異変《1》
この日々も落ち着いてきた。
ウタとぐだぐだ家で過ごし、やって来たリンと遊び、レンカさんのところでバイトをする。
二人暮らしにプラスして、よくウチに来るリンも合わせた生活費となると割と掛かるものだろうが、やはりレンカさんのまかない料理のおかげで食費が浮くのが結構デカく、生活にはまだまだ余裕がある。
生活必需品とかは新たに結構買っているのだが、出費はそれくらいだしな。魔物討伐で稼いだ貯金も全然残っている。
ただ、あれから特にそれ関係の仕事はない。
キョウは、最近出現数が増えているなんてことを言っていたが、まあ魔物が当たり前にいた向こうの世界と比べれば、やはりそう多い訳ではないようだ。
いや、と言っても、支給されたスマホには局の情報が更新されるのだが、それによると細かい出動自体は、この地方でも週に一度くらい起こっているようだ。
多分、俺にまで声が掛かるような事態ではないということだろう。
バイト扱いだから、というのもあるだろうし、単純に俺がまだ警戒されていて、声が掛からないって理由もありそうだ。
実は時折、家の周囲で視線を感じるのだ。かなり気配を薄くした、それとなく様子を窺う程度に抑えた視線を。
こちらに対する害意は一切感じないし、まあ俺が信用し切れないってのも当たり前の話なので、特に対処せず放置しているが。多分ウタも気付いてるだろうな。
そもそもウチ、魔道具で結界張ってるので、家の音なんて一切漏れ出ないし、赤外線とか使っても中の様子なんて何にもわからないだろう。
「うにゃあっ!?」
「バカおまっ、そのアイテム取り逃すなっつったろ!?」
「う、うるさいの! 意外と難しいんじゃ、ここ!」
「いやさっき自信満々にやれるっつてたろーが! だからこのステージの直前で交代したんだぞ!?」
「し、失敗する時もあるというだけじゃ! ――あっ、ほら、お主がうるさく言うから、死んでしもうたではないか!」
「元々瀕死だったろうがお前! 交代だ交代、そこで俺の美技を見てるといい」
「…………」
「いいか、このゲームは難易度が鬼畜なんだ。他のゲームと違って、キャラのレベルを上げたところで簡単になる訳じゃなく、普通に死ぬ。だから、周辺を常に観察――んぅっ!? ちょっ、な、何しやがる!?」
「別にー? 何となくお主のうなじが視界に入ったんで、触っただけじゃ。それよりどうした、ユウゴ? 女子のような声を出しおって。可愛い奴じゃのう?」
「こ、コイツ……! いいだろう、お前がそういう手を使ってくるんなら、俺にも考えがある! 先に盤外戦術をやってきたのはお前だ、覚悟しろよ!」
「きゃーっ、襲われるー!」
「何がきゃーっ、だ、何が! 弱体化した今でも、リンゴくらいなら握り潰せるようなゴリラのくせに!」
「ごりらじゃと!? それって――あー、それって何じゃ?」
「生き物だな。オーガを毛むくじゃらにしたような、筋肉ムキムキの動物だ」
「ほう、なるほどの。よし、では戦争じゃ。今日でお主を討滅し、勇者なる悪の系譜なぞ、ここで終わりにしてくれる」
――なんて、二人でふざけていた時だった。
「!」
「っ」
俺とウタは、同時に反応した。
「今のは……」
「何の気配かの。魔物ではないな。まだ形が定まっておらぬが……あまり良くない気配じゃ」
遠くから伝わってくる、魔力の波動。
いつものような、魔物が出現した時のものとは違い、何だか大分漠然としていて、ちょっとよくわからない感じのものだ。
それでも、一つ言える確かなことは――この気配からは、悪意が感じられる、ということである。
「同感だ。俺、ちょっと見てくるわ」
「手伝い……は、別にいらんか。ちゃちゃっと解決して帰ってくるように! この程度で怪我などすれば、恥じゃぞ!」
「へいへい。あ、帰り際に晩飯買ってくるわ。何食いたい?」
「白米とお味噌汁!」
「お、おう、わかった。……じゃあ、それに合わせて純和風で行くか。冷奴と焼き魚と、あと野菜くらいの」
「うむ、それで良いぞ! 白米は、儂が準備しておいてやろう!」
「おう、頼んだわ」
そんな会話を最後に、俺は家を後にした。
◇ ◇ ◇
気配を辿る。
いつもより漠然としていて、まだ明確な形になっていない感じの気配であるため、多少追うのに苦労はしたが、この程度なら何とかなる。それだけの経験は積んできている。
空間に漂っている、魔力の痕跡の濃い方向を追い続け、やがて辿り着いた先は――。
