番外編~商人親子との出会い~
エクサムの家へ通うのも、少し慣れてきたある日。公爵夫人が突撃のごとく、姿を現した。
「お久しぶりですね、イサーラ先生」
笑顔で言われるが、私の顔は引きつる。
それというのも交際相手の家を訪れても、住んでいる館が違うので、挨拶の必要はないとエクサムに言われ、すっかりその言葉に甘えていたから。こうやって交際相手のお母様が顔を見せに来られると、敷地内にお邪魔しながら、挨拶をしなかったのは失礼だったと、悔悛の思いに襲われる。
なぜ私はエクサムの言葉に甘えてしまったのか。恋愛偏差値が低いのも原因なのかと、頭を抱え叫びたくなる。
「母上、急にどうされました。なにか用事でも?」
「ええ、少し先生に協力してもらいたいことがあって」
「私に?」
エクサムの目配せにより、使用人が慣れた動作で動き、夫人は椅子へ腰かける。
協力とはなにかしら。私にということは、魔法関係とか?
「いえね、たいしたことではないの。だけど、どうにも自信がなくなっていて……。それで視点を変えたく、先生にも意見をちょうだいしたくて」
なるほど。確かに私は貴族ではないので、夫人と視点は異なる。価値観も違うでしょうし、様々な意見を欲されているのなら、このお願いも納得だわ。とりあえず、難しい内容ではなさそうで良かった。
「それでしたら、私でも協力できるかと」
安心して答えると夫人は顔を輝かせ、ポンッ。と、軽く両手を合わせて打つ。
「ありがとうございます。では早速、本邸へ行きましょう」
「え⁉」
今から⁉
「母上⁉ それはあまりに急すぎるのでは⁉」
エクサムの制止を無視し、本邸のとある部屋へと連行されてしまった。あの場で意見を求められると思っていたのに。どうしてこうなったのかしら。
部屋というより、大広間と呼べるそこには、マリーが待っていた。一体今からなにが起きるのかと、緊張する。
「急にごめんなさいね、先生。実はこれから知人に紹介された、壁紙の業者が来られますの。ですが、どうにも私には知人が言うほど、趣味が良いとは思えず……。それで私、自信をなくしまして」
それでマリーと私の意見を聞きたいと。私はたまたまエクサムに会いに来ていたので、誰かからそれを聞き、より多くの意見を聞きたいからと呼ばれたのね。
だけど、まずは実物を見ないとなんとも言えないわね。夫人の趣味も知らないし。とりあえず、この間に使用されている壁紙は、薄いベージュの背景に枝葉が描かれたもの。どちらかといえば地味かもしれない。だけど調度品の輝きを目立たせるため、あえて地味な感じを選んだ気もする。
そんなことを考えていると、商人がやって来た。
「このたびご紹介にあずかりました、ラクシー商会のペルと申します」
スーツ姿の男性は、少し頭が寂しく、全体的にふくよかな体型をしている。そしてその隣には、なぜか男の子も立っている。なぜ子ども?
「こちらは私の息子です。将来は私の跡を継がせたく、それで今から同伴させ修行をさせております」
ああ、なるほど。生徒たちも家の手伝いだと、働いている者が多い。
そう考えると、貴族など地位のある子どもは大変だわ。こんなに子どもの頃から、親の手伝いをするのだから。
って、あら? この男の子、どこかで見たような……。
そうだわ、ドラゴン騒動の時の! どうやってか立入禁止区域に入り、近づいたため、ドラゴンに攻撃されそうになった、あの男の子!
