耕太郎くんの大規模アップデート
美容整形外科医をしている。
糖尿病薬やインスリン抵抗性に関する治療薬を減量薬とのたまい、適用外の人間に処方する薬剤師と美容外科医全員死にますようにと祈りながら。
美しくなりたい、もっと幸せになりたいと願う人間を、心の中であざ笑いながら地獄へ突き落とし、金だけふんだくってく。こっちは明日をちょっと良くしたいという人々とせっせと向き合ってる中でだ。殺意以外何を思えと言うのだ。
なのに、やれSNSのフォロワーが多いだのバズだのの字面に騙されて、皆、騙されていく。少し調べればわかるのに、営業用にまとめられた演出に惹かれてしまう。
誰も、信じてくれない。私の話を。バズってる女医は女同士で~ってつくのに、私には、やっぱり女医は駄目だねとか言われるし。
何のためにこの仕事してるんだっけと思いながらの猛暑日。
将来、整形被害者になります──の典型みたいなのが飛んできた。
私は事前記載のカルテを見る。コンセプトカフェ勤務の22歳の男だった。年齢より若く見える。整形の痕跡はない。
「輪郭3点骨切り……頬骨、エラ、顎の移動切除再固定希望……なし。うちでは絶対しませーん」
私はカルテを机に置いた。男は「何でですか」と機嫌の悪そうな顔をした。
「俺の顔が問題ってことですか」
「顔関係なく、人間的な医療として、なし。全人民非推奨なんで」
「は?」
男は怪訝そうな顔をした。出た、無知──と思えど人間は無知なものなので、私は男が足元に置いたトートバッグに視線を落とす。中にはいくつかのクリアファイルとパンフレットが入っている。おそらく、他の美容整形外科のパンフレットだろう。多分、男はいくつかの病院で説明を聞いて回っており、良さそうな医者を探しているのだろう。
「それ国内の美容整形のパンフレットだろうけど、手術の場所国内じゃないよ。いくら国内でいい先生だって思っても、執刀医はそいつにならない。系列の海外の病院紹介されて、通訳もつけます、ホテルもこっちで用意しますって言われて、あっちで切らされるよ」
「ど、え、な、なんで」
「国内の医療基準じゃお前の希望してる手術は無理だから。海外の系列のほうが国内より安いって言われたんだろうけど、違う。安全性の意味で、国内じゃできないわけ。普通に合併症、感染リスクがでかいから。もっといえば、それで訴訟になった時に大層だるいので」
「でも、SNSで」
出たSNSで。
私はうんざりしながら、ずっと何年も続けてる説明を行う。初期よりはだいぶ原型が違うけど。どんなに丁寧に優しく寄り添った説明をしていても、SNSのバズ数字に信憑性はもってかれるので。
「ダウンタイムとかね、実況してる動画あるじゃん。すごい腫れてたりしない? 赤かったり、黒かったり」
「はい」
「骨を切るような顔の手術をね、医療の病院でした場合、あんな見える状態にならない。感染症が危ないから。包帯でグルグル巻きよ」
しかも、SNSでは整形渡航のおり、栄養補給にゼリーがおすすめとある。
普通、医療において、顔面損傷などの顔の手術を行う場合、点滴で栄養を取らせ、感染症が起きないように看護師がチェックして、医者もチェックして、殺さないぞと病棟単位で管理を行う。
「しかも二週間は確実に外出さないよ。病院近くのホテルで安心お泊りとか言われたんだろうけど安心お泊りじゃねえんだわ」
間に合わないから。ホテルにいて症状が急変したら。
どうしても熱が入りまくしたてるように伝えると、男は泣きそうな顔になった。しまったと後悔する。患者にきちんと説明するのが医者だ。でも私は医療の医者じゃない。
「お金だって貯めたのに」