「……学校、か?」
高校だろうか。
赤レンガが随所に使われた、歴史を感じさせる造りでありながら、非常に綺麗に整えられていて、観光名所にでも出来そうな建物である。
かなり大きく、校舎の数も多いので、もしかすると中高一貫校かもしれない。
今は、時間帯的にすでに放課後だろうか? 部活の掛け声や吹奏楽部の楽器の音が聞こえ、帰り支度をした生徒達が校舎から出て来る姿も窺えるが、そう数は多くない。正門付近に立っているこちらに一瞬目をやってから、何でもないように横を通り過ぎて帰路に就いていく。
そんな中で、俺は、少し険しい顔を浮かべていた。
――これ、人為的なものだな。
ここに来てわかったが、感じていた気配が漠然としているのは、発生した魔力を隠そうとしているからだ。
自然発生だったオーガ、もとい大鬼や土蜘蛛の時と違って、漏れ出たものが外に感知されないよう、薄く広く結界を張っているのがわかる。当然ながら、結界が自然に発生することはない。
子供の通う学校で、誰かが何かの企みを実行している。この字面だけで、早急に対処しないとヤバそうだ。
ただ、どうしたものか。
危険だ、避難しろ! なんて今叫んだところで、「ヤバい奴がいる」と俺が通報されるだけに終わることだろう。
こっそり侵入して原因だけ排除する、ということも不可能じゃないだろうが、敵が何を企んでいるのかわからない以上、出来れば生徒達には避難してもらった方がいい。
緊急時なのは間違いないので、いざとなれば躊躇するつもりはないのだが――と、ジロジロ中の様子を観察していたのが良くなかったのだろう。
「あの、どうされましたか?」
突然そう声を掛けてきたのは、恐らく体育教師なのではと思わせるガタイの良さをした、男性教師。
その瞳からは、明らかな警戒が感じられ、不信感がありありと見て取れる。
「え? あ、えーっと……」
「当校に、何かご予定でも?」
……まずいな、こんなところで問答している余裕はないんだが。
昏倒させるか? いや、けど正義感から動いている相手をぶん殴るのは、流石に気が引ける。
ただ、そうやって少し考え込んでしまった俺を見て、男性教師の警戒度が益々上がってしまったらしく、今すぐにでも通報しようとする様子が窺えたたため、「……しょうがない、捕まったら後で田中のおっさんにでも何とかしてもらおう」と俺が覚悟を決めかけた、その時。
校舎から出て来た、一人の女子生徒の姿が、俺の視界に映った。
「! キョウ!」
その女子生徒――キョウは、こちらの呼びかけにビクッと一瞬反応したかと思うと、キョロキョロと周囲を見渡し、俺と目が合う。
そして、その瞬間ダッとこちらに駆け寄って来た。
「うおっ」
「せ、先生、ちょっと失礼します!」
「え、あ、あぁ」
男性教師に一言声を掛けた後、俺の腕をガシッと掴んだかと思いきや、そのままちょっと離れたところまで連れていかれる。
「……おいっ! 何でアンタがここにいるんだ!? も、もしかしてあたしを尾けてきたのか!?」
小声ながら怒鳴るという器用な真似をしながら、そんなことを言うキョウ。
「んな訳ないだろ。不可抗力だ。お前がここに通ってて助かったわ」
「じゃあ、何で――」
「うわー、清水さん、その人、もしかして彼氏さん?」
「へー、清水さん、年上の彼氏さんいたんだ。……まあでも、何だかお似合いな感じだね!」
「清水さん、大人びてるもんねー」
「ち、違う!」
通り過ぎざまに掛けられる、友人らしい女子生徒達のきゃあきゃあと楽しそうな言葉に、慌てて否定するキョウ。
どうしてくれるんだと言いたげな様子でこちらを見上げてくる彼女だったが、俺はそれに取り合わず、言った。
「悪いが問答してる時間もあんまりない。――多分俺達の仕事になる。あの先生、どうにかしてくれ」
俺の言葉に、荒ぶっていたキョウは一瞬で感情を切り替えたようで、その瞳が冷静なものになる。
「……わかった」
それから、すぐに先程の教師のところまで二人で戻ると、俺の要望通りに彼女は弁明を始めた。
「先生、失礼しました。コイツは……オホン、この人は私の親戚なので、問題ありません」
「親戚?」
「はい、親戚です」
「……そうか。あー、まあ、その、何だ、清水君。生徒のプライバシーに口を出すつもりはないのだが、あまりハメを外し過ぎないようにな」
「……はい」
