32章 巨群の進撃
彼らは魔梨沙の手に付着していた蟻を観た瞬間、全てを察した。
当の彼女は反対の手で急いで潰し、蟻は呆気なく原型を消した。代わりに彼女の綺麗な肌色に糊みたいな粘度の蟻の液体が付着する。
当人はねばねばした蟻の液体に、吐き気を催しそうになっていた。が、それどころでは無さそうであった。
「…こういう時に限って…」
「…そうね」
全員は冷や汗を掻いたと同時に、幾つか土壌が山のように隆起している部分から"何か"が溢れてくるのが分かった。…其れの正体はすぐに判断がつくものであった。
波のように押し寄せる茶色。その時、全員が絶望の表情を浮かべた。
「…逃げろ―――――!!!」
ジェネシスの声と同時に一斉にその場から逃げ出そうとする全員。
敵味方関係なしに襲い掛かったのは…軍隊アリだ。顎がとても強く、一匹に噛まれたら悲鳴を上げるほどだ。
其れが何万、いや…下手したら何億単位で押し寄せているのだ。
スピードは彼らの全速力と同じ位である。その時、後ろからヘッドライトの光が灯った。
「な、ナイスよ!」
さとりの言葉と同時にハルバード軍の味方である車が彼女らと兵士を助ける。
しかしジェネシスたちは勿論のこと乗せて貰えず、軍隊アリとハルバード軍に追われる身となってしまった。パチュリーが疲れ果てそうになるが、体力がある慧音が背負って最前線を進む。
さとりは車の上で余裕そうな顔を浮かべ、真下で疾走している彼らに向かって笑みを浮かべていた。
「貴方が行きなさい!」
乗っていた兵士の1人を車から突き落とし、ジェネシスたちの邪魔に入らせる。
兵士は不本意ながらも落とされ、意を決して殴りにかかる。しかしジェネシスの回し蹴りが腹部に炸裂した。そのまま狼狽え、蹲る彼に襲い掛かった軍隊アリ。
衣を被ったかのような彼は軍隊アリに覆われ、断末魔の声を上げながら巣へ運ばれていった。
「…チッ、役立たず。…やっぱり拳銃が一番よね!」
兵士たちとさとりは拳銃を構え、地面を走る彼らに向かって銃弾の雨を浴びせる。
彼らの一歩後ろを銃弾が追うように走る。此処で隙を見計らったのはジェネシスの肩に乗っていたケット・シーだ。ふさふさした毛を土臭くしながらも、彼に必死に問いかける。
「…ジェネシスはん!ワイを車に投げてくれへん!?」
「分かった!」
彼は走りながらも勢いよく猫を投げると、ケット・シーは運転手の顔に纏わりついた。
視界を失った運転手はそのままハンドルを滅茶苦茶に回し、軍用車はそのまま横転した。
魔梨沙は姿を消したと思いきや、後続の軍用車の上で身を馳せていた。…避難したのだろう。
「ワイを舐めるなや!」
ケット・シーは横転して倒れたさとりが魔梨沙の乗る車に乗ろうとしていたのを邪魔する。
自身に内蔵された拳銃を彼女に向け、血飛沫が舞う。苦痛そうな表情を浮かべながら、彼女は意地でも乗ろうとする。
「邪魔なのよ!糞ネコ!」
彼女はケット・シーを手で薙ぎ払うも、その軽い身のこなしは攻撃を容易く回避する。
そのまま車に乗りこみ、ジェネシスたちを狙撃する魔梨沙たちを邪魔せんと拳銃で連射する。
小さな身から放たれた銃弾は兵士たちに多大なる負傷を負わせ、そのまま車から次々と落ちていく。
しかし魔梨沙は連射するケット・シーに銃口を向けて引き金を引き、猫の拳銃部分を麻痺させてしまう。
「にゃ!?」
「調子に乗らないで欲しいわ!」
さとりは何とか乗車し、2人でケット・シーに一斉攻撃を仕掛けようとする。
此処で気づいたジェネシスは軍用車の後ろに回っては急いで乗り込み、さとりの首を手で絞める。
これが俗に言うCQC...Close Quarters Combatであろうか。
彼女を道連れに車から落ちる彼。蟻との速さはアドバンテージがついていたものの、襲われるは時間の問題だ。
「…お前を蟻の中に導いてやる!」
彼は起き上がった彼女に向かって一発、本気のパンチを頬にお見舞いさせる。
しかし彼女はタフなのか、反撃のパンチを彼に行った。お互いが意識朦朧としながらも殴り合っていた。
津波は迫りくる。蟻の波が見えたジェネシスは勢いよくさとりを蹴とばし、急いで脱出する。
彼女は尻餅をつき、蟻から逃れる術は無さそうであった。ここで逃げようとする彼の足に鞭を打ち、転倒を図った。
「…貴方も蟻に飲みこまれなさい!」
「…クッ...」
彼は足に纏わりつく鞭を取ろうと図るが、何せ披露て手にも呂律が回ってしまう。