「自分の顔のことが気になるなら、その分ちゃんと調べろ、自分の顔にされること。有名な人が言ってたからじゃなくて、デメリットリスク全部ひっくるめて。っていうか別に変える顔じゃねえし」
どうせ通じないんだろうなと諦めながら言うと、男は「変える顔じゃない?」と復唱してきた。
「変える顔ってどういう顔ですか」
「ご飯食べづらいとか、ギリギリ医療保険適応しない系の手術あるわけ。顔とかじゃなくても、医療的な手術で切ったりとかして、そこがあると温泉とかに入るのがどうしても勇気要る、とか、そういう人のために、やってるから。お前今の顔で不便ないだろ」
「ブスじゃないですか、僕」
男は声を震わせながら聞いてきた。正直顔の美醜については興味が無い。この世界はクソ見たいなルッキズム社会で出来ているが、美醜で別れてはいない。
キャバクラで売れそうな顔は大手金融の取引や交渉ゲームに弱い。
大手金融の取引や交渉ゲームに有利な顔はコンセプトカフェで通用しない。
要はマッチングなのだ。にもかかわらず、人は謎の基準で優劣を語る。くだらない。千年単位で基準が変わるのだ。千年前の美人が今はブス、千年前のブスが今は美人なんて逆転を繰り返している時点で、人間の美醜なんて信用できない。
「醜形恐怖症のカウンセリングいれる? 自分の顔がブスじゃないかって鏡見れないとか避けるとかそういう話ならここじゃなくて精神医学の領域になるけど」
「でも、僕、ブスだから顔なおさないと、努力しないと、だめで」
「誰に言われた?」
「お店の、店長に」
「そいつが馬鹿だから、手術に金使うんじゃなくて訴えればいいじゃん。法と労基でサンドイッチにしようよ」
「えっ」
私が立ち上がろうとすると男は戸惑った。
やっぱり無知だ。店長が従業員にブスというのは、完全なハラスメント。訴訟を起こせば幾分か取れるし、特にコンセプトカフェの場合は「本社があって専門の弁護士がいます‼ 戦います‼」みたいなパターンは少ないので、勝ちやすい。
「最悪その店長、整形斡旋でグルになってる可能性あるし、キャバでもコンセプトカフェでも多いんだよ。お前整形しろ、整形すればもっと稼げるって言って、結託して自分の店の店員売り飛ばすの。整形ジャンキーにしてより働かせるパターンもあれば、普通に店長本人が金に困ってて裏取引パターン。午後診療お前でラストだし一緒に行ってもいいよ。勝ちに行こうぜ」
丁度、ストレス解消もしたかった。
私が白衣を脱ごうとすると、男は「いやいやいやいや」と首を横に振った。「待ってください」となんでか止めてくる。なんなんだこいつ。
「金儲けできるよ。コンカフェならほかの店もあるじゃん。今いっぱい建ってるし。居たい場所を探していけばいいよ。逃げじゃないよ。整形しろって言ってくる上司なんか、厳しいとかじゃないから。バケモン。さぁ、バケモン退治ですッ」
「でも……」
「いいよ、やめて仕事決まらなかったらうちくればいいから。事務として雇うよ。大丈夫。お前の望む人生にはさせてやれねーかもだけど、なんとかしてやるよ」
その時、私は確かにそう言った。軽い気持ちだった。だって普通に人手不足だし万が一来ても困らないから。
男は「全然、いいです、一緒に行っていただかなくて、今日はありがとうございました」と、足早に去っていった。
◇◇◇
「押しかけ女房ってご存じですか」
「僕をお嫁さんにしてくださるんですか?」
猛暑が終わりようやくやってきた小春日和。待望の涼しさで気分は上昇といきたいところだが、隣の頓珍漢によって、いまいち気分が上がり切らない。
猛暑日にやってきた男は、整形しなかった。店もやめたらしい。ただ人生を形成してきた。私のもとへ「仕事辞めてきました、雇ってください」と突撃してきたのはまぁ、私が言ったことだからよしとして、後はもう、全部駄目だった。