苦笑を溢す、絶対に何かを勘違いしている男性教師に対し、キョウは表情をピクピクさせながらも、否定せずただ頷く。
「そちらの君も、あまり学校の周りをウロウロしないように。ただでさえ今の時代は、そういうことには厳しいんだ。本当に何もなくともな」
「すみません、キョウ――じゃなくて、清水さんを待っていたのですが、綺麗な校舎でしたので、思わず色々見てしまいました」
「あぁ、気持ちはわかるがな。……ま、清水君には、大人として節度を持った対応を。では、私はこれで失礼する」
そうして彼の姿が見えなくなったところで、キョウが俺の足をゲシッ、ゲシッと蹴ってくる。
「おい、あの先公、絶対勘違いしちまったじゃねぇか!?」
「いてっ、いてっ、悪かったって。あのままだと通報されそうだったんだ。それを阻止するために、あの教師には昏倒してもらおうか悩んでたくらいだ。だから、本当に良いタイミングで出て来てくれた」
「……まあ、丸っきり不審者扱いだったしな、今の優護。――で、魔物か?」
「わからん。多分違うと思う。ただ、魔物が発生する時と似たような気配が今漂ってて、そこに悪意が感じられる。んで、それを追ってみたら、辿り着いたのが――」
「……ここか」
すぐに察したようで、苦々しげな表情になるキョウ。
「その顔、もしかして心当たりがあるのか?」
「ある。……アンタには話してもいいか。この学校、『明華高校』は、魔法の素養があったり、あたしみたいに事情があって、すでに仕事に就いてる生徒とかが秘密裡に入学してくる学校なんだ。つっても、大多数は何の関係もない、一般人の生徒や教師なんだがな」
ほう、つまり魔法学校みたいなものと。
ちょっとワクワクしてしまったが、そんな時でもないので、すぐに感情を押し込む。
「もしかして、敵対組織でもいるのか? ウチの組織って」
「いる。ウチの支部は魔物の対処が中心の組織編成をしてるから、そっちの情報はあんまり下りて来ねぇが、魔力って力がある以上、当然それを悪用してやがる奴らはいるんだ」
……で、ソイツらが、局員の卵が集うと言える、この学校を標的にした可能性がある、と。
なるほど、ありそうな話だ。
「とにかく、何が起こるかわからない以上、生徒達は避難させたいんだが……」
「わかった」
キョウは、スタスタと校舎の方に向かったかと思いきや――そこにあった火災報知器のボタンを、躊躇なく押し込んだ。
次の瞬間、ジリリリリ、と大音量で警報が鳴り響き、学校全体がザワリとした空気に包まれる。
「……思い切ったな、お前」
「緊急時だ。後始末は、あたしらの組織の方に任せりゃあいい。そのために国から予算が下りてる訳だしな」
聞こえてきた運動部っぽい掛け声や、吹奏楽部の楽器の音などが聞こえなくなり、少しして、生徒や先生方が次々と外へと出てくる。
なかなか迅速な動きだが……そうか、裏の事情があるからか。
キョウの言っていた、魔法学校みたいな一面があるため、その事情を知っている一部の教師達が急いで避難させたのだろう。
万が一の時のために。
そうして彼ら彼女らがいなくなったのとは逆に、俺達は、校舎の中へとこっそり侵入する。
と、それと同時に、誰かに電話をかけ始めるキョウ。
「花、お前今どこにいる? ……あぁ、もう帰ってたか。聞け、花。あたしらの学校で敵性存在が出現した可能性がある。あぁ、そうだ。あたしは対処に動くから、お前が組織の方に連絡しとけ。……あぁ、頼んだ」
「あの後輩ちゃんか? そうか、同じ学校に通ってるのか。無事だって?」
スマホをしまったキョウは答える。
「あぁ。幸い、もうとっくに帰路に就いてやがった。で、優護。どうなんだ」
「やっぱここだ。建物全体を包み込むような、薄い膜がある。発生源は――おっと」
「っ!?」
その瞬間だった。
空間が変質していく。
肌にピリリと来るものがあり、気持ちの悪い風のようなものが走り抜けたかと思いきや、視界が一瞬にして切り替わる。
いや……変わらず周囲の光景は、学校そのものだ。何か建物に異変が出ていたり、異物が出現していたりする訳ではない。
変わったのは、明るさである。
現在時刻は、夕方が近くなってきた午後。まだ明るく、日も高い。
だが今、電気が点いていても校内は微妙に薄暗く、それは窓の外の光景が変化したせいだ。
そこから見えるのは――星々。
暗闇。
いつの間にか、夜陰が世界を包み込んでいた。
「――ダンジョンか」