まさかこんな場で再会するなんて。世間は狭いわね。
それにしても、ラクシー商会ねえ。もとは地方のさほど大きくない商会だったのに、ここ数年、急激に業績を伸ばし、ついには王都でも商売を始められるようになったと聞いている。顧客を奪われたと、一部の生徒たちが恨みをこめ口にしているので、私も名前は知っている。
「こちらが商品の見本となります」
自信たっぷりとペルさんが広げたサンプルを見るなり、前のめりとなる。
こ、これは……。
マンガなら『ドギャン!』や『ギャギャン!』といった、妙な効果音が出現しそうな、なんとも奇抜な……。見ればマリーは目を大きく開き、口もとに片手を当て固まっている。夫人は黙って扇子を広げ、顔を隠す。
「こちらが当商会の、人気の柄にございます」
コレが⁉ このどぎつい紫色や、濃いピンクの下地に、ヒョウやトラのような、よく分からない黒い模様の入った、コレが⁉ 生徒が、なんであんな品がと言っていたのが、よく分かる。
「す、す、すみません。少し三人で話を」
言うなり魔法で私たち三人の周りに、防音壁を作る。さらに口の動きで内容を悟られないよう、白い煙も巡らせる。
「さて、二人とも。どう思います? 人気があるからと紹介されたのだけれど、この壁紙の良さが私には、どうにも分からないのよ」
「お母様、私にも分かりかねます」
「私も理解できません」
三人の意見は一致する。つまり、あり得ない。どう考えても、このスターリン家の調度品たちに似合う壁紙ではないと。
「ああ、良かったわ。私の感覚が間違いではないのね。最近、この壁紙のシリーズを購入される家が多く、その部屋に案内されても落ちつかなくて」
この柄では、心安らぐとは無縁な気はします。でも流行というのは、どこでなにが流行るのか分からないのも事実。
とりあえず、購入はなしという結論になり、魔法を解除する。
「せっかくですが、この壁紙に合う部屋はこの屋敷にはなく……」
夫人が断りを述べている時だった。
魔力が発生し、なにか魔法が放たれた。
だけどこの魔法、なに? 今まで感じたことがない。どういう魔法なの? 魔法について探っている間に、ゆっくりと部屋を満たすように、広がっていく。得体の知れない魔法に恐怖を抱き、鳥肌がたつ。
「……あら。でも、よく考えれば、使えないことも……」
急に夫人が言うことを変えた。驚いて顔を見ると、目の焦点が合っていない。
「そうですわぁ、お母様ぁ。この屋敷は部屋も多いですしぃ。必ずどこかで使えますぅ」
マリーまで……!
とろんとした目で、話し方もいつもと違う。語尾が伸び、普通ではない。よく分からないけれど、もしかして、この魔法が影響している?
二人の目を覚ませようと呼びかけるが、無視される。その間に、私の体にも正体不明の魔法がまとまりついてくる。
「い、いや……」
体が震える。
こんな魔法、私、知らない! 魔法が全身を包み、全てが麻痺しそう! 思考が奪われそうな……。嫌だ、怖い……。防御魔法を……! でも一体、なにを防御すればいいの? どの魔法なら、防御できるの? 分からない、誰か助けて‼
パリン!
軽いけれど、なにかが割れる音が響くと、魔法が消えた。それに気がつき、震えながら大きく呼吸を繰り返す。同時に夫人とマリーの目に光りが戻り、今度こそ夫人は最後まで断りの言葉を述べることができた。
商人親子が帰り、夫人とマリーは困惑を口にする。
「ヘンね。断るはずが、なぜか急に頭が働かなくなって……。あの壁紙が良く見えてきて……」
「私、どうして急にあんなことを……」
二人は魔法が放たれたことに気がついていなかった。それほど微細な魔力。これは残滓があっては事なので、後でこの部屋を、エクサムに確認してもらった方がいいかもしれない。
それにしても、あの魔法はなに?
微細な魔力。急に出現し、消え……。なんの魔法か分からない、得体の知れない力。待って、それって最近どこかで聞いたような……。もしかして?
慌てて上着のポケットに手を入れると、メーテルから贈られたストラップが割れていた。
ひょっとして、この魔法がメーテルの言っていた……?
証拠がないので夫人とマリーには言えないけれど、魔法の発生源は、あの商人親子からだった気がする。どちらかが、あの魔法を?
もし……。
もしメーテルから、このストラップを贈られていなかったら、私はどうなっていたの?