「結婚はちょっと福利厚生に入ってないんで」
返事をすると男は──拿積耕太郎は残念そうにしながら私の窓のサッシの掃除を再開する。
そうここは自宅だ。拿積耕太郎は家まで来た。というか住んでいる。こやつは田舎から上京してきてコンセプトカフェの寮にいて、辞めるにあたって家も吹き飛んだらしい。
じゃあそのその整形資金でウィークリーマンションに泊まれよと思ったけど、「物価高だから‼ 物価高だから‼」と押し切ってきたのだ。
そこ言われると、困るというのがある。実際、私も困ってるから。
だって保険適用外の人間に無関係のインスリン抵抗性に関する治療薬ばら撒いているクソ医者と違って真っ当に美容整形クリニック運用してても一切儲からないから。何で儲からないのにしているかといえば使命感だ。
たとえば火傷、重症熱傷など、簡単に言えばすごく痛い、放っておいたら死ぬ場合の火傷。皮膚移植は保険適用なので、ちゃんとした病院で保険適用のもと治療が受けられる。普通の、総合病院とか市民病院とか名前のつく病院でだ。
その後、治って健康だけど明らかに跡が分かるとか、火傷跡を目立たなくさせる、消すような手術──見た目を変えるのみの手術は、保険適用外になる。お金を払っても、ちゃんとした医療の病院ではできない。
術後、跡が残った人が「意地悪だ」「ひどい」「なおしてよ」と医者を責める場合がある。違うのだ。命に関わるものを基準にしており、死にそうな人間は絶え間なく病院に来るので手一杯。なので、見た目を改善する美容目的の手術で、そうしたものを美容整形外科が担っている。
毎日、論文読んで術式調べて勉強してとしていれば、一日に見られる人間も減っていくし、タワマン住んでます、肉寿司美味しいです、アフタヌーンティー、週末はジム、なんて出来ない。クソみたいな気持ちで朝昼晩と大型菓子パンを引きちぎりながら、なんでこんなことになってるんだろうなと何かを呪う日々だ。
そんな暗い日々に頓珍漢が湧いて出てきた。
拿積耕太郎だ。コンセプトカフェでは「りん」という名前で働いていたらしい。「元カノの名前とか流用してんの?」と聞いたらすごい悲しそうな顔をして「飼ってた猫です。死んじゃいましたけど」と大地雷を踏んだので、以後あまり触れないようにしている。
ただ、コンセプトカフェでしていたこと──掃除とかが出来るので、家では家事、私が院長を務めているクリニックでは医療事務として働いている。家でも外でも整理だ。
「先生のお世話も出来ますけどね」
「セクハラになるので男女雇用機会均等法に抵触しますねー」
ちなみにセクハラに関しては事業主にセクハラの防止をしようねという義務が課せられている。つまり私だ。こいつが変な気を起こした場合、私は事業主としてもおわり。終わりの三段活用だ。
「でもほら僕コンカフェ暗部の出身なんで」
「こわい反社だ」
「違くてぇ~チェキとか撮るんですよ」
「アイドルぶりやがって。アイドルのチェキじゃねえだろ。アイドルのチェキは触らないじゃんほぼ。お前らのチェキってほぼセクハラチェキだろ。しかもチェキ撮影あるよーアイドルみたい感じ。知ってる~? ってやつで経営者に騙されるやつ」
「詳しいですね」
「そういうのが来るから、うちに。何人辞めさせたか分からん」
というかうちの看護師ほぼそれだ。看護学校に入ったのもいる。「お前みたいなのいっぱいいるもん」と返すと、拿積耕太郎は「へぇ」と機械みたいな相槌をうった。じーっと私を見ている。
「じゃあなんか、住まわせたりしたんですか、そういうの」
「いやお前が初だよ。うちまで来たのは今までなかったわ」
「なんだー良かったー」
拿積耕太郎は「心配したー」とぶりっこしてくる。なんなんだこいつは。
