9話 新しい生活
ステラは今、故国の王都にいる。
もちろん、ただ戻ってきたわけではない。
当然、これも作戦だ。
エルキュールのことだ。
まずは、ステラが失踪した場所を探すに違いない。
つまりは、隣国の王都。
そこにいないと分かれば、近接する異国へと捜査の網を広げるだろう。鬼から逃れるため、さらに遠くを目指すのは自然の摂理だ。
まさか、ステラが自国、それも、王都に戻って来てるとは思うまい。
とはいえ、ここに長らく留まるつもりはなかった。
隣国を越えて遠くへ行く国境付近は草の根を分けるように探すはずだが、痕跡がないと分かれば、母国側に目を向けるのは必然。
エルのことだから、田舎を調べず、すぐに王都や大都市を捜索し始める。
田舎は人の出入りが少なく、新参者の存在は際立って目立つからだ。ステラもそれを知っているから小さな村には逃げないし、エルだって十分に理解している。
だから、エルが王都を探し始めるのは、短く見積もって一年後。
あと半年したら、この店に暇を出してもらい、隣国の王都へ逃げる。
「一度探した場所は、もう一度探さない」
これぞ、かくれんぼの勝利の秘訣だ。
鬼が探した場所に、こっそり潜り込んで時を待つ。あとは、残りの一年はあっという間に過ぎていく。世界を股にかけた壮大なる「かくれ鬼」が、見事自分の勝利で終わるという寸法だ。
……ただ、この作戦には、2点ほど欠点がある。
まず、1つは、ステラの職だ。
生きていくには、金が要る。
金がないのに、長期に渡って宿屋に滞在しているなんて、逆に噂が流れてしまう。男ならまだしも、ステラは女性だ。男装? 慣れないことをしたら、襤褸が出る。
必然的に金を稼がないといけないわけだが、飲食店や雑貨屋などの表に立つ仕事は避けたい。
そうなると、裏方の仕事になるが、裏方の仕事というのは、だいたいが職人たちの舞台だ。ステラみたいな人間が、ひょっこり入っても、ついていけないし、雇ってもらうことは難しい。
だから、ステラの特技である手芸を活かさないといけなくなってくるわけだが、そのくらいのことは、エルだって勘付く。
洋裁店や人形店を片っ端から探っていくに違いない。
一応、ステラは「帽子」という未知のジャンルに身を置くことにしているが、彼の捜査が王都に及んでしまえば、見つかるまで秒読みだ。
欠点をカヴァーするためには、引き際を見極めなければいけない。
もう1つは、ステラの身分だ。
モリーが「ボーミアン王国のステラ・アドラー」という偽の身分証を造り、下町の帽子屋への紹介状を書いてもらったおかげで、この作戦が生きている。
半年後に隣国へ逃げるときは、女主人に嘘の理由を話し、あちらの帽子屋への紹介状を書いてもらうつもりだが……モリーが口を滑らせた瞬間、すべてが水の泡だ。
モリーのことは信用しているし、彼女自身が漏らさなくても、その周囲から情報が流出する恐れもある。
それに、ボーミアン王国の文化や土地柄は本で勉強したとはいえ、細かいところまで答えられない。
人の出入りが激しい下町に身を寄せており、「異国出身」という肩書は目立たないが、目立たないだけで、同じ国出身の人を紹介されたり、国を詳しく知っている人に出会ったりしたら、不信感を抱かれてしまう。
すぐに捜されにくい場所とは言え、慎重に行動する必要があった。
慎重に行動するために、必要不可欠になってくるものはなにか?
