マン・ターゲット5
『……従って、この公式が成立する時、先ほど述べた式もまた成立する』
カチカチとキーボードを叩く音と共に画面に文字が現れた。キーボードを打っているのはマイクである。いやもモーリー博士と言った方がいいかもしれない。
彼は22の時に書いた論文で博士号を獲得し、以後書かれた二つの論文も人類がより遠くへと行くのに力を貸した。
だから、そのままでいれば全銀河系宇宙の大学から教授の地位がよりどりみどりだったのに、なんの因果か今じゃしがない商船のマネージャー。……本人がそれでいいって言ってるんだから、別にいいけどね。
「うーん」
キーボードを打つ手を止めて伸びをした後、マイクは自分の肩を叩きながらハワードに言った。
「ヘルメス、この辺りでちょっと休もうか」
「 OK」
ハワード・ヘルメスが名前だから別にどちらを選んでもおかしくないのだけれど、特にマイクは「ヘルメス」と呼んでいる。
「それにしても助かった」
マイクが言った。
「ヘルメスがいなかったら計算にずいぶん時間がかかって、こんなにもはかどらなかったろうな。ありがとう」
「イエ、ドウ イタシマシテ」
キャップの席の斜め後方からコーヒーが出てきて、マイクの前に置かれた。
「こーひー ドウゾ」
「お、どうも。さて、どこまでドクのコーヒーに近くなったかな」
そしてカップを取って一口含み、もう一口飲んだ。
「……ドウデスカ?」
心なしかハワードの声が心配そうだ。コンピューターなんだけどなぁ……。頭がいいからそういう感情も持ってるのかもしれないけど。
「うーん……。いまいち」
「エエエエエッ」
明らかにハワードはがっかりしたようだ。
「ド、ドコガ イケマセンデシタ? 自信ハ アッタンデスガ。コノ前 どくとるニ頼ンデ入レテモラッタこーひーヲ化学分析シテ温度ヲ測ッテ、みくろ単位ノ時間マデ調ベ、ソレヲ全テ ソノ通リニ再現シタンデスヨ」
「それは……ご苦労さん」
しみじみとマイクロフトは言った。
「でもやっぱり、今一歩ってところで及ばないんだよなぁ……。一度さ、ドクと組んで他の人たちに飲み比べてもらったらどうかい? どちらがどれを入れたか伏せておいて」
「………ソウデスネ。ソコデ ハッキリ サセマショウカ」
そんな風に二人がほのぼのと会話をしていた時。
いきなり警報装置が鳴り出し、指令室のすべての装置が作動しだした。
「緊急事態発生。緊急事態発生。正体不明ノ一群ガ 船ノはっちヲ コジ開ケテ侵入シヨウト シテイマス」
「スクリーン投影」
大スクリーンに、レーザーカッターを駆使してヘルメス号の外壁を焼き切ろうとしている男の一群が映った。彼らは全員緑系統の作業服を着て、肩に黄色い星の形を具象化したマークをつけていた。それはステーションの職員の制服だということはマイクには一目でわかった。
「おいおい。お役人が人の船を傷つけちゃあいけないよ」
マイクはそう言うと立ち上がった。
「交渉に行ってくるよ。修理代をふんだくってこなくちゃ割に合わない」
「オ気ヲツケテ」
ハワードの声に送られて、マイクは船のハッチへと急いだ。
驚いたのはそのステーションの職員たちだろう。自分たちが一生懸命こじ開けようとしていたハッチがいきなり開き、中にひょろっとした大学の若い助手風のメガネをかけた人物が立っていたんだから。
「何してんです、あなた方は」
憮然とした感じでその人物が言ったのを聞いて、今の今まで作業をしていた者たちは戸惑ったようにリーダーらしき人物を見やった。堂々とした態度を彼らのリーダーは崩さなかった。
「誰だ」
マイクは「おや?」と思った。
この顔、この声、どこかで聞いたことがある。しかし、どうも思い出せない。……思い出そうとして思い出せないことは取るに足らないことだ、という信条をマイクは持っているので、無理に思い出すのはやめた。
しかしこの態度、行動には腹が立つ。こっちを人とも思わない態度に、マイクは抵抗してみることにした。
「問われて名乗るもおこがましいが、ヘルメス号のマネージャー」
「ふざけているようだな」
「ふざけてなんかいませんよ。それよりも、そちらで預かってる大事な客の船を所有者に一言もなしに傷モノにしようなんて了見の方が、よっぽどふざけてると思いますがね」
「公務だ。全員突入する」
マイクにそう言い捨て部下に指示をすると、そいつはハッチからヘルメス号に乗り込もうとした。その行く手をマイクは遮って言った。
「へぇ、公務! 器物破損と不法侵入を犯すことか公務ですか。ステーションも立派な職員をお持ちでいらっしゃる。
では愚鈍なる一市民に、その公務とやらの一端を聞かせていただくわけにはまいりませんかね。それとも言えないようなことなのか」
リーダーらしき男はマイクの顔を火花が出るほど睨みつけている。一方マイクは、表面上は薄笑いを浮かべて相手を見つめている。
「……先ほど通報が入った。今度出港するヘルメス号は、連盟規約に追放が決まっているプルフィル麻薬を積んでいる、と」
まるでセリフを棒読みでもしているかのようにそこまで言うと。
「そこまで入れまいとするのは麻薬を始末しようとする魂胆か?」
そう言って職員たちのリーダーは、音がしそうな程にマイクを睨み付けた。
なるほどね。マイクは初めて合点が入った。
最近プルフィル麻薬追放がやっと決まり、当局も本腰を入れ始めたという。麻薬を取り扱うのはほとんどが影で海賊稼業やら荒っぽいことをやってる連中だ。不意打ちをかけて麻薬を徴収した方が効率は高い。
だが、それにしては何かがおかしい。
「身分証明書と捜査令状の呈示を願います」
出された身分証明書には本人の写真とジャン・ド・ヴァジールという名が書いてあった。証明書も礼状も、少なくともマイクには本物としか見えなかった。
マイクは低く唸った。
「これ以上邪魔立てすると、公務執行妨害で逮捕することになる」
自分の勝利を確信したようにリーダーが言うのを、マイクは疎ましく聞いていた。
「……お好きなように」
「行くぞ!」
ヴァジール氏以下の人々はマイクに目もくれずに、ヘルメス号に入っていった。