のせいだろうか。探偵でいる以上、恋や愛は最悪な形で終焉を迎えるケースしかない。だから彼くらい不器用か歪んでいるかしてないと認識できないのかもしれない。嘘を見抜くのが仕事のはずなのに、嘘も偽りも愛おしく感じたのは初めてだった。


 私は隣人側の壁に、わずかに音を立てながら背を預けメロンパンを食べる。夕食を食べるときはいつも

こうだ。しばらくすると、ずる、と鈍い音がする。隣人も壁に身を預けている。多分気付かれないようにと思っているのだろう。そして私が夕食を食べるとき、壁に背を預けるのが癖だとも思っているはずだ。


 普通に、この部屋は座椅子もローテーブルもある。


「おいしい」


 つぶやく。多分聞こえてる。


 一人暮らしだけど、一人じゃない。


 帰り道は一人だけど、一人じゃない。


 飽きられたらどうしようか、なんてたまに不安になる。ゴミ漁りまで始めたのでしばらくは大丈夫だろうけど。変な安堵だ。


 挨拶しても会釈だけ。


 声もかけてこない。


 そのわりに犯罪的な関わりはしっかりしてくる。 


 なのに見守ってくれてるんだろうなと思う。孤独は傍にいたり言葉で癒すものだと思っていたけど、近くにいなくても大丈夫でいられるなんて初めて知った。


 御上さんみたいに守りたいとか強い言葉は言えないけど、好きだなと思う。狂ってるのは承知のうえで。でもあっちは犯罪者なわけだし、おあいこにしてほしい。


「好きだ」


 返事はない。当然だけど。


 いつか、私のどんなところを好きになったか聞いてみたい。そして彼に私が彼を好きな理由を言って、どんな顔をするか見てみたい。


 私はひとりでに笑う。そして壁の向こうの彼が、怖い夢を見ることなく眠れますようにと祈った。


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