それは、情報である。
職人部屋で耳を澄ませているのもその一環だし、仕事が終わると、新聞を買って帰るのが日課になっていた。
「……西方戦線、エル君、頑張ったんだ」
ステラは新聞を読み歩きしながら、少しばかり微笑を浮かべた。
弟分が功労を称して勲章を与えられるみたいなことが記してある。なんでも、敵将の首を3つ討ち取り、勝利に貢献したそうだ。
姉貴分としては、とても鼻が高い。
大きな怪我もないようなので、ひとまずは安心だが、戦が終わったということは、王都に帰還するということ。そろそろ、本格的に動きだしてくるというわけだ。
王都を歩くときも気を引き締め、帽子を深く被り直した――その時だった。
「アドラーさん! アドラーさんじゃないですか!」
嬉しそうにを呼び止める声で、ステラは足を止めた。
薄緑色の髪に青い瞳の少年が幸せそうに破顔しながら、向こうの通りから駆け寄ってくる。
「アドラーさん、お仕事、終わったんですね。お疲れさまです」
「こんばんは、ロジャーさん。
えっと、でも、こんなところにいて良いのですか? ロジャーさんの仕事は、確か……」
「『仔馬の尻尾亭』の料理人。それで、僕は買い出しの途中です」
ロジャーはそう言うと、色彩豊かな野菜がいっぱい詰まった籠を掲げた。
ロジャー・ラッセル。
エルが俊敏な大型犬だとしたら、彼はふわっふわな小型犬だ。
少し癖が目立つ髪は見るからに柔らかそうで、ついつい触ってみたくなる。朗らかな春を連想する笑顔も愛らしい。
そんな彼との出会いは、下町の市場だった。
ステラにとって、慣れぬ一人暮らし。
一番困ったのは料理である。
料理本というのは買ってみたものの、どの食材をどの量揃えるのが得なのか。まったくもって未知の世界だった。かといって、連日の外食は財布を圧迫する。
ステラが食材を前に悩んでいる時、ロジャーが通りかかったのが始まりだった。
「あの時は、僕が見るに見かねて話しかけましたけど……どうです? 必要でしたら、また料理の講師をしますよ?」
「ありがとうございます。だけど、大丈夫です。1人で食べていくには困らない程度に上達しましたので」
「良かった。でも、なんだか寂しいな……。
僕、いつでも相談に乗ります。そうだ! 良かったら、この後、仔馬亭に来ませんか? 僕、アドラーさんだけに、こっそりサービスしますよ!」
ロジャーが目をキラキラ輝かせながら尋ねてくる。
ステラは少しだけ考え込んだ。
ロジャーは好感の持てる青年だ。最初、近づいてきたときは「エルの回し者か?」と思ったが、ごくごく普通の料理人だった。
「そんなことをしたら、料理長に怒られませんか?」
「あー…………バレなければ大丈夫です。僕の料理、アドラーさんに食べてもらいたいんです」
ロジャーは青い眼をキラキラ星のように輝かせ、見えない尻尾をぶんぶん振りながら詰め寄ってくる。
ステラはぐっと言葉を飲み込んだ。
エル相手にもそうだが、このような純粋かつ真っ直ぐな視線に弱い。
「そうですね……では、料理長にバレないようにお願いします」
ま、一日くらい外食でも良いか。
ステラが悪戯っぽく笑いかえれば、ロジャーは幸せそうに頬を赤く染めた。
「やったー! 僕、腕によりをかけて作りますね! 『仔馬亭の気まぐれセット』を頼んでください。僕の担当、それの前菜とデザートなんで!」
ロジャーは歩き始めた。
心なしか、歩調が弾んでいるように見える。
そんな彼の後ろ姿を見ていると、ステラは頬が緩んでいるのが分かった。
無邪気に喜ぶ様子は、大事に思ってきた存在を思い出す。
嘘をついているようには見えないし、心地の良い年下の男だ。非常に好感が持てる。
「ロジャーみたいな子、私は弱いんだよね」
たぶん、彼がしたことは、お客を集める一環に過ぎない。
それでも、自分に好感を持ってくれていることには違いない。
(私は逃げるだけでは終わらない。絶対に良い人を見つけて、結婚してみせる!)
ステラは気持ちを固めると、ロジャーの後に続くように歩き始めた。
ステラの背後を伺い、こっそり後をつける人物に気付かないまま。