「でも言って下さいね、お世話するんで」
「じゃあすごい年喰った時に介護でもお願いしようかな。うち兄弟姉妹いないし、親とも疎遠だから」
「実家どこなんですか」
「遠く。でもなんか戻る気ないから本籍当院にしてるくらいだし。知ってる? 本籍ってどこでも置けるらしくてさ、皇居と同じにしてる老人多いらしくてそこの管轄めっちゃ困ってるらしいよ」
ありがたそうとかご利益ありそうとか、国民ならみたいな考えらしい。ただ災害とかで滅茶苦茶になった時に、ちょっと困るかもみたいな話をしていた。
「じゃあ本籍クリニックに置いてるんですね」
「そだよー」
「へー……え、じゃあパスポートとかってどうなってるんですか」
「パスポート? なんで?」
「そういうのにも病院のこと書いてあるのかなって」
「あれ、どうなってたっけ、そこの棚に入ってると思う」
「あ、そこですね」
拿積耕太郎は取ればいいのに棚だけ確認するとパスポートを出さない。なんでだろ。
「見てもいいよ」
「いいですよ。こういうの身分証になるから、なくなったら危ないし、あんまり動かさないほうがいいですって」
真面目だぁ。
「それにほら、諸々の手続きって今全部、身分証必須だから」
「確かにねー」
「でも、本籍地当院なら、全部あれなんですね、婚姻届けもここなんだ」
「あー……そうなるかぁ。じゃあ、皇居の人は皇居の近くの区役所に出しに行かなきゃなんだ。大変だ」
「はい。先生は楽です」
「楽って言っても、結婚までの道のりがねえ」
「アハハ」
拿積耕太郎は笑う。ぶっ飛ばしてやろうかと迷う。自分でもまぁ、無理だろうなとあきらめもついてきたけど。誰かと一緒に生きてみたかったなーみたいな感慨は、少し残っているから。まぁそれが、手に入らないものへの悔恨なのか、独りで歩く恐ろしさからくるのか、純粋にホルモンの乱れなのか、生物的な群れ形成の欲求か、まったくもって判断がつかないけど。
「でも紙一枚ですからね。入籍そのものは」
「クリニック開業で死ぬ思いしてんだよこっちは。区役所市役所税務署一か月くらいあっちこっち転々として。手続きだけで。もういや。手続き。私関わりたくないもん」
「じゃあどうするんですか」
「勝手にやってもらう……それしかねぇ、道が無い。勝手に全部してもらう。もう、勝手にしてもらう」
わはは、と笑いながら伸びをした。拿積耕太郎の返事はなかった。
◇◇◇
「押しかけ女房ってご存じですか」
「思ったんですけど男にそういう表現するので良くないと思うんですよね」
耕太郎が言う。何故フルネームで呼べなくなったかといえば、こいつの苗字が私の苗字になったからだ。
書類手続きの話をしてから約一ヶ月後、こやつは「契約情報の名義変更と口座変更したいっす」と、書類を出してきた。「なんで名義変更?」と思えば名字が私の苗字になっていた。
こいつは婚姻届け、勝手に提出したのだ。その後、自分の口座や保険証住民票諸々の名義を変更し、最後の最後にうちのクリニックの雇用情報の更新した。狂ってるんだよ。全部こいつ。
「でもなんか、めっちゃ嫌なら離婚すればよくないですか?」
「それで苦労するのお前だよマジで、口座変更も保険証の更新も中々面倒というか区役所の中、じゃあここでこれ変えて、これ変えた証明貰って、はいじゃあ何番、何分待ち‼ みたいなの繰り返しだったでしょ」
「でもまぁ結婚ってそういうものなんだなーって。あと待ち時間にネットで変えてたりしたんで」
「バイタリティの方向性がずっと違うんだよな」
整形から、うちに働きに来て、私の家特定して突撃してきて、次に地獄の書類手続きを行う──エネルギッシュと称するには不適切な気もする。
「そのエネルギーは、何から来てるの?」
問いかけると、耕太郎は曖昧に笑った。