上手く出来ない身体に苛立ちを覚えながらも、彼女の巻き添えだけは喰らいたくないという気持ち一心が必死に手を動かせる。
さとりの足元にまで迫る軍隊アリ。彼女も、やはりそれを目にしたら身体が動けないのであった。
「あ…あわわ…」
慌てる仕草を見せる彼女は匍匐前進で逃れようとするが、やはり波には勝てなかった。
しかし、此処で1人の兵士が彼女を担ぐように救い出すと、そのまま猛ダッシュで走っていったのだ。
何が起きたのか、ジェネシスは最初理解出来ないでいたが同時に足に絡まっていた鞭から何とか抜け出した。
彼女を背負って驀進している兵士を追いかけるように走るジェネシス。
すると爆発の火が上がっていると同時に魔梨沙たちと慧音たちが戦っていたのだ。
訳が分からない状況に目を疑いつつも、さとりは運ばれながらジェネシスに拳銃を向けた。
「死になさい!」
「お断りだ!」
銃弾が飛び交う中、流れ弾に直撃した兵士はさとりを地面に落とすと同時に地面に伏せた。
彼女は命の恩人を見捨て、彼と銃撃戦を繰り広げる。銃声はお互いの身の中を飛び交った。
さとりが見捨てた恩人はそのまま血を口から吐血しながら、蟻の津波に飲みこまれてしまった。
軍隊アリが吐血している口から一斉に入り込むと、最期の断末魔の声を上げ乍ら巣へと運ばれていったのだ。
さとりとジェネシスが銃撃戦を繰り広げている中、慧音が見計らっては隙を突き、さとりの不意を突いた。彼女の背中に回し蹴り一発をぶつけると、痛さに拳銃を暴発してしまう。
その銃弾は遠くでパチュリーたちと激闘を繰り広げていた魔梨沙の右肩を射貫いてしまう。
2人は動じに蹲ったと同時に、軍隊アリの波は押し寄せてきたのだ。
「…急ぎましょう!マター博士のGPSによれば、遺跡はもうすぐらしいわ!」
「分かった!今は轍鮒の急の回避を先決しよう!」
蹲った2人を置いて、ジェネシスたちは迫りくる軍隊アリから逃れるために必死に逃走した。
パチュリーは再び疲弊したのか、前方にいたのにも関わらず速さは後から来たジェネシスたちと同じ速度になってしまっていた。
体力が余っていた慧音がパチュリーを急いで背負うと、一行はそのまま熱帯雨林の中の獣道とも言えない道と言う進み先を進んだ。
一方、蟻に飲みこまれそうになった2人の元に落ちてきたのはロープであった。
其れは熱帯雨林の空を飛翔していたハルバード軍のヘリコプターであった。鬱蒼とした木の中、彼女らを空から発見できたのは2人のスマホに内蔵されていたGPS機能を辿ったからである。
しかし、こんなナイスタイミングと言うしかない間合いで助けに来たのは称賛に値するだろう。
2人は疲弊仕切った表情を浮かべながら茶色い雨を足下に、そのままヘリコプターに乗り込んだ。
ヘリコプターの中にいる兵士たちによって巻き上がっていくロープ。2人は幾つも傷を浮かべながら中で寝込む。
2人の状態が悪しかったが故に、兵士たちは苦渋の決断ながらも帰還を決行した。
今のさとりと魔梨沙に、兵士たちの判断を退ける理由は無かった。深追いして死亡、とは笑えない話だ。
滑稽話に成り下げたくないという心情は蟠りとなって、アンドロギュノスのような交錯せし齟齬を抱きながら、ジェネシスたちの進む未来を案じた。
…そもそも、あの軍隊アリから逃れられるかさえ不明だが。
◆◆◆
「…まだ蟻は追ってきてるのか!?」
「…いや、流石に来てないわね。入りくねった熱帯雨林の中、見過ごしてしまったみたいね」
軍隊アリから逃れられた一行は、津波の消失に一先ずは安堵していた。
ハルバード軍を撃退してから大凡500mぐらいであろうか、必死に逃げた結果、逃れることに成功したのだ。
彼らは自然の摂理はやはり人が踏み躙るべきものでは無いとつくづく思わされた。
それにしても、高齢でありながら戦いを勝ち抜いては此処まで来れたマター博士は凄い人物である。
「…マター博士…よくも此処まで耐えましたね…」
「…若者には負けていられんからな。はっはっは!」
「…流石は国際名誉教授、頭だけでなく足腰も強いとは…屈服せざるを得ませんね…」
ジェネシスはそんな彼の運動神経に頭を下げる思いであった。
年齢はやはり関係ないのか、と彼の脳裏に過る。マター博士は彼の視界の中で微笑みを浮かべていた。
刹那、こいしが明るい声を上げた。其れがジェネシスたちの鼓膜を鮮明にも揺らす。
「み、見えたよ!遺跡が!